第85話 我は聖人ぞ!
「……まあ、先生は辞めませんから。祖父母にも墓前でそう言ったことですから。ご心配なきよう」
大美和さくら先生は、新子友花の顔を見つめたままうっすら微笑んだ。
「……なんだか、私はすっかりと聖人ジャンヌ・ダルクさまの信徒になってしまっていましたね。まあ、学園時代から祈ってきたからそうなのでしょうけれど……」
ふふっ……と、口角を上げて部員達にこれ以上心配かけないよう心掛けるのだ。
「せ……大美和さくら先生って。……決して聖人ジャンヌ・ダルクさまではないですって!」
ハンカチで両目をふきふきし終わった新子友花が、丁寧にそのハンカチをたたんで先生へと返した。
「……新子友花さん」
あなたって……本当にやさしい女の子なのですね。
大美和さくら先生は、心の中で彼女に清廉な気持ちを抱く。
こんな女の子が聖ジャンヌ・ブレアル学園にきてくれて、聖人ジャンヌ・ダルクさまに毎朝登校するときに祈ってくれて、
ラノベ部に入部してくれて……、
ありがとうという気持ちでいっぱいですよ。
「大美和さくら先生は、うんじゅ……27歳の国語教師で独身で[ユニクロ]を愛していて……」
「ふふっ……。よく知っていますね」
先生は新子友花への感謝の気持ちを、目一杯の笑顔をつくってプレゼントした。
「そうですね……その通りですよ! 大美和さくらは、聖人でもなんでもない普通の女性ですからね」
普通の女性……?
聖ジャンヌ・ブレアル学園の生徒時代に、学園祭のメインイベントを企画した大美和さくら。
先生になってから、学園祭のメインイベントに乱入して生徒達をドン引きさせたこともあった。
生徒達に自分の年齢を決して教えようとせず、ずっととぼけてきた大美和さくら先生だった。
これのどこが普通の女性なのか?
昔から強調は欠如を表すとは聞くけれど……
自分で自分のことを普通と称する大美和さくらは、やっぱし……
おもしろい先生だ!!
「大美和さくら先生……」
「もう、悲愴な気持ちはどこかに追いやってくださいね」
「せ……あの? ひそうってどういう意味ですか??」
新子友花が両目をパチパチさせて、先生に尋ねる。
すると――
「ふふっ……。ちゃんと国語の授業で復習してくださいね」
と、大美和さくら先生は言葉を誤魔化してしまった。
「……ごめんなさいね。……みんな」
向かいに座る忍海勇太と斜め向かいにの神殿愛の顔を見つめて、大美和さくら先生は――
「もういいかって。そう本気で思ったときに先生は教会で祈っていたんです。もしかしたら、大美和さくらは聖人ジャンヌ・ダルクさまが火刑に処されたように……、同じように私も処されたいなって……。こういうのを信仰心というのでしょうかね?」
先生は少し顔を俯かせると、自分の両膝をじっと見る。
膝の上で両手をモジモジさせている自分の指を見ながら、自分の無意識に内在している聖人ジャンヌ・ダルクさまへの信仰心を改めて客観視した。
「大美和さくら先生……、先生がいなくなっちゃったら」
「ふふっ……私は人間大美和さくらですよ! 新子友花さん」
「……に? でも、先生は先生だから」
「新子友花さん。ご心配なきよう―― 人間大美和さくらは先生を続けます」
「……続ける。ほっ……本当ですね!」
椅子から立ち上がった新子友花。
その言葉を待ってました! と言わんが如くとびきりの笑顔になる。
大美和さくら先生は笑顔の新子友花を見上げながら、
「はい。……続けます。大美和さくらはね……聖人ジャンヌ・ダルクさまから『工夫ぞ』って言われちゃいましたからね」
微笑みながら、ぶっちゃけトークに入る……のか?
「工夫? 聖人ジャンヌ・ダルクさまから?」
新子友花が聞き返した。
「ええ……工夫。生きる工夫ですね。ラノベ部も、私の知っているラノベ部から、あなた達若い人が主流となっていく新しいラノベ部に変えていくという……工夫です」
「工夫ですか?」
神殿愛も尋ねる。
「工夫……」
忍海勇太もそのキーワードを呟いた。
「ええ、そう言われちゃいました。聖人ジャンヌ・ダルクさまからねえ……」
ぶっちゃけトークを語る大美和さくら先生は、フルスロットルな口調で隠そうともせずに、自分が教会でジャンヌ・ダルクからの教えを語った。
「……あっ! これは私の主観でそう感じたことですからね。ふふっ……もしも聖人ジャンヌ・ダルクさまが本当に私の前に降臨なさってくれていたら……。もっともっと、いろんなアドバイスをもらったことでしょうけれど」
「だから、この話は私の主観――フィクションですよ♡」
「フィクションですよって、先生ってこのシリアスな部室の空気で……」
「大美和さくら先生……」
新子友花は知っていた。
先生は本当にジャンヌ・ダルクと逢ったんだと。
以前、先生はジャンヌ・ダルクと逢ったことがあると、自分に教えてくれたことがあった。その時、ジャンヌ・ダルクと逢ったことは、ラノベ部の他のみんなには言わないようにと約束したっけ。
だから、フィクション……。
想像上の作り話ということにして、自分達に話をしてくれたんだ。
「俺は始めからフィクションだと思っていた。だって、ここはラノベ部なんだから、ねえ? 先生……」
「ふふっ……そうですよね? 忍海勇太くん」
うそだ~。勇太様?
そうだ! そうだぞ! 神妙にしろよ勇太って!
お前、神妙って意味を知ってて言ってるのか?
んもー!!
だから、あたしのことをお前って言うな!! でしょ……友花?
愛は黙ってて! だわいさ!!
お前、語尾がおかしいぞ……やれやれ。
だから、あたしのことを勇太って!
お前って言うな!! と言いたいんだろ? お前はさ……
あー またお前って お前って……
んもー!!
(ほんとうに……仲が良いわね。青春まっしぐら、恋愛まっしぐらの聖ジャンヌ・ブレアル学園の生徒達だわ)
大美和さくら先生は笑った。
くすくすっと笑った。
まるで、劇団の喜劇の終わりの場面――大団円を眺めている観客の一人として、
新しいラノベ部への期待を胸に高ぶらせながら、嬉し楽しの、幸せな顧問ライフを眺めている。
すべては私の未熟さから始まった今回の騒動――
ごめんなさい――
私はね……、聖人じゃなくて人間なのですから。
「弱音を出すときもあるんです……」
部員達に聞こえないように小声で独り言を呟いた。
大美和さくら先生、肩で大きく息を吸った。
ふぅ……。
小さく息を出して、胸を撫で下ろす。
結局、先生は本当に聖人ジャンヌ・ダルクさまからアドバイスをもらったことを、部員達には教えなかった。
カトリックという一神教の聖ジャンヌ・ブレアル教会で、聖人ジャンヌ・ダルクさまを信じて祈るという行為が絶対であったとしても、
人間一人ひとりの神に対する祈りの行為は、人の数だけあるのであって、
それを一神教という括りで収めることは、日本人として神社仏閣など多神教を知っている大美和さくらからみれば、ダメだと思ったのだ。
私の前に姿を見せてくれたジャンヌ・ダルクは、私にとっての聖人なのだから、
聖人ジャンヌ・ダルクさまが私の前に姿をお見せになってくれたのは、私だったから、
だから、軽率に口にしてはいけないと思ったのだった。
大美和さくらは聖人ジャンヌ・ダルクさまとの会話を、『フィクション』と新子友花たちに語った――
それこそが、27歳になった彼女がようやく辿り着いた――工夫。
なのだろう……。
でもさ、27歳って――大美和さくらは若いよ♡
*
――どこからともなく声が聞こえてくる。
大美和さくらよ、
教会で我と言葉を交わしたことを、新子友花や部員達に喋ったとしても、
我は別に何とも思わんぞ。
秘密でも何でもないのだから――
我に祈り来る者にとっては、
我の声が聞こえたと信じる者もいようし、
やはり語りかけてはくれなかったと、そう思う者もいるだろう。
我はその両者に分けることなく祝福を与える……
大美和さくらよ、
お前が我の姿を見ることができたのは、特別な体験なのかもしれない。
別に我は、お前や新子友花の前にだけ姿を見せているのではないことを教えておこう。
我が幽霊となってから、最初に姿を見せたことがある人物はドンレミ時代の幼馴染の彼だったぞ――
まあ、この話はここではよそう。
それよりも大美和さくらよ、
生徒達の前で、自分は教師を辞めようかと思った……なんて、よく言えるなぁ。
その言葉は、本当に辞めようと思ったのか?
自己憐憫……辞めるのをとめてもらいたかったのか?
大美和さくらよ、大美和さくら先生よ――
国語教師として、この問題にどのような解答を出す?
お前が教会にいたとき、
新子友花に「私は先生だから……」と言って、後になって訂正した。
生徒の前で先生だからという言葉は、パワハラだろう。
生徒は先生に対して、何も言い返せなくなってしまうのだから……。
しかし、大美和さくらは瞬時に気がついた。
気がついたことには、我は誉めてやろうぞ。
新子友花にとって、皆にとって、
大美和さくら先生は掛け替えのないラノベ部顧問なのだから、
今後は、部員に対しては、生徒の前では、落ち着いて話をすることだ。
大美和さくらにとっての27歳――
これからの新しい人生に必要だろうと思う。
ところで――
我ジャンヌ・ダルクの火刑の正体を見破ったな……。
その解答が真実なのか否かについてだけど、我からはノーコメントと言わせてもらう。
我は聖人ぞ!
信徒の祈りと願いの数だけ我ジャンヌ・ダルクは存在している。
これは、我の身の程である。
転じて、
我の火刑の正体と自分の教師の姿勢を重ねたお前は、
我が教えた『工夫ぞ』という教えに、新しい教師の人生を見つけようと思ったのだろうな……
それならば、教会で我と対面し言葉を交わしたことは幸いだったのだろう。
火刑を経て、やがて無罪になり、
後に、列聖し神になったことは――
我も、
魔女になった人生も悪くはなかったな…… ははっ!!
笑い声の後、彼女の声は不思議な力で消えてしまった――
第九章 終わり
この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。
また、[ ]の内容は引用です。
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