だまされるのも悪である
全てが無に帰してからひと月が経った。今はもう平常心を取り戻している。投稿サイトには再度ユーザー登録をした。しかしまだ小説を書く気にはなれない。もう少し時間が必要だと思う。
「運営に問い合わせてみたらどうだろう」
それに気づくのに3日かかった。しかし問い合わせることはしなかった。
問い合わせ窓口のフォームを開いてメールアドレス入力の項目を見た時、もしかしたらメールで連絡が来ているかもしれないと思ったからだ。
登録に使用したアドレスはこのためだけに作ったアドレスで日常的に使用していなかった。問い合わせの前にチェックしておいたほうがいい、そう考えたのだ。
「あっ、来てる!」
予想通り運営からメールが来ていた。ボクの作品が利用規約第14条の6と9に抵触しているので、このまま放置すればアカウントを停止する、というものだった。着信は全てが無に帰す1週間前。もっと早く気づいていればと後悔した。
「14条の6と9って何だろう」
調べてみた。6は複数のアカウントを取得する行為。9は当社または第三者の権利を侵害する行為。6に関してはまったく身に覚えはない。しかし9はどうだろう。他者の権利を侵害するとは、つまり盗作や盗用である。
「まさか……」
以前から気になっていた単語があった。星1のレビューは読まずに削除していたが、そのレビューには「このすば」という言葉がひんぱんに登場していたのだ。調べてみると「この素晴らしい世界に祝福を!」という小説の略称であることがわかった。アニメ化もされているかなり有名なラノベらしい。古本屋の110円コーナーにあったので買って読んでみた。
「なんだよ、これ!」
そっくりだった。ボクの書いていた小説とまるで同じだった。ストーリーも舞台設定も登場人物も何もかもがこの小説のパクリだった。ボクの小説と一言一句違わない表現まであった。全て通りすがりの指示通りに書いたものだ。
「あいつ、とんでもないヤツだったんだな」
ようやく正体が判明した。悪魔だ。甘い言葉で人間を誘惑し地獄に叩き落とす正真正銘の悪党だ。神だなどと崇めていた自分が情けなくなった。と同時に何も考えず意のままに操られていた自分が愚かに思えた。
少し考えればわかったはずだ。どうして近況ノートのやり取りをすぐ削除していたのか。証拠を残さないためだ。自分の指示でボクが小説を書いていると他人に知られないように削除していたのだ。
「いや、もしあのやり取りを誰かに見られていたとしてもボクの潔白を完全に証明するのは難しいかも」
通りすがりが実はボクが作ったもうひとつのアカウントで、いかにも他者の指示で小説を書いているかのように自演していた、そう主張されたら弁解できるだろうか。なにしろボクにはもうひとつの規約違反、複数アカウント取得の罪まで背負わされているのだ。
「あのフォローや星も、通りすがりの仕業だったんだろうな」
もっと早く気づくべきだった、ボクの小説を評価しているユーザーの怪しさに。登録はほとんどが数日前か当日で、評価しているのはボクの小説だけなのだ。すでに多くのファンを持つネット上の有名人が書いた作品ならあり得るかもしれないが、ボクみたいに無名の作者が書いた小説でそんな現象が起きるはずがない。あのユーザーは全て通りすがりが作ったアカウントだったのだ。
「完全にだまされていたってわけか」
全てを理解した今、ボクにできることは何もなかった。このまま諦めるしかない。確かにボクは無実だ。しかしそれを証明する手段がないのだ。通りすがりの見事なまでの狡猾さには脱帽するしかなかった。
「しばらくネットはやめよう」
メールチェックなどの必要最低限の利用を除き、パソコンからもスマホからも遠ざかる日々が続いた。ネットは怖い、信用できない、その思いはなかなか消えなかった。
しかし日が経つにつれ現実の世界だって同じだと思うようになった。だまされて何百万円も失ったというニュースは毎日のように耳に入る。金ならまだいい。命を失う人だっている。
それに比べて自分はどうだろう。金も命も失ってはいない。それどころか一時ではあるがランキングの上位に食い込むという夢のような経験までさせてもらった。
「それにラノベの文章にもずいぶん馴染んだよなあ」
ネットの読者がどんなストーリーを好み、どんな文体を好むのか、その勉強までさせてもらった。通りすがりの行為は悪だ。だがその悪のおかげでボクのレベルは飛躍的に向上した。次に書く小説はきっと多くの読者を獲得できる、そんな自信さえも持てるようになっている。
「おお、ユーザー登録できるんだ」
運営によってアカウント削除されたら再登録はできないものだと思っていた。その為に小説サイトを渡り歩く作者もいると聞いている。しかしボクが使っていたサイトは同じメールアドレスでも再登録が可能だった。ただ同じユーザー名を使うのはさすがに気が引けるので別の名前で登録した。
「みんな頑張っているなあ」
登録してもまだ小説を書く気にはなれない。今はもっぱら読み専門。それも人気ジャンルから外れて星もフォローもゼロな作品ばかりを選んで読んでいる。
「ああ、また心を折られた作者がいるなあ」
数日前から読んでいる作者の近況ノートに記事が投稿されていた。
――ほとんど読まれないので撤退しようかと思います。短い間でしたがありがとうございました。
寝転んで読んでいたボクはノートパソコンの前に座り直すと、キーボードを叩いてコメントを書いた。その時のボクの顔にはきっと悪魔のような薄笑いが浮かんでいたことだろう。
――もしかしたら少しはお役に立てるかもしれません。
ネットの向こうの忠告者 沢田和早 @123456789
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