魚の目に水見えず

 新しい小説の連載を始めて10日が経っていた。毎日が楽しくて仕方がなかった。10話を投稿した昨日時点でPVは200を超えている。


「やっぱり凄いな、あの人は」


 何もかも通りすがりさんのおかげだった。ストーリーも舞台設定も登場人物もテーマも全て考えてくれた。ボクはただ教えられたままそれを文章にするだけでよかった。


 ――こんなに緻密なプロットが作れるのなら自分で小説を書けばいいんじゃないですか。

 ――いえいえ。私は読むのが好きなのです。書くのは好きではないのです。

 ――もったいないなあ。


 やり取りはいつも近況ノートで行なっていた。

 ひとつ気になることがあった。ボクがコメントに返信するとそれまでのコメントは全て削除されてしまうのだ。ある日気になってどうしてコメントを残しておかないのかと尋ねると、


 ――アドバイスをもらって書いていることを知った他の作者が「あの小説は他人からアイデアを横取りして書いている」と難癖を付けて来るかもしれませんからね。やり取りは残しておかないほうがいいでしょう。


 とその理由を教えてくれた。これほどボクのことを考えてくれる通りすがりさんは本当に神様に思えてしまった。


「ああ、この人も読むだけのユーザーなのかあ」


 気になる点はもうひとつあった。小説のフォロワーが読み専門ばかりなのだ。しかもユーザー登録した日付けはほとんどが数日前から十数日前。当日に登録して星を付けてくれた人もいる。そして全員ボクの小説だけをフォローして星を付けていた。


 ――フォロワーの方々にお礼をしたいんだけど、みんな小説を投稿してないし近況ノートも書いてないからコメントを書き込めないんです。どうすればいいかな。

 ――自分の近況ノートにお礼を書いておけばいいですよ。


 その通りにした。その記事に対してフォロワーからのコメントはなかった。彼らの目的はあくまでも読むことだけのようだ。


 連載は続いた。通りすがりさんの考えつくアイデアは留まるところを知らなかった。


 ――魔法使いを出しましょう。超強力な破壊魔法の持ち主ですが一発撃つと動けなくなる中途半端な少女。詠唱呪文は「えくすぷろーじょん」でどうですか。

 ――最初のクエストは巨大カエルの討伐でいきましょう。飲み込まれて全員唾液だらけになるのです。

 ――そろそろ近接戦闘タイプのキャラが欲しいですね。防御力最強でドMな令嬢って設定はかなりそそります。

 ――もう少しエロを利かせてもいいかもです。主人公にスティールのスキルを身に着けさせましょう。盗むのはもっぱら女性のパンツです。この程度なら表現規制に引っ掛かることはないはずです。


 どれもこれも素晴らしいアイデアばかりだった。そしてその全てが大当たりだった。PVもフォローも星も更新する毎に増えていく。


「ああ、やっぱり通りすがりさんは神だ。あの人と出会えたボクはなんて幸運なんだろう」


 高揚感に酔いしれる日々が続いた。しかしそれは長くは続かなかった。20話を超えたころから気になるコメントやレビューが増えてきたのだ。


 ――劣化作品なんか読みたくない。(5話についた応援コメント)

 ――ここまで似ているとわざとですね。読む価値なしです(星1レビュー)


 さすがに気になった。しかし言っている意味がわからない。通りすがりさんに尋ねると次のように教えてくれた。


 ――あなたの人気を妬んでいるのですよ。WEB小説界隈ではよくあることです。近況ノートとエピソードのコメントを『許可しない』に設定してみてはどうですか。そうすれば誰もコメントを書き込めません。レビューは拒否できませんが作者が削除できるので、星1のレビューは片っ端から削除すればOKです。何度もレビューをするユーザーはブロックすることもできますしね。


 さっそく実行した。効果は抜群だった。まるで側溝のドブさらいをしたかのようにボクの小説から汚いコメントは一掃された。

 レビューに関しては常に監視していて、星1を発見したら問答無用で削除しユーザーをブロックした。中には長々とレビューコメントを書いてくる者もいたが一切読まずに削除した。そんなもの読むだけムダだ。


 ――次はキャベツが襲って来るエピソードにしましょう。


 通りすがりさんは絶好調だ。そしてボクの小説も絶好調だ。星をくれるユーザーは数日前に登録してボクの小説しか読んでいない読み専門ばかりだけど、それでもランキングを順調に駆け上がっていく。この調子ならトップ10に入ることも夢ではないはず。そして書籍化の打診が来ることだって。


「ふっ、やはりこのボクには隠された力が秘められていたようだな」


 すっかり中二病である。この時のボクは完全に有頂天になっていた。天狗になっていた。今自分がいる世界がどれほど危うくてどれほど油断できないか、まったくわかっていなかった。だからこそそんな夢のような日々は唐突に瓦解したのだ。


「あれ、おかしいな」


 いつものように小説投稿サイトを開くと、いつも右上に表示されている「ワークスペース」の文字が「ログイン」に変わっていた。


「ログアウトした覚えはないんだけどなあ」


 奇妙に思いながらクリックしてメールアドレスとパスワードを入力する。だが「ログインできませんでした」と表示されるだけだ。何度やっても同じだ。


「直接行ってみるか」


 自分のトップページはブラウザのブックマークに登録してあるのでクリックする。表示されたページを見て我が目を疑った。


「ウ、ウソだろ!」


 そこに表示されていたのはいつもの見慣れたページではなく「お探しのページは見つかりませんでした」と書かれた、これまで一度も見たことのないページだった。


「どうして、どうして」


 何度もログインをやり直した。ダメだ。ブックマークからではなくアドレスを直接入力してみた。ダメだ。ない。ボクのページがない。小説もない。完全に消えてしまった。


「あの人に訊いてみよう、何か知っているかもしれない」


 通りすがりさんのページもブックマークに登録してある。クリックする。絶望がボクを襲った。表示されたのは「お探しのページは見つかりませんでした」という、先ほどまで嫌というほど見せられたあのページだ。


「通りすがりさんまで消えている。どうして。一体何が起こったっていうんだ」


 わからなかった。こうなった原因も、どうすれば元に戻るのかも、これから何をすればいいのかも、何もわからなかった。ボクにできたのは唇を震わせながらディスプレイを呆然と眺めることだけだった。

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