第80話 新子友花さん。先生もね……、一人の人間なのですよ。


「新子友花さん……? あの、どうして……その泣いているのですか?」

 思わず、聞いてしまった。

「あの……、その……」

 言った途端に、言わなくてもわかるよね……と、瞬間に国語教師としてこれくらいの読解力もわからなくなってしまっている自分。

 聖ジャンヌ・ブレアル教会に来てからの自分のアタフタぶりに、心底先生が生徒の気持ちに気がつかなくてどうするんだ……、大美和さくら先生は扉からゆっくりとこちらに歩いてくる彼女に向けていた視線を、思わず床へとそらしてしまう。


「そんなの……」

 新子友花は両目から涙をどっと流しながら、制服のポケットからハンカチを取り出しては拭う。それでも涙は止まらずに、だからまた拭う……拭う。

「先生が部室に……。来ないからですって」

 ハンカチで拭いながら、自分が今こうして号泣している理由を、

「来ないから……だから。心配で……先生のせいだからですよ!」

 そして、言葉を濁すことも忘れて本音を吐いた。

「先生の……、の……バカッ」

 本音からの暴言。

 相手は先生――ラノベ部顧問であるのだから言葉使いには気をつけよう。

 と助言しても、もはや遅い……。


 新子友花が両手に握っているハンカチは、びっしょりとまるで雑巾掛けする前のそれのようである。

 教会の中央を歩いている彼女は、半狂乱なくらいに落ち着いてはいない。

 おそらく学園中を探しまくってから、教会に来て、そしたら大美和さくら先生を発見したのだろう。

 フルマラソンでゴールし終えた瞬間の、達成感のような気持ちが新子友花の脳内に、先生との思い出を走馬燈のように巡らせて……、んでも最後に暴言……。


「……バカッ、です……か」

 大美和さくら先生は、別に生徒の先生への暴言を叱咤しようとはしなかった。

 それもそのはずで、顧問であるにもかかわらず部活動に顔を出さない自分に当然非があるのだから、ここは先生としても非を受け入れて、あまんじて暴言を受け入れようと、

「ごめ……ん……な……」

 謝罪……、申し訳ない気持ち……、いや……日本語のすべを教える立場の国語教師としての返し言葉を反射的に口に出そうとした。

 出そうとしたのだけれど、思わず口ごもってしまう。

 大美和さくら先生は瞬間にこう思った――


『また、生徒を部員を……、苦しませてしまったんだ』


『私は……、先生失格だな』


 瞬間、先生の意識に上ってきた記憶――ラノベ部を新設する前の部活動、そう新聞部で自分が書いた記事で女子生徒を転校へと追いやってしまった記憶だ。

 私……またやっちゃったのかな?

 先生になっても何も変わっていないな……と。

 自分が書く文章で生徒を楽しませたい、だから生徒時代にラノベ部を新設したのに、顧問としてまた同じ失敗を繰り返している。

 読み手も書き手も楽しませることを目的としたラノベ部、でも今目の前にいる新子友花は泣きじゃくっているではないか。

 ラノベ部なのに、書き手である彼女が泣いている。どうして?


 自分のせいだからだ……


「あ……新子友花さん。どうか涙を」

 床に伏せていた視線をゆっくり上げる大美和さくら先生は、

「どうかね……。泣かないでください……」

 寂寥せきりょうな気持ちになる。

 顧問として部員に泣き止んでほしい。その一心な気持ちで新子友花に落ち着くようお願いをしたのだった。

 すでにびしょびしょのハンカチは使い物にはならなくなった様子で、新子友花は次に制服の袖で両目の涙を拭いとる。

「……はい。大美和さくら先生」

 新子友花は、いやいや先生のせいだからですよ! と感情的なツッコミをすることなく――

 しばらくしてから素直に落ち着き、泣き止んだ。


「……新子友花さん。……ごめんなさいね」

「はにゃ? ……どうして先生が謝るのですか?」


 ごめなさいと言ってから、両手をお腹に重ねてかしこまり頭を下げようとした大美和さくら先生だったが、新子友花から自分の行為に疑問を投げかけられたため、びっくりくりくり。

「ど……どうしてって」

 頭を元に戻して、今度は先生が両目から……ではなく、両目を速くパチパチとさせて瞬きしたのだった。



 ジャンヌ・ダルクさまは、もう消えていた――

 教会のステンドグラスは外から太陽の日により、きらびやかな7色に輝いて、その光がジャンヌ・ダルクがどこからか降臨してくるときに必ず座る場所――聖人ジャンヌ・ダルクさまの像の台に当たっている。

 像の台の上の聖人ジャンヌ・ダルクさまにも、ステンドグラスからの光が同じように当たっている。


 ……神々しいという言葉に相応しい光景。


 なのではあるのだけれど、そのような悠長な場面ではないのが、新子友花と大美和さくら先生の対面の場面だった。

「その……私は先生だからですよ」

 自分が謝ろうとしている理由を、謝る前に教えようとする大美和さくら先生。

「はい……存じています」

 新子友花は頷いた。

 でも、どうしていきなり畏まった言い方に変わった?


「せ……。いけませんね……」


 謝る理由を、説明をちゃんと教えようと思った大美和さくら先生だった。

 しかし、言葉を止める。

 先生、お腹に重ねていた両手を緩めると、肩の力を落とし直立姿勢になる。

「いけないです……よね」

 首を大きく左右に振る。

「先生だから……ってね。まったく理由にもなってもいないな」


 先生だから―― 先生として――

 なんだか中世の『免罪符』のように、これを買って所持していればあなたも天国に必ずいけますから。

 先生という身分を軽々しく使って、生徒に対してパワハラめいた説得を、理由と置き換えて教えようとしているなんて、それこそ先生失格だと。


「いけないですよね? 敬称を、自らが乱用してしまっては敬うかがみ自らが、その虚像が実像を超えてしまっては……愛する対象にもなりません」

 また教会の床を見つめる大美和さくら先生。

 こんな国語のテストに出てくるような内容の弱音を、先生は吐露してしまったのであった。




 どういうことか?

 それを、作者が説明しようと思う――


 この現象は『自己の優位性の確認』である。


 いきなり難しい言葉を出してしまったけれど、わかりやすく考えるには、敬称や蔑称はどうしてあるのか? を問うてほしい。

 ちなみに、【取材編】その一人旅こそが、聖人ジャンヌ・ダルクさまのお導きなのでしょうね―― という新子友花のスピンオフに詳しく載っています。

 読んでくださいな!


 読者に一番わかりやすく説明しようとすると、


『聖人ジャンヌ・ダルクはどうして、聖人を頭につけるのか?』


 である。

 ジャンヌ・ダルクは、魔女という蔑称から聖人という敬称へと昇格したとても珍しい歴史上の人物で、ジャンヌ・ダルクに聖人という敬称がついているのは、信者から見れば『自分たちよりも凄い人』だという自認である。

 神様なんだぞ……という思いを言葉にしたら、それが敬称をつけるという行為なのである。



 相手を名前で呼ばず、あだ名で呼ぶ人がたまにいる。

 無意識では対人恐怖症の人である。

 だから、やんわりとした敬称をつけてくる。本人にとっては愛称で呼んでいる気になっているのだけれど、その本質は蔑称である。

 どうしてか?

 名字で呼ばずに名前で呼んでくる人というのは、飼い犬や猫に好きな名前を付けるのと似ているからだ。

 同じように相手を動物に例える者もそうである。クマとかシカとかブタとか……。


 もしも、これを読んでくれている人が誰かを思い出して、その相手のことを動物扱いして呼んでいるのだとしたら、その時は、あなたの無意識には相当な怒りと恐怖心があると思ってほしい。

 蔑称をつけるのは、あなたがその人のことが嫌いで怖くて、そして関わりたくないと思っているからである。

 対等な関係を嫌って、相手よりも優位に立ちたいという強迫的欲求。

 そうしなければ相手とコミュニケーションできない……くらいの恐怖感が心――無意識にはある。


「その……私は先生だからですよ」


 と言った大美和さくらは、自分を先生だからと自負することによって、生徒との関係に一定の“距離感”を生み出そうとしたのだ。

 自分で自分を先生と称することによって、神殿愛に部室で酷いことを言ってしまったことの負い目を、先生だからと自ら名乗ることで、生徒と教師との間に生まれてしまった距離の近さを埋めようとした無意識の行為なのである。

 そして、先生だから謝るという理由の中に、『謝るけれど、私は先生ですからね』という本心を隠している。

 表面的には良い人の行為、でも内面には教師としての本分をこっそりと植え付けている。



 これすべて、に好かれようとしている言動――



 大美和さくらは、自分は良い先生と思われたい。

 当然の気持ちといえば、それまでであるのだけれど……。

 その気持ちは、私は生徒とは友達関係にはなってはいけない、先に生まれた者として教える関係を瞬間的に新子友花の疑問から思い出したからだろう。

 先生は教育者で指導者という立場であり、大人と子供は友達ではいけない。

 良い先生とは立場に甘んじてはいけない。


 聖人ジャンヌ・ダルクさまは、決して「我は聖人ぞな!」とは言わないから。


 でも、生徒達に慕われているくらいに先生としては優秀なのだと、作者は彼女を称したい!

(説明が長くなりました……)




「新子友花さん。先生もね……、一人の人間なのですよ」

 下ろしていた両手を胸の前で、自らをハグするかのように優しく組む。

「先生?」

 新子友花はかなり驚いた。

 顎に当てて考え事をする大美和さくら先生の仕草は部室でよく見ていたけれど、先生が腕を組む姿は新鮮だった。

「私もね……」

 そんな彼女の気持ちを察することなく、

「私も、あなたと同じように、こうして先生になっても悩むこともあるし、怒ることもあるのですよ」

 ついさっきまで、自分は先生だからといってしまい……反省していたけれど、先生も人の子だから……というような弱音を吐いた大美和さくら先生。

「聖人ジャンヌ・ダルクさまも、おそらく――」

 腕を組んだままに、後ろに振り替える大美和さくら先生は、聖人ジャンヌ・ダルクさまの像を見上げて、聖人と先生を重ねたのだった……。


 いやいや……全然違うと思うよ。




       *




「あの……ちょっと聞いてください。大美和さくら先生」

「あ……はいはい。なんでしょうか?」

 聖人ジャンヌ・ダルクさまの像を見上げながら、それも腕を組んで思いふけっている先生の背中を、新子友花がツンツンと突いた。

 すると先生、あ……そうでしたね。とさっきまでずっとシリアスな展開だった教会内での自分たち二人のやりとりを思い出したみたいで、くるりとターンして向きを変える。

 国語のさ……、「はい」は一回でお願いします。


「あたしの兄の話ですけれど……」


 新子友花、突然こんなことを言ったのだった。

「お兄さん?」

 組んでいた両腕を緩めると、左手の人差し指を顎に当てる。

 考えるときの先生の癖のポーズである。

「はい」

 大きく首を振る。

 話の展開の違いっぷりなんて気にすることもなく、また説明を先につけることもなく。

「新子友花さんのお兄さんは、たしか……」

「はい。入院していました」

「……確か、そうそう脳梗塞でしたね?」

 大美和さくら先生は思い出した。

 顎から指を放すと、手のひらをパチンと合わせた。

 あれは文化祭だ前だったか?

 ラノベ部の文芸誌『あたらしい文芸』に載せるテーマをみんなで話し合っていたときだ。新子友花が教えてくれた兄の話を、先生は記憶を蘇らせた。


「はい、兄の新子友幸あたらしともゆきは脳梗塞で入院していました」


「……そうでしたよね」

 淡々と兄の話題を続ける新子友花――

 表情も真顔だ。

「はい。入院していました」

「ええ……教えてもらいました……よね」

 いったい、どういう話題を振りたいのか?

 入院の話だから、笑い話じゃないだろう。かといって神妙な話を……この教会で、このタイミングで?

 いまだ彼女の意図が見つけられない大美和さくら先生は、合していた両手を開いていく。

 しかし、さすが国語教師だった。


「……いました? ですか??」


「はい、そうです」

 新子友花は大きく頷く。けれど、表情は真顔のままで変わらない。

「退院なさったって……ことですか」

「はい」

「そ、そうなのですか」

「はい」


 真顔のままで、淡々と返事をする新子友花。

 その姿に、大美和さくら先生も、

「……それはよかったです。……と言ってもいいのでしょうか?」

 さすがに、ここで聞かなければこの話はどっちに転ぶかわからない……。

 と、両手をゆっくり更に広げながら……、ある意味恐る恐る尋ねてみた。

「自宅療養とか?」

 どういうことか?

 例えば、ただの検査入院だったのに、なぜか個室病棟へしばらく泊まることになった。

 本人は共同病棟に入院すると聞いていたから、驚いている。

 この瞬間、勘のいい読者だったらなんとなく理解できると思う。


 この入院患者は、長くないんだ……。

 だから、別格扱いで個室に入院できたんだと。


「いいえ! 大美和さくら先生。兄の退院は手の施しようがなくなったので残りの人生は自宅で……とか、そういう末期症状でなくて、単なる快気による退院です」

 新子友花は兄の退院を吉報というかたちで先生に教えた。

 ……と、真顔は変わることなくてでもある。

「そ、それはよかったじゃないですか」

 暗い話のほうじゃなくて……よかった。

 先生も一安心した様子で、ほっと肩で大きく深呼吸。

「まだ、しばらくは安静にとのことですが、もう問題はないと――」

 

「……そうですか。よかったですね。新子友花さん」

 もしかして……明るい話題に変えたかった?

 大美和さくら先生は、教会に入ってきたときに泣きじゃくっていた新子友花の姿をふと思い出す。

 そして、同時に「先生だから……」と言ってしまった自分も思い出した。


 生徒に教えられることもある……


 ラノベ部で起こしたところから始まった教会の顛末を、大美和さくら先生は、先生だからこそ……顧問としてちゃんと部活動に戻らなきゃいけないのだと、心の中で自認したのだった。





 続く


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る