本当の言葉
「お義母様、こんにちは」
「あら凜音ちゃん、こんにちは。お勉強?」
「ええと、はい。センパイに見てもらいます」
「そう。あとでお菓子持っていくわね」
なんだかんだで、何度も凜音はうちに来ている。だから両親は凜音のことを知っているし、今は凜音に良い印象しかないらしい。
初めは、派手な奴だと怒っていた。別に俺の事を束縛するわけではないが、遊び呆けてばかりいる奴とつるんでいるのが心配という親の意見がわからないでもない。
でも、凜音はそういう子ではない。確かにメイクはきっちりしているし流行とかにもうるさい方だが、それもこれも凜音なりの他人との接し方だとわかったから。
「なにからする?」
「数学で。一番未来が見えないので」
「またか」
「数字が嫌いになりそうです……」
もうなってるかも、なんて呟きを零しながらも、凜音は座ろうともせずにただ扉の前で立っている。
「そこ、座れ」
「あ、はい。ありがとうございます」
真面目とは言えない。でも、決して礼儀がないわけでもない。
ただ、不器用なのだ。そんなところが可愛らしく感じてしまう。
「さっそく始めちゃいましょうか」
「俺はいいけど」
勉強は嫌いだ。必要なものだと割り切っているからしてはいるが、勉強を教えることも当然嫌いだ。価値観を否定したいをわけではないが、勉強を楽しいなんて言っている奴の気持ちは正直わからない。
そんな嫌いなものが、今は俺と凜音を繋いでくれる唯一のものだ。
このままもしも成績が落ち続けたら、凜音は俺と一緒にいてくれるのだろうか。そんな不安とも言えない感情が胸を締め付ける。
「……センパイ」
「ん、ごめん」
「ごめん、ですか。それを言ってほしいのはセンパイの方なんじゃないんですか?」
「えっ?」
「……謝るべきなのは、私の方です。センパイ」
こちらを見る凜音の表情には、いろんな感情が見えた。不安とも後悔とも、あるいはそのまた別のものともとれる感情。
きっと俺もこんな表情だ。
「何言ってんだ、凜音」
「センパイの告白、気づいてました。ちゃんと、好きだって」
「……そっか」
「そのうえで私は、センパイとは付き合いませんでした」
「ん、そっか。それならよかった。好きでもない……」
「ちがうんです。センパイ、ちがうんですよぉ……」
泣きそうな顔で。消えてしまいそうな声で。縋り付くように凜音はそう呟く。
「わたしは、センパイのこと、すきで、でも、わたしはだめだから、センパイにきらわれようとして、でも……」
「落ち着け。無理に話さなくていい。泣くな。泣くな」
凜音の泣き顔なんて、見たくなかった。笑顔だけが見れたら、それで十分だから。
違う、そんな理由じゃない。いつまでそうやって俺は自分に嘘を吐くつもりなのか。
知っていたから、だろう。好きなのが俺だけじゃないと知っていたから。付き合えない理由があったことも、わかっていた。
それと同時に、罪悪感だってあったからだ。その理由が凜音にあると思い込んで。自分の非など考えようともせずに、ただ自分の心のモヤを凜音のせいにし続けた。
「ぐすっ……うぅ……」
「……ごめんな」
「あや、まらないで、ください」
違うのは、俺の方だ。
抱きしめてやりたかった。泣いている顔を見たくないのは事実だから。でも、それをすることすら俺にはできなかった。
声を押し殺すようにして、でも溢れる涙が止まらないのだろう、凜音は静かに泣き続けた。
しばらくして、凜音は落ち着いた様子で口を開いた。
「私は、駄目なんです」
「駄目じゃない」
「でも、駄目なんです」
駄目なところを見つける方が難しい。これは俺の好意に曇った視点でなく、ただ客観的に見てそういう子なのだ。
「センパイと会った時のことは、覚えてますか?」
「……いや、あんまり。なんか勢いで押し切られた記憶はあるけど」
「あはは、そうですよね。そうだと思います。だって、サッカー部の先輩にすごい賢くて勉強見てくれるやつがいるって聞いて、どんな人か気になっただけですから」
「凜音もそういうタイプか」
「はい。ね、嫌な女でしょう?」
同級生ばかりではあったが、そういう輩がいなかったわけではない。まだ真剣に勉強を教わる気があるなら話は別だが、そうやって見世物にされるのは不愉快だった。
凜音が違う、というのは贔屓かもしれない。でも、凜音は違った。今までずっと、傍にいてくれたのだから。
「最初は、ウザ絡みしてみただけなんです。でもセンパイ、ちょっと鬱陶しそうにはしてましたけど相手してくれて。あー、なんかいいなって。好きだなって」
「うん、そっか」
「でも、後からそういうの全部聞いて。やっぱり私じゃ駄目だって」
「……そっか」
そんなことない、なんて言えなかった。もしここで否定したら、それはただの贔屓になってしまうから。そんなことをすればきっと、凜音に幻滅されてしまうから。
「確かに、最初は面倒な奴だったよ」
「そう、ですよね」
「でも、最初だけだ。ずっとじゃないんだ」
ずっと嫌いだったなら、俺は今こんなにも凜音のことを考えられていないだろう。俺が凜音を嫌いだったなら、両親は凜音を歓迎したりはしなかっただろう。俺が凜音を嫌っていたのなら、クラスで凜音のことを聞かれることなんてなかっただろう。
ずっと嫌いだったなら、凜音のことを好きになったりしなかっただろう。
「こうやって全部話してくれて。話すまで気づかないふりをしてたのに、全部抱え込ませてたのに。それでも俺を好きだって言ってくれて、嬉しかったよ」
「セン、パイ……」
「俺も、ごめんって言いたかったんだよ。そのうえで、知ってることも知ってたけど、ちゃんと伝えたかった」
きっと、俺の凜音に伝えるべきことだ。ずっと前から、この不器用な後輩が求めていた言葉だ。かなり遅くなってしまった、本当の言葉を。
「宮風凜音。お前が好きだ」
言葉そのものに意味なんてない。互いに知っていることを、ただ述べただけに過ぎない言葉だ。
たったそれだけが踏み出せなかった。たったそれだけの勇気がなかった。だからこんなに拗れてしまったんだ。本当はただ、凜音といれたらそれでよかったのに。
「でも、私は……!」
「なんだっていいんだ。最初とか出会いとか、そういうの」
そんなものは、自分に嘘を吐くための口実にしかなり得ない。本音は変わらないし、変えてはいけない。
「今から一分、喋るな」
「えっ……?」
「いいから」
「は、はい」
再び泣き出しそうな凜音を、今度はしっかり抱き寄せる。いつもは何気なく隣にいるから気づかなかった、凜音の匂い。それが今はとんでもなく近く感じてしまう。
「俺は、凜音の優しいところが好きだ。周りのこと見て、みんなのために動いてやれるところが好きだ。でも、だからって自分を後回しにしたり自分のことを隠したりするのは駄目だ。だからそれは、俺が一緒にいるから。ちゃんと凜音の考えてること、気づけるようになるから。それから、そうだな。凜音に心配かけさせないようにする。今日だって、成績下がったって言ったときに凜音がめちゃくちゃ心配してたのだってわかってる。ちゃんと勉強して、凜音にも教えれるようになる。だから……」
「……一分、経った」
「あ……」
大事なことを言えなかった。二分にすればよかった。
「……えっと、あと十秒」
「ありがとう」
なんとも情けない。でも、もう恥じることも無い気もしたし、これだけ弱いところだって見せた。まだまだ謝らないといけないことだってあるのだ、今更言ってられない。
だから。
「俺と、付き合ってほしい」
自然と、凜音を抱きしめる腕に力がこもる。苦しくないだろうか、というかそもそも嫌ではないだろうか。
そんなものは懸念で、凜音は泣きながら笑った。
「私なんかで、よければ」
「なんかじゃない。凜音のことが、好きだ」
「なっ……わ、私も、センパイのことが……好きです」
「俺も好き」
「私の方が」
「いや」
「もうっ! 私です!」
二人で言い合って、距離の近さに気づく。恥ずかしさもあったが、凜音は普段の自分の押しの強さに気がついたのか、さらに距離を詰めてきた。
「センパイから離れないとって、思ってたんです。だって、センパイは優しいから。私が傍について歩いても、絶対に受け入れてくれるのがわかってたから」
「それは、どうだろうな。凜音じゃなかったら拒絶してたのかもしれない」
「そうかも、ですね。ほんとに、今までありがとうございました」
「……今まで?」
「これからもずっと、センパイの傍にいます。センパイを頼ります。勉強、教えてもらいます。だからセンパイも私を使ってください。頼ってください」
「……ああ」
抱え込むな、と。そう言いたいのだ。
最初から互いにわかっていたことを言い合った。たったそれだけだ。不器用な後輩だと思っていたが、想いを伝えるのが下手なのは俺も同じらしい。
「センパイ、勉強しましょう!」
「そうだな。今日は今からずっと数学だ」
「うあぁ……鬼だ……」
「……で。今日は、泊まっていけ。あれだ、結構話してたから、その分補習するから」
「は、はいっ!」
こんなセンパイでも、もし凜音がいてくれるなら。もう少しくらい、できることを探してみようか。そんなことを考えながら、俺はこの不器用な後輩の隣に座った。
「成績は回復してきたな。これからもクラスの連中を頼む」
「はい」
「センパイはすごいんです。すごいんですよ、先生」
「やめてくれ凜音。というか、なんでついてきてるんだ……」
先生に軽く礼をして廊下へ出る。その半歩後ろを凜音がついてきた。どうやら、本当になんの理由もなくただ俺についてきていたらしい。
「……傍にいるって、約束したから」
「ん?」
「なんで、と聞かれましたのでー」
「ああ……」
真面目に答えられるとは思っていなかったので、一瞬何の話をしているのかがわからなかった。
「センパイ。なにがあっても、今度は私の意思でセンパイの傍にいますから」
「そうしてくれ。俺ももう、嘘は吐かない」
「たまにはいいんですよ?」
「たまにでも駄目だろ」
半歩後ろだった凜音が隣を歩く。歩幅は少しだけ小さい。だから、それに合わせてゆっくり歩くと、凜音は小さく微笑んだ。
「ずっと一緒ですよ。雪翔センパイ」
付き合いたくない後輩と 神凪柑奈 @Hohoemi
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