いや、あれは本当にセックスだったか? 当時はまともな性知識がなくて、でもお互いそこで退くほどの理性も自制心もなく、おかげで性交というより「暴力、もしくは破壊」だったような気もするから、つまり客観的な事実としてはただ狂っていた。

 そんな狂った太陽と別れて以降、私は同性に欲情したことがない。

 大学に進み、周囲の人間関係が一新されて、男に手が届くようになった途端になりを潜めた欲求。それを「思春期の少女に特有の傾向」だなどと、何をもってそう断じることができる?


 簡単な話だ。人の性欲とは、ただ「やりたい欲求」によってのみ成るものではない。「やりたい欲求」と「やれそう度合い」、そのふたつをきっちりそろばん弾いて、現実的なところで手を打つことこそが性欲の本領——。

 とどのつまりは、妥協の結果。ミウラに曰く、それが私たちの青春の正体である——と、そう断言はしないまでもしかし人の過去とは容易にねじ曲がるもの。主観による偏向の影響を可能な限り排除する、つまり「安全側に倒す」なら妥協とのが妥当だ。


 ミウラは続ける。大人の余裕の滲んだ笑顔で、でもまるで介錯のようにバッサリと。


「友情に端を発した、依存と共犯と自己陶酔。だいたいそんなものじゃないかなぁ? 十代の想像力で捉えることのできる〝恋〟って」


 ——私の記憶の中の心象風景、百合の花咲く麗しの丘に、雨霰と降り注ぐ終末の火の矢。


 断末魔をあげてのたうつ大事な思い出。私の根幹、ずっとにしてきた聖域のような何かが、「性欲」の一語で焼け野原にされていくのがわかる。燃える。七年間、連絡を取らないことでこそ保たれてきた、甘い認識と都合のいい解釈が。いやーここまでボコボコにされるといっそ清々しいやアハハー、と、私は手元のグラスを思い切り煽る。

 自棄だった。もともとお酒はそんなに強い方ではなくて、例えばちょっと飲んだくらいで主観の論をぶち上げてしまう程度には下戸で、だからええいもうどうにでもなれ全部壊れろ世界と手にしたグラスに、そこまで注意が向いていようはずもない。


「あっ、みややん、待っ」


 聞こえたのはそこまでだった。

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