第81話 ……じゃあさ! 先生は、どうなのだわいさ!!
「新子友花さん。あなたが毎朝欠かさず、この教会で祈り続けたからこそ、お兄さんの病気も回復していったのでしょうね」
気落ちしていた大美和さくら先生だったけれど、その気持ちは新子友花が教えてくれた兄の病気回復の話を聞いて、すっかり元に戻った様子である。
だら~んと垂らしていた両手をお腹の上に重ねる。
背筋も伸ばして姿勢よく直立、先生として見た目で落第点を生徒に見せてはいけないのだ。
「……あたしが毎朝、聖人ジャンヌ・ダルクさまに祈り続けていたのは、あたしの心の中のモヤモヤを忘れたいがための行為で……、だと思っています」
新子友花は両手を左右に振りながら、少し赤く照れながら大美和さくら先生からの頑張ったのですね……という奨励の言葉を遠慮、謙遜してみせた。
「そんなことはありませんって」
ふふっ……
大美和さくら先生は、彼女が見せた女子高生の初々しさのある可愛い仕草に聖人ジャンヌ・ダルクさまに祈りが通じた結果なのだと、改めて確信する。
でもね……。
この『新子友花』のラノベの一番最初に登場した教会で祈りを捧げていた彼女の内心はというと、学園のテストの成績が全く伸びないから学園をジャンヌ・ダルクの火刑のように燃やしてくれ!
……という、初々しさとはまったく真逆な、自己中心的そのもので身勝手なお願い事だったのだけれど。
その話は、今は兄の快気の手前横に置いておこう。
「そうでしょうか……」
大美和さくら先生は、またゆっくりと後ろに身体を向けた。
見上げる先に見えるのは、勿論、聖人ジャンヌ・ダルクさまの像。
ステンドグラスから差し込んでくる7色の光に照らされている、神々しい聖人さま。聖ジャンヌ・ブレアル学園の女神――
「そうですよ……。ちゃんと聖人ジャンヌ・ダルクさまに、新子友花さんの祈りが通じたのだと思います」
「大美和さくら先生……。あ……あたしは祈っていただけで、でも具体的には何もしていません……」
新子友花も先生と同じように、聖人ジャンヌ・ダルクさまの像に視線を上げる。
「いいえ、違います。……と言いましょう」
顔をゆっくりチラリと、後ろにいる彼女に向ける大美和さくら先生。
「新子友花さんは祈るという行為で、しっかりと責任を果たしたのではないでしょうか」
「祈る……。責任を果たした……ですか?」
少しびっくりしてしまう新子友花だった。
そりゃ通学する度に、聖ジャンヌ・ブレアル教会に通っては最前列の長椅子に座って十字を切って祈り続けてきたけれど。自分でも信心深いとは思っているけれど。
だからといって、信じる者は救われるとはよく言ったもんだけれど……、信じて祈ったからといって物事が自分にとって上手くいくなんて、そこまであたしは狂信者ではないのだから。
先生は、祈るが責任を果たしたと仰ったけれど、祈りなんて具体的には何も行っていないのと同じなんじゃないのか?
というよりも、祈るという行為は実際に病院で治療を続けてきた自分の兄から見れば、無責任な言い訳に見えるだろう。
自分は結局のところ、祈りに逃避していただけなんだと……新子友花は心の奥底で、そうぼんやりと気がついてしまうのであった。
「脳梗塞が治ると信じていたからこそ、祈るという行為で自分にウソをつきたくなかった……」
大美和さくら先生は聖人ジャンヌ・ダルクさまの像から、また新子友花が立つ後ろへ、くるりと向きを変えてから、
「新子友花さん……。先生もそりゃ祈ったからといって病気が治るとはとても信じきれませんよ。でもね……、祈らないより祈ったあなたは、先生は無関心を装って逃げるような人達とは違うあなたの心の強さを感じるのです。よく言うじゃありませんか……待つのも勇気って」
優しく彼女の顔を見つめながら大美和さくら先生は、心の中で『よく待ちましたね……』と褒めたかったのだ。
――世の中には身近な人が死ぬという現象を恐れて、こんなに重い病気だとは思っていなかった……と、気づかないフリをして、お見舞いの気持ちも言葉も掛けない人がいるということを知っておくことは、今後のためにもなると思う。
そういう人は、自分の考えがすべての人。自己愛――ナルシシズム。つまりはナルシストである。
ナルシストというのは無意識の中に自己蔑視を抑圧していて、他人に対する潜在的な恐怖心がある。
だから、それを意識したくないがために、中途半端に人に関わって中途半端に人から逃げる。
要するに、現実に触れることが怖くてフィクションの世界で生きている人である。
死は最大の現実的な現象だ。
死ぬのが怖いと思っているのは病床に寝ている患者であり、患者に言ってあげる励ましの言葉もわからないナルシストは最低だと思う。
「……あたしの祈りって、意味があったのでしょうか」
「意味があったから、お兄さんが快気したのだと思いますよ。もちろん、お兄さん自身の病気との闘いの結果ですけれどね。よく待ちましたね……新子友花さん」
新子友花の顔を微笑んだまま見つめたままで、大美和さくら先生は心の中にあった気持ちをここで吐露した。
「……はい、ありがとうございます。大美和さくら先生」
一方の新子友花はというと、腰まで伸びる長ロングヘアーで、地毛の金髪の自分の髪の毛を指でくるくると回して、恥ずかしさを見せながら先生にお礼の気持ちを言ったのだった。
「新子友花さんは立派ですよ……」
また、ふふっ……と大美和さくら先生は微笑んで、
そしたら――
「……じゃあさ! 先生は、どうなのだわいさ!!」
突如、語尾がおかしくなる新子友花。
褒められた気持ちを反故にするようなものの言い様に変わってしまった。
なに? この展開?
「……」
大美和さくら先生は、当然のこと絶句した。
*
「あ……新子友花さん? 落ち着いて……ましょうね」
ください……と言えずに口を閉じる。
先生も語尾がおかしくなってしまった。
まるで青天の霹靂の如く、新子友花の口調の変わり様にびっくり仰天驚いてしまったからだ。
「お、落ち着いているってだわさっ!」
いや、絶対に落ち着いていないから……。
新子友花の頬に見える何やら変な汗が数滴。その汗がついさっき先生から褒めらことで赤面した顔とコラボレーションしている。
褒められての緊張か?
少し違う……
今までも新子友花の語尾がおかしくなることは、よくあった。
どうしておかしくなるかと聞かれれば、真面目な気持ちに成り過ぎた結果による逆ギレである。
では、何に切れちゃったのか? それは――
「せ……先生ってば、じゃない! ……じゃんか!! あたしのことじゃなくて、……あたしは大美和さくら先生を心配して教会に来たんでしょ?」
である。
つまり本末転倒になっていることを、大美和さくら先生を心配していた自分なのに、いつの間にか先生に褒められている自分になっていたからである。
「あ……あたしが兄の話を振ったのは、大美和さくら先生! まだあんた生きてるじゃんかって……ごめんなさい。言葉が行き過ぎて……。否だ……兄の新子友幸もまだまだ生きているって。あたしって何言ってんだ?」
「新子友花さん?」
「だからっ! あたしが言いたいことは、とどのつまり……だわさ! 聖人ジャンヌ・ダルクさまは死んじゃったけど、大美和さくらは大したことないって。……ごめんなさい。先生つけるの忘れてました。……だからっ! つまり、その……だわさ!!」
ぜーぜー
大きく肩を揺らして呼吸を落ち着かせようと新子友花。
教会で大美和さくら先生を発見した安堵感から、緊張の糸がほぐれたことで逆ギレヴァージョンの真骨頂。
そのせいで、結局は自分の言いたいことを正確に伝えることができない……。
「……その、とにかく……落ち着いてください。とにかく……」
なんだか先生の頬にも、変な汗数滴が浮いている。
「は……はい。わかりました。……“うさぎにつの”にします!」
意味不明な返事を――
新子友花が言いたかったのは、とにかく自分は落ち着きます。……である。
*
――しばらくして、教会内に沈黙が戻る。
聖ジャンヌ・ブレアル教会は由緒正しい教会なのですから、私語を謹んで恐縮しなくてはいけませんよ。
「落ち着きましたか? 新子友花さん」
大美和さくら先生はハンカチを新子友花に渡しながら尋ねた。
「はい……。なんとか」
自分のハンカチは泣きじゃくったときに使用して、ビショビショになってしまった。
新子友花は先生から借りたハンカチで、頬の変な汗を拭い取る。
逆立っていた金髪の地毛も手櫛で整える。それから……
「……あの、大美和さくら先生! もうひとつ聞いてください」
「まだ、何か?」
「……はい」
ハンカチを先生に返すと、新子友花はスタスタと歩き始めた。
向かった先は最前列の長椅子、いつも自分が祈っている席だった。
新子友花はその席に座って、素早く十字を切る。それから両手を握り祈りのポーズをつくったのだった。
「あの……」
きょとんと彼女の姿を見つめる大美和さくら先生。
先生も最前列に向かって歩み始めた。
「ああ、聖人ジャンヌ・ダルクさまは仰りました……」
新子友花は両眼を閉じて、祈りの言葉を言い始めた。
「お……仰ったのですか?」
大美和さくら先生、最前列まで来ると新子友花と対称にある長椅子に着席した。
「我のこれから味わう苦しみ――火刑は、我は何も……ちっとも熱くはないのだと断言しよう」
新子友花は祈りの言葉を続ける――
「聖人ジャンヌ・ダルクさまの、最後の言葉の章ですね……」
それは礼拝の授業のときに暗記させられる、聖ジャンヌ・ブレアル学園にとってなくてはならない存在、神であり聖女であり――聖人ジャンヌ・ダルクに捧げる祈りの言葉だ。
「……はい」
目を閉じたまま、新子友花がコクりと頷いた。
「……」
その姿を見ると大美和さくら先生も、聖人ジャンヌ・ダルクさまの像に向かって十字を切った。
十字を切ってから、新子友花と同じく目を閉じて両手を握る。
「我はこれから、炎に焼かれて息絶える。よく聞け! 物珍しさに魔女狩りの欲望に浸されている大衆よ! 我はこれから炎に焼かれて死のうと思う。それは、お前達には苦しみと見えるだろう。悲しみ哀れみと思えるだろう」
新子友花がスラスラと最後の章の言葉を発する。
続いて――
「だが、我自身はそうは感じぬし思わない」
大美和さくら先生が最後の章の言葉を発した。
先生は元は聖ジャンヌ・ブレアル学園の生徒である。当然のこと先生も暗記しているし、国語教師となった今でも忘れずに唱えられるのだ。
「なぜなら……我はすでに大天使。神。主の姿を牢獄の中で見て、そして祝福を賜ったのだから」
先生は言葉を続けた。
新子友花が、
「我はこれから、火刑に処される……だが」
先生と交代して最後の章の言葉を発する。
「我の肉体は今ここに焼かれようとも、我の志――祖国フランスを死守したという歴史と共に、今息絶えようとも、決して……」
新子友花はそう発してから、両目を開ける。
「死なぬのだから……」
聖人ジャンヌ・ダルクさまの像を見上げて、声を震わせて感情を込めたのだった。
大美和さくら先生――
「……さあ、死のうとするか」
先生も新子友花と同じように両目を開けると、聖人ジャンヌ・ダルクさまの像を見上げた。
そして、二人は7色に光り輝いている神――ジャンヌ・ダルクの悲運の最期の情景を心の中に蘇らせるのだった。
「死んで、でも、死なぬこの我の気持ちを祖国フランスよ。どうか――」
新子友花。
「どうか――」
大美和さくら先生。
「どうか―― 無念に死んでいった者、そして、潔く戦い抜いて死んでいった者達のために」
「どうか――」
「どうか―― 我も同じくこの十字に切った祈りの向こうに、果てにある主よ」
「どうか―― お救いください。私達を褒めてください」
「そうすれば……、我は……私ジャンヌ・ダルクは幸せに死ねるのです……から」
新子友花は両手を放すと、再び胸前で十字を切った。
「……新子友花さん、よく暗記していますね」
同じく胸前で十字を切った大美和さくら先生、顔を横に座る彼女に向けて小さく微笑んだ。
「……と、当然です。私は聖人ジャンヌ・ダルクさまを信じています……から」
指で頬を触り、また先生に褒められたことに対して、今度は逆ギレすることなく静かに受容する。
聖人ジャンヌ・ダルクさまの苦難に比べたら、先生は大丈夫ですよね?
と……、新子友花は言いたかったのだ。
「ええ……。そうでしたね」
また、生徒に教えられてしまった。
と……、大美和さくら先生は思った。
こんなにまで、私のことを思ってくれていたなんて――
自分もそうだった。
学園の生徒ときに、必死になって聖人ジャンヌ・ダルクさまの言葉を暗記したっけ。
なんだか、あの頃の私が、時を越えて今の私を励まそうとしているのかもしれない。
大美和さくら先生は隣に座る新子友花の姿に、過去の自分を重ねたのだった。
続く
この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。
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