4
私はそれから、一度も裏庭に足を運ぶことはなかった。もう3週間も経過している。私の日常に、本来天野くんはいなかった。つまり、今のこの状態が普通なのだ。
帰り道を、トボトボと歩く。この日の空は、快晴だった。情熱的で激しい猩々緋と朱色が層になっている。いとも簡単に心を奪われた私は、見上げながら家を目指す。
いつかに天野くんは「空は繋がってなくてもいい」と言っていた。でも、繋がっている場合はどうなのだろう。私と彼の空は、確かに繋がっている。本当に、同じ空の下にいる。それなのに会うことはできない。余計に悲しくなった。手放した私に、嘆く権利なんてないはずなのに。
深い場所でため息をついた。それにしても、綺麗な空だ。もしもこの夕焼けが永遠に続いたら、私は感動を忘れてしまうのかな。そこまで考えて、あることに気づいてしまった。どうして私は、一番大切なところを見落としていたのだろう。答えはいつもすぐ側にあったのに。
私は道を引き返し、ローファーの持てる全速力で学校へ走った。直感がうずいた。衝動に乗せてでも、今でなければ後悔すると。汗で首元に髪がへばりつく。何度も都合よく隠したセミロングはもういらない。
赤信号が渡ろうとしたタイミングで青に変わる。私の今で、いいのかな。いいよね、きっとそう。
裏庭のさくらんぼは熟し始めていた。たどり着いた時、天野くんはいないと瞬時に判断した。時刻は十八時過ぎ。馬鹿だな、私は。今も、この前も。こんな時間にいるはずもないのに。過去が取り戻せるはずもないのに。
落胆してうつむいた先、桜の木の根元から何か黒いものが見える。もしかして、ローファーだろうか。それが動いたと思ったら、幹の後ろからひとが現れた。
「市川さん・・・?」
「天野くん、私・・・!」
走った直後だったため、咳込みをしてしまった。腰をかがめ、両手を膝にゆだねた。始めに切り出す言葉は考えていなかった。切らした息を整える間、沈黙がこの場を占める。
「私が前にした質問、覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。」
天野くんは優しい声と共に頷いた。爽やかな風が背中をさする。腰を起こし、膝に任せていた手を離した。
「私ね、永遠なんて存在しなくていいって気づいたの。」
「え・・・?」
それが、私自身で見出した、自分なりの答え。彼の両目を見つめ、逸らすことなく言葉を紡いだ。
「天野くんと出会ったあの日の夕焼けが約束されたものなら、心を奪われることはなかった。ただ通り過ぎて行くだけだったかもしれない。逆に、限りある世界だからこそ、明日が恋しくなったり、今日が名残惜しくなったりするんだね。有限の中、私は天野くんに出会えたんだ。」
私は屈託のない笑顔を浮かべた。こんなにも素直に笑えたのは、本当に久しぶりだ。今まで私は、永遠や絶対といった、無いものばかりを求めていた。でもそれは間違いだった。今在るものを見つめ直せば、何にも変えられないものたちが日々を包んでいた。
「今はね、この世界に、感謝したいんだ。不思議。ずっと嫌で仕方なかったのに、考え方一つで見える景色が一転したの。それも全部、天野くんのおか
げ!だからその、ありがとう。」
改めて言うお礼は照れくさかった。でも、彼のとびきりの笑顔を目にした時、緊張も恥ずかしさも、優しいものに変わった。
私は、もう一つ伝えなければいけないことを思い出した。嫌われてしまう不安よりも、この罪悪感からの脱却が勝ったのだ。
「それから、実は私、本名は市川カヅキって言います。今まで嘘ついててごめんなさい。友達と距離を取るために、ナツキって言ってたら、いつの間にか本当にナツキになろうとしてた。」
失望させてしまうかもしれない、という不安は、彼の柔らかな眼差しと共に溶かされていった。
「話しくれてありがとう。」
「そんな、もっと怒っていいんだよ?」
「僕の中の市川さんは、何も変わらないでしょ?」
その言葉のあたたかさに、二筋の雫が頰をすべった。本当の意味で、解放された気がした。私はカヅキでいいのだと認められた気がした。
「永遠の証明、あれからずっと考えてたけど、できるかもしれない。」
「本当に?」
私はこれ以上にないくらい、目を見開いた。
「自信はあるよ。でも、僕一人じゃ絶対にできないんだ。」
天野くんは、あの時と同じ、真っ直ぐな眼差しを返してみせた。
「僕が生涯、一人のひとだけを想うことができたら、永遠に続く愛も、存在すると思うんだ。」
彼が言うと、なんでもできそうな気がした。私たちは、なんの約束もできない一六歳。確かにそうだけど、信念は束縛できない。彼の想い人も、私が抱いた感情も。
スカートと共に私の瞳は切なく揺れ、日の沈みかけた空を映した。二つの異なる色から生まれた、この夕焼けを表現するのにピッタリな言葉を、私は知っている。
「市川カヅキさん、僕と永遠の証明をして下さい。」
たとえばこんな空だった。私の空に新しい光が重なり、また違った色を生み出していた。この夕焼けを表現するのにピッタリな言葉を、私たちは知っている。
ピンクオレンジ 和泉ハル @skyofglory0822
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