「——あのね、みややん。これはその、自分でなってみて初めて知ったんだけど」


 そう切り出す口調の軽妙さに、でもさっきまでのカラッとした晴れやかさは一切ない。

 じっとりと、ねばつくみたいな欲望の発露。抑え切れなくなった性欲が、全身の毛穴からフェロモンとしてジュクジュク噴き出ているのが見えて、だからその言葉の先に何が続くか、それはもう聞くまでもなくわかる気がした。

 ——正直、そんなの漫画の中だけの話だと思っていたけど。


「え、そんなすごいもんなの、人妻の性欲って」


 返事はなかった。ねっとり笑ってひとこと「おかえり、みややん」と——きっとこうなると信じていたと、その一杯を飲み干せば叶うはずだと、その言葉を聞いてようやく私は気づく。

 だめだこいつ、なんも変わってねえ——私とは違う。私とは別の意味で性欲が暴走していて、つまり私が「やりたい」と「やれそう」をごちゃごちゃ計算した末の妥協であったのに対し、彼女は「やりたい」と「やれそう」がぴったり寸分の狂いなく一致していた。ガチだ。ただの。私なんかとは違う本物のやつ。


 逃す気はなかった。逃したくなかった——そんな七年越しの本音がその目に滲む。

 それでもミウラからしてみれば、きっと一目瞭然だったのだろう。私の心——はともかく、体がそっちを向いていないことは。だから、一度は手放した。私の幸せを思えばこその決断だ。その先の後悔を、何度夢に見て悶え苦しんだかを、私はまるで知らないばかりか想像さえできない。

 私とは違う。想いの深さも、性愛の形も、人生への姿勢の本気度も。

 その辺、何も知らないまま私は「まあミウラなら私の倍以上の男からモテたんだろうな〜」とか、そういう人でなしみたいなことを呑気に考えて電話とかした。


 番号変わってなくてよかったー、じゃあないのだ。

 変えなかった。それだけを命綱に、失くしたら死ぬぐらいの覚悟で持ち続けた。ただの願掛け、空っぽのお守り、二度と鳴らない電話が彼女の〝それから〟のすべてだ。鳴らない電話を待つだけの人生でいいと、そう腹を括って「もう終わった人」としての人生を歩んで、あるいはそのおかげでいろいろ吹っ切れた部分はあっても、しかし事実上の屍人にはそれも詮ない話——。


 と。

 そのつもりで余生を過ごしていた矢先、唐突に鳴った、二度と鳴るはずのない電話。

 光の下へ、無限に広がる自由な空へと、一度は逃したはずの青い鳥。

 それがしかし、こうして自ら再び、この掌の中に舞い戻ってきた以上は。

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