第十章 神の声――(初回最終章)

第86話 ジャンヌ! どうか許してくれ!!



 泣くな、新子友花――


 我は、ちっとも熱くはないぞ。




 新子友花よ――

 お前が文化祭のために必死になって書いていた『あたらしい文芸』のメイン小説ときに、我は、お前にこんな言葉を言ってやったことがあった。


 覚えているか?


 べつに、覚えていなくてもいいが……というより忘れてくれてかまわない。

 なぜなら、我が広場で火刑に処されるときの生々しい気持ちを吐露して、お前に気分を悪くさせないようにと我が言った言葉なのだから。

 しかし、事実として、ちっとも熱くはなかった……。


 足元に敷かれた藁に、松明で火がつけられた――

 メラメラと藁は燃えて、その炎は我の両足を包み込んできた。

 周囲に見物していた者達からは……、

 ある人は喝采を叫びながら笑顔を見せていた。ある人は、我を罵りながら今までの戦火で抑え込んでいた怒りを、表情にあらわにした。

 ある人は、ただ無言で驚いていた。

 ある人は、見てはいけないものを見てしまっていることを自認した様子で、目を伏せていた。

 大声を出して泣き叫ぶ子供もいたし、隣には笑って見物している子供達もいた。


 泣いている人もいたっけ……。


 本当に泣いていたかは、よくは覚えていないのだが……。

 魔女狩りの処刑に、魔女に情けをかけてくる人間がいることに、我は足元の炎が柱を伝って太腿へ腰へ、腹へと上ってくる中で、

 まるで、羊の肉を焼いたような自分自身の肉が焼かれる臭いと、燻製のように昇ってくる煙の間から、その人を見つめて――


 こんな人もおったのだな……。


 別に嬉しくもない。

 どちらかというと、お前は変わっているな……と不思議に思った。



 やがて、炎は首を伝い顔を焼いてくる。

 呼吸するたびに炎が口に入り、喉を焼き、肺を焼いていく。

 髪の毛が焼かれていく。

 目も焦げていく……。


 自分が焼かれていく……。


 我は、その在り様すべてを淡々と頭の中で受け止めていた。

 それだけしかできない。

 拘束されていた我は火刑の最中さいちゅうに、ずっとこんなことを気にしていたのだ。



 新子友花よ――


 こんな生々しい話を、女子高生のお前にするのは気が引くのだけれど。

 ……まあ、お前は教会で毎朝礼拝を欠かすことなく、我を信心してくれているからな。

 少しくらいは我の我たる由縁ゆえん『魔女から聖女へ』と変身したその最初の場面を教えておくことは、

 ……決して、いけないことではないのだと思うのだよ。



 新子友花――


 こんな我とは正反対に、お前は大美和さくらの真ん前に立って号泣していたな。

 言っておくが、お前が号泣するほどの案件ではないぞ。


 大美和さくらがラノベ部に顔を出さないことはな……。

 先生にとって新子友花は部員でしかなく、生徒でしかないのだから。

 親子でも何でもないことを忘れるな。

 先生には、教諭としての契約があって、それは学園と結んでいる。


 ラノベ部の顧問を辞めるのか、教師を辞めるのか。

 お前は心配していたのだと思うけれど、辞めるってのはな……そう簡単にはできないのだ。


 辞めるというのはな……。

 例えると、チェスのキングをぬいてゲームしろといっているようなもので、キングがいなければゲームにならないだろう?

 教師に補欠がいないように、キングにも当然いない。

 補欠というのは、あらかじめ用意しておくものなのだ。

 それに、教会に行って戴冠式を終えなければ正式にキングとしては認められない。

 人々がではなくて神がである。

 カトリックの話――

 我の時代、シャルル7世の戴冠式の話だ。


 辞める、辞めないの話はいいとして、

 新子友花よ――

 お前も女子高生の3年生なのだから、もう少し落ち着こうぞ。

 慌てても、しょうがないのだから。



 ずっと前に教会で――

 我は、お前が献身的に祈りをささげていた後で、

 我は、『お前を助けようと思う』と心に決めたことがあった。

 その心に決めたことを、今こうしてお前に語り掛けている……。


 どうしても教えておきたいことがあるのだ。

 それを聞いてほしい。




       *




 ――火刑が佳境に迫っていた頃。

 我の体のほとんどは、どす黒くなって燃えカスとなっていた。

 わずかに意識があった。

 しかし、顔を動かす力もなく、ずっと俯いて……自分の体全身をただ見つめていた。


「ああ……燃えて。もうすぐ終わるんだ」


 心では……なんというか安堵感があった。

 熱くもないし、痛くもなかった。

 それらが意識に上がってくることもなく、あとは死ぬだけだった。


 そう思っていた……。


 司教たちは、我の前に大きな十字架を掲げ始めた。

 魔女を裁くは神のご意思――

 と言いたいのだろう。

 まあ、処刑の際には十字架はつきものだったから、我も両目を上目に挙げて掲げられた十字架を、唯じーっと見ていた。

 ああ……いつものようにやっているなと感心してしまった。


「はやく……おわらないか……な」


 奇跡にも焼きただれた喉、声帯から、かすかにだったけれど声が出せた。

 その声は、誰にも聞こえないくらいの小声だった。

 当然、周囲に来ていた見物人たちの耳には、まったく届いてはいないだろうと思っていた。


 

 どうして……こうなったんだろ?

 まあ、いいか、これで死ぬんだし。


 でも、どうしてなんだろな?

 まあ、でもまあ――


 我は間違っていたのか?

 違う……。間違ってはいないはずだ。


 我は戦火の劣勢を巻き返した……はずだ。

 


 脳だって当然のこと焼かれてしまっているのだけれど、それでも生命力は凄まじいものだ。

 自分が死ななければいけない理由を考えている我が、まだ……ここにいる。

 その時にな……、これは殉教による救いなのか?


 奇跡が起きたんだ――



「ジャンヌ!」



 男性の声だった。

 見物人の間から聞こえてきた。



「ジャンヌ! お前は魔女なんかじゃない」



 ……当たり前だ。

 我は……人間だ。



「ジャンヌ! お前は国を救った英雄だから……」



 その通りだぞ……。

 我は英雄だ。



「……死んでも、死んでからお前は必ず神に召される! ジャンヌ!」



 召されるか……。

 それは嬉しいな……。


 ……ありがとう。



「ジャンヌ! どうか許してくれ!! ドンレミの夜の教会で逢えなかったことを、どうか許してくれ……」



「……許して……くれ……?」

 その言葉は、見物人の間から鮮明に聞こえた。

 怒号と悲鳴が混ざり合った狂気の処刑場から、まるで尖った鋭利な剣が真っ直ぐに切り掛かって向かって来るように、我のただれた両耳の中に入ってくるのだ。



 ドンレミの夜の教会……?



「……誰だ?」

 見上げていた両目、十字架を見つめていた目を声が聞こえてくる方へと……、

 焼かれた身体からだでなんとか最後の力を振り絞り、その男の姿を見てやろうと思った。



 どうして……知っている?


 ドンレミの夜の……教会のことを……、

 このことは我と、


 幼馴染の彼……と……

 


「……」

 ああ、そうか。そういうことか。

「……ははっ」

 我はな、力尽きる最後に……なんと笑ってしまった。拭いてしまったんだぞ!

 ドンレミの夜の教会、幼馴染の彼――



 生きていたんだな――



 見物人の間から、身を迫り出して我を見つめている彼がいた。

 あの顔、よく覚えている。

 忘れようがない。

 忘れたくないと思ったから、覚えていようと。


 ずっと、心の中にひそかにしまっていた。

 戦火の中でも、時折思い出しては自分で自分を励まして……。



「……やっと逢えた」


 ずるいぞ……


 すっかり、

 死んだものだと……

 戦死したものだと思っていたのに……、


 生きていたんだな――



「ああ良かった。……神よ、……あなたに感謝します」





 続く


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

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