「みややんが悪いんだよ……あんなふうに、あの頃みたいに、私と一緒のことをするから——」


 私の手をそっと握る大きな手の、その尋常でない熱に背筋が震える。食われる。知ってる。それはかつて何度も経験した、「ごめんねうちもう我慢できない」のサイン。


「いやあの、待って? だってアナタ、さすがにいまそれは不義っていうか、旦那さんは」


 なんて、そんなことを言える筋合いがどこにある? 多様性だ。家族の形はいろいろで、細かい事情に踏み込むのは野暮ってものだ。ミウラは相変わらずのドブの瞳でひとこと、「彼ならいいの」と——いや「初めから大丈夫なようにしてあるから」と、どういう意味かはわからないけどこれだけはわかる。


 ミウラは昔からとんでもない女だ。

 彼女の食卓に叶えられなかった奇跡はなく、もうあの旧校舎にセミはいない。


 消えた。数年前、旧校舎を取り壊すと同時に近くの雑木林もなくして、今は新しい体育館が建っているのだとか。そう聞いた。本当かどうかは知らないけどどうでもいい。あのセミは本当にまずかった。口の中で命の限り鳴きまくって、そういえばあれは交尾のためにつがいを求める声なのだと、いまさらそんなことに思い当たる。


 人生最期の一週間、力一杯鳴いて喚きまくるのは、でも全部「セックスしたい」の大絶叫だと思うとなかなかおぞましい話だ。思春期の少女か。あの頃の私か。最期を恋の季節で終われる短い命の、その後腐れのなさが羨ましい。私も来世は食われて死にたい。ドブ色の目をしたデカ女に食われるのでも、その真似をする無能のチビの方でもいいけど、食われて死ぬなら見ずに済むから。

 〝それから〟を。

 ただれて拗れて、でもそのままじくじく膿み続けた死に損ない恋の、その後始末という名の第二部をやらずに済むから。


 ねっとりと重く輝くドブ色の瞳。かつて毎日向けられた地獄の底みたいな愛の、そのすべてを受け止めるだけの精力がいまの私にあるのか? このどこまでも細く小さく頼りない体で、どうしてあの嵐みたいな愛に耐えることができた?

 わからない。忘れた。少女に相応しくない場面はすべて削られ、その後にはただ美しい百合の丘だけが残って、でもそれが焼き尽くされた下からもぞもぞ這い出てきた青春の屍人ゾンビに、きっと私は感謝を捧げるべきなのだと思う。


 私には何もない。あの頃はまだ未来があって、でも今ではそれすら残りわずか——なんて言うには少し早すぎるけど、でも十七の頃と一緒というわけにはいかない。目減りした。七年というのは決して短くはない猶予で、それはミウラの与えてくれたものだ。

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