第84話 聖人ジャンヌ・ダルクさま最大の謎……でしょう。


「せ……ジャンヌ・ダルクさまが」

 忍海勇太が驚いた。

 聖ジャンヌ・ブレアル学園でトップクラスの成績上位者である彼だから、ものすごく驚いたのだ。


 どうしてか……?


 ジャンヌ・ダルクはヨーロッパ史に名を遺した超有名人。

 世界史にも登場する歴史上の人物。

 テストにも出題される彼女の生涯は、英仏100年戦争の歴史の後期の内容の問題文にもなる。

 頭の良い彼なら当然知っている、暗記しているジャンヌ・ダルクの最後――

 魔女の烙印を押されて、広場で火刑に処されたこと。


 誰だってこう思う……

 死にたくて死んだんじゃない。

 彼女は殺されたんだと……。


 しかし、大美和さくら先生は真逆の解答をラノベ部員に話した。


『ジャンヌ・ダルクは死のうと思って死んでいった……火刑を受け入れた』


 まさに、逆説世界史だ――



「ええ……。先生にはね。よく、それがわかるのですよ」

 大美和さくら先生は、自分が言ったその言葉を否定するそぶりもなく、淡々と返事をしてから頷く。

「先生が、気がついたら教会で祈りを捧げていた。……無意識でしょうね。意識は邪魔だった。もう……これでいいかな? ……って。本気で思ったからこそ、私は気がついたら教会で祈っていた。聖人ジャンヌ・ダルクさまも私と同じ気持ちだろうな……と先生は確信しています」


「同じ気持ちですか……? どういう……」

 今度は、神殿愛が尋ねる。


 彼女も忍海勇太と同じく成績上位者だ。

 彼女だって世界史に書かれている英仏100年戦争の歴史くらい、簡単に暗記しているのだから。

 だからこそ、大美和さくら先生が仰る逆説世界史の話を、安易に信じたくはない。


 国語教師としても、それに教育者なのだから。

 なおのこと、先生の解答を聞きたかった。


「ええ。同じ……。聖人ジャンヌ・ダルクさまは戦乱を逃げずに生き抜こうと思ったでしょう。でも、最期は自分から火刑に飛び込もうと決断したのだと思います」

 教壇の前に立ちっぱなしだった大美和さくら先生が、とぼとぼと自分の席に向かいながら歩いていく。

 そして、先生は自席にゆっくりと座った。

「……これでも教師です。私もさすがに授業をおっぽりだしてはいませんでした……」

 椅子の上で足を閉じて、膝に両手を静かに乗せる。

「でも、部活動の顧問としての職責から逃げたことは事実でしょう。……理事会で、先生はその責任を追及されて、先生を辞めなくてはいけなかったのかもしれません」


「……そんなことは。大美和さくら先生がいなくなったら、ラノベ部はどうなるのですか?」

 新子友花が慌てて先生の席まで駆け寄る。

 両目に教会で見せたときと同じように、ウルウルと涙腺が緩みだしている。


「ふふ……。ご心配なく、新子友花さん」

 見上げる大美和さくら先生――


 涙もろい新子友花の顔をしばらく見る。

 しょうがない生徒ですね……というような、はにかんだ表情になる先生は、彼女の頭をさわる。

「ご心配なく……新子友花さん。……ちゃんと部活動の日誌には『しばらくは、部員たちによる努力学習』と書いていますから。つまりは自習ですね。先生がいなかった期間は、ずっと自習扱いとして記録されていますから。先生が学園を辞めるなんて……まあ奇想天外な都市伝説ですよ」

「……よ。よかったです」

 新子友花が笑った。

 笑った表情を見せたとき、彼女の両目から涙の筋が頬を伝った。

「そうですか。それは……よかったですか」

 大美和さくら先生は微笑みを見せる。

 新子友花を自分の隣の席に、彼女の自席に着席するようにね……とジェスチャーしながら椅子を引いた。


 忍海勇太、神殿愛、二人もそれぞれ自分の席に座る――


 ――みんな、自分の席に座ったことを確認した大美和さくら先生。

「よかった……ですか」

 微笑んだ口を紡ぐ先生。それからすぐに口を……重い、重くなった口を開ける。

「先生――大美和さくらはね、実は聖人ジャンヌ・ダルクさまのように、自分の教師人生を終わらせようと考えたのでしょう」

「……考えたのでしょう? 先生??」

 斜め向かいに座る神殿愛が、言葉の言い様に違和感を覚えた。

 自分の気持ちを考えを、まるで俯瞰しているような、客観的な表現で言っている先生の言葉に気がついたのだ。

 しかし、大美和さくら先生は、自分の言葉の違和感を修正することはしない。

「……無意識が、無意識が私の教師人生を終わらせようと、だから教会に行って気がついたら祈っていた。という意味ですよ……神殿愛さん」

「む……無意識がですか」

 無意識とは、意識できない思考や記憶のことである。

 自分で意識できないのだから、大美和さくら先生は自分の無意識の考え客観的に表現したのだった。


 大美和さくら先生は、一瞬斜め向かいに座っている神殿愛へ目配りしてから、

「聖人ジャンヌ・ダルクさま最大の謎……でしょう。私はそう思っています」

「……最大の謎? 聖人ジャンヌ・ダルクさまの……そんなのあるんですか?」

 自分の頭に浮かんだ知識をフル回転させる神殿愛だった。でもわからない。

「……どうしてジャンヌ・ダルクは火刑を受け入れたのか? 自ら望んで受け入れたのか? 罪状を認めれば罷免されていたことでしょう。なんたって国を救った英雄なのですから」

 再び、都市伝説のような奇々怪々な内容――ジャンヌ・ダルクの最期の“謎“について喋り進める。


「な……謎ですか? それって、本当の気持ちだったのですか? そうなのですか? 聖人ジャンヌ・ダルクさまが……」

 新子友花が少し慌てた。

 

 聖人ジャンヌ・ダルクさまが、自ら望んで死んでしまおうと本当に思っていたのか?

 聖人ジャンヌ・ダルクさまは、悲劇のヒロインではなかったのか?

 聖人ジャンヌ・ダルクさまは、救国の聖女として立派に自分の運命を受け入れたからこそ、天に召されたはずなのに……。


 信心深い新子友花の心がわずかにひび割れる。動揺してしまう。


「それに、本当は、権力者たちは彼女の死を見たくはなかったはずです」

 隣の座る新子友花にも視線を合わせた大美和さくら先生。

 けれど、先生は自分の話を……説を……淡々と話すのだった。

「人間ジャンヌ・ダルクは、火刑に処されて……苦しみ死んでいく姿を大衆に見せつけたかった」

 信仰心のある大美和さくら先生。

 あえてジャンヌ・ダルクの冠に聖人という敬称をつけなかった。

「……それが彼女にとっての、本気の怒りを見せつける最大の舞台だったのでしょう。それから彼女は死んで……彼のもとに行きたかったのでしょうね」


「彼……のもとってのは」

 神殿愛が尋ねた。

「人間ジャンヌ・ダルクにだって、恋愛のひとつやふたつ……ありましたから」

「えっ? ジャンヌ・ダルクって恋をするのですか」

 向かいに座る忍海勇太がびっくりした。

「はいな!」

 大美和さくら先生は彼に顔を向けると……。

「そりゃジャンヌ・ダルクだって乙女なのですからね。好きになった男性だっていたでしょう」

 グッジョブ!

 右手の親指を立てて、忍海勇太にプロポ……もとい、


『女の子だけの……ひ、み、つ♡』をアピール……

 ハイカラうんじゅっさい27号――参上!


 ……すぐに右手を膝の上に戻す。


「無意識って、そういう意味ではすごいですね。無意識ですから、意識には痛みも苦しみも、熱さも何もかも這い上がってこない。人間ジャンヌ・ダルクにとっては、淡々と死んでいく過程だけが脳に浮かんでいたことでしょう―― それは」


「それは?」

 思わず先生に向かって身体を迫り出してしまう新子友花。

 その姿に先生は少し驚いたのか、着席のまま少しだけ身を反らす。

「それは、私――大美和さくらが教会で十字を切って祈っていたときの無意識が、無意識がこう思ったことと同じなんだろうって。もう、先生を辞めようという……」


「……それ以上は! どうか大美和さくら先生……仰らないでください!」

 新子友花の両目には、大粒の涙が溜まっていた。


「……そ、そうですか。そうです……よねぇ」

 と言うと、大美和さくら先生は口を閉じる。

 唇を重く噛んでしばらくそのまま無言になってしまうのだった。

「……新子友花さん」

 また……私ってやっちゃったかな?

 ダメだな……。

 

 私……大美和さくらはねぇ。

 真剣に、これからのラノベ部の顧問としての身の処し方を模索していて必死だった……。



 先生の内心は、こんな言葉が頭の中をよぎっていた――


『だから、聖人ジャンヌ・ダルクさまに国語教師を辞めることを……真っ先に報告したかったのです』



 お世話になりました……という気持ちを聖人ジャンヌ・ダルクさまに最初に伝えようと思ったのだ。

「……新子友花さん。あなたは優しい女の子ですね。……ごめんなさい。こんな正直なことを先生の立場から言ってしまった私を」

 そして、大美和さくら先生は隣で今にも号泣してしまうかもしれない新子友花に、そっとハンカチを手渡したのだった。

 教会で彼女に渡したハンカチと同じものを――




 泣くな、新子友花――


 我はちっとも熱くはないぞ!




       *




 大美和さくら先生が話した謎について、詳しく書こう。


 聖人ジャンヌ・ダルクさまが火刑を受け入れたのは、簡単に言うと『もう、死にたかったから……』ということである。

 これを、


『巧妙に偽装された自殺』


 だと思っていい。

 つまり、他殺に見せかけて自殺した。

 自殺したかったということである。



 聖人ジャンヌ・ダルクさまの火刑は歴史の事実で、彼女は骨まで砕かれて死んでいった。

 これを刑の執行という視点で見れば、そうなのだろう。

 

 ジャンヌ・ダルクはカトリックに殺された――


 救国の聖女が、どうして処刑されなければいけないのか?

 彼女も牢獄の中で何度も考えたはずである。しかし、結果、

 罷免の書面にもサインすることなく、死んだ――


 この現象を教えてくれるのが『焼身自殺』である。

 なんで、わざわざ火を被って苦しんで死んでいくのだろうと思うだろう。

 けれど、焼身自殺している本人は無意識でそうしているのであって、熱くもなんともない。

 淡々と死んでいっているだけだ。

 

 こういうのを『怒り、攻撃性の置き換え』という。

 どういうことか?

 自分を悩み苦しませている相手に対して、自分が苦しんで死んでいく姿をみせることによって、その相手への怒りを表現しているのだ。

 

 これが、ジャンヌ・ダルクが火刑を受け入れたすべてだと作者は思っている。


 つまり、自分が苦しんで死んでいく姿を大衆に見せつけることによって、彼女は怒り――故郷の幼馴染の男の子との恋仲を引き裂かれてしまったことへの復讐心を、自分なりに見事に達成したのだ。

 それだけじゃないだろう……。自分の指揮下で死んでいった戦友達へ、さっさと会いに行きたかったのだろう。

 恥じて、頭を下げて、バカにされて、魔女にされて……。


 元魔女として生かされるくらいなら、無意識は積極的に自殺を選ぶのだろう。

 どうせ死ぬのだから、自分自身にとっていい形で死ぬことが、無意識にとっては重要なのだろう。

 


 魔女の烙印を押され、殺された自分を殺したのはお前達なのだぞ。


 

 その通りだと作者は思う。


 それから、ジャンヌ・ダルクはどうなったのか?

 天国に行ったのか?

 別の世界――パラレルワールドで生きているのか?

 生きているとしたら、どう生きているのか?


 幼馴染との恋仲はどうなって?


 おい! 聞けよ!!

 ジャンヌ・ダルクを死へと追いやってしまったには、まったくもって無関係の世界だ。

 

 思い出せ!

 ジャンヌ・ダルクが火刑によりただれた皮膚、顔を見るたびに、その大火傷の傷跡を見て驚くたびに、あなた達がジャンヌ・ダルクを殺したんだと気がつくことが、彼女への供養ではないか?




 神に愛され召されたジャンヌ・ダルクは――

 古い人生を終えて――


 これから新しい人生をパラレルワールドで生きていく――


 神に愛されたからこそ、ジャンヌ・ダルクは永遠に生きていく――

 幸せに生きていくことを願う――




 ナルシストは……ほっとけ。





 続く


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

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