第98話 新作ラノベを書くための気持ちの整理―― レトロゲームのモンスター


 特別編の冒頭にも書いたけれど、田舎の親友との神社の境内でケンカした話。

 思わず頭に血が上ったあの日、あれこそが自己愛だと気がついた。


 自己愛――ナルシシズム。


 幼い頃に満たされなかった愛情、愛着欲求。

 他人から批判されるとすぐにでも仕返しをしたいという感情、母親に向かって泣きじゃくる幼児とか。

 常に優位性、つまり安心感を確認できないと気が済まない。


 赤ん坊が夜泣きするのも同じだと思う。


 たぶん、哺乳類に備わった当たり前の感覚、母猫を鳴いて呼び続けている子猫も同じだろう。




       *




 ――そういうところが自己愛だってーの、と言いたい!!

 

 何かにつけて『一般論』を言いつける。

 でも、それってさ、偏差値50という意味でしょう。

 そんなの偏差値20の人に対しては、小学生に大学入試試験を受験させるようなものだ。

 自己の優位性を常に確認しておかなければ、気が済まない。


 まるで、ガキ大将が周囲の人に因縁付けているような心理状態。


 甚だ迷惑。



 ――あたしがこの前、自転車で行ったのだけれど、帰り道。

 折角だから、いつもと違う道を通って、遠回りして帰ろうと思った時の出来事――。


 案の定、帰り道がまったくわからん。迷った。

 スマホも電池切れで、どうしよう。

 まあ、自宅から数時間内だから問題は無いけれど。

 なんかあった時には、来た道を戻ればいいだけだから。

 数時間のタイムロスは覚悟しなければならないけれど。


 その時、思った。


 あたしが道が分からないって状態は、結局、あたしの頭の中に地図が無いってことだと気がついた。

 それを、あたしは今まで出会ってきたナルシシズムの人達の頭の中と、それを重ねてみた。


 ああ……。この人達って、頭の中に『人間マップ』が無いんだ。

 

 だから、あたし以上に、人間関係に苦しんでいる。

 人間という存在の不確実性を客観視できないんだ。


 それは、まるで、レトロゲームでランダムに襲ってくるモンスターみたいな動きに見えているのだ。

 そう確信した。

 ――そういう人達からすれば、あたしのような存在は、たぶん『魔法の杖』に思えるのだろう。

 ある社会心理学者が著書に書いていた。神経症者は『魔法の杖』を相手に要求すると。

 みんなそれをもとめて、それを手に取りたい。手に取って、結果、思い上がりたい。

 思い上がって……それでどうしたいのだろう? 


 たぶん、何も考えはいないのだろう。

 

 自己愛――ナルシシズムというのもそうだ。

 兎に角、かまってもらいたい。助けてもらいたい。楽をして得たい。


 けれど、そういう努力をしないのが神経症者とか自己愛の人。


 なぜそうしないのか? 


 それは、努力をすれば自ずと、能力や才能の限界点が、自分自身に見えてしまうからである。『誇大な自己イメージ』が傷ついてしまうからである。




       *




 小学生の頃を思い出した。

 祖母が暮らす家に行った時のことである。時期は、はっきりとは覚えていない。


 なぜか、寿司がよく出る。しかも、出前の握り寿司である。

 あたしはその頃、エビのネタが好物だった。

 よく好んで食べていたことを思い出す。


 何度か通って、しばらくしてのこと。

 ……なんと、皿いっぱいにエビのネタが揃っていた時があったのだ!

 いくらエビのネタが好物だからといって、全部エビにしなくても……、あたしは小学生ながら、そう感じたのであった。


 今、その気持ちが、ようやく分かってきた――


『自己愛 褒めてもらいたい』


 祖母はあたしに、褒めてもらいたかったのだ。

 別にそんなことをしなくても、あたしは祖母が好きだった。

 ――そして、どうしても忘れてはいけないことを思い出したのである。


『手を握ることである』


 母方の祖母のお見舞いの時には、それができなかった。

 別人のようにやせ細っていたので、あまりのショックで怖くなって触れられなかった。

 今度はちゃんと……と、祖母の手を握った。

 祖母は、あたし手を握り返した。

 力が、全く無い。

 こんなにもなってしまったのだと、悟った。


 泣きそうになった――


 そしたら、

『泣いたらあかん……』

 祖母の最期の言葉である。


 あたしは……

「じゃあ、行くから……」

 と言って、部屋を急ぎ出た。

 病院の廊下の椅子に座り、あたしはそこで号泣した。

 もう、これで逢えないんだと分かったからである。


 ……こういう気持ちを未練というのでしょう。

 それとも哀愁なのか? 郷愁なのか?

 不思議なもので、もう逢えないんだ話が出来ないんだと気がついた相手を、


 どうしても、あたしは……


 ……もう書くのをやめよう。

 それじゃあ、駄目なんだとわかったのだから。




       *




 とにかく、人から褒めてもらいたい。

 褒めてもらわずには気がすまない。

 自己愛――ナルシシズムの人は、それが強迫的欲求なのです。

 自己の優位性を常に確認しておかないと、気がすまない。誇大な自己イメージの持ち主です。


 これが無意識の必要性――


 幼い頃の思い出したくない、忘れたい辛い記憶、怖さとか怒りとか、そういう負の感情がそういう人達には残っているのです。

 入院した時の生死の瀬戸際のような激痛と苦しさが、日常のふとした出来事で無意識から、意識に上がってくるのです。

 

 だから、ほんのちょっとでも批判されると、すぐにでも仕返ししなければ、気がすまない。

 無意識に深刻な劣等感を持っています。

 その仕返しの説明が物凄く難しい。

 ある人が、人生最後の説明という例えをしていて、その通りだと思った。

 わかりやすく書こう!


『一般論と偶然を装う』


 要するに、親切なふりをして相手を蔑むことで、満たされる自己愛なのです。

 だって、一般論としてそうなのだから、それを満たせないあなたが劣っているのでしょ? 

 という言い方をします。





 続く


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

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