第36話
峰本の話をしたいと言ったらすぐに了承してくれて、そのすぐ翌日には近くのファストフード店で彼と向かい合っていた。
中村は親切で、行動が早い。
「で、峰本の話って何? こないだのメモのこと?」
「え、いや、ううん。メモのことはちょっと待って」
そういえば墓参りに行けって言われていたんだった。まだ行っていない。今後行くのかどうかもわからない。でも今日は、そんなお悩み相談に来てもらったわけじゃないんだ。
「こないださ、峰本が私のことずっと好きだったんじゃないかって言ってたじゃん? あの話、詳しく教えてほしくて。なんでそう思ったのかとか、峰本がなに言ってたかとか」
本当は最初から中村の話を聞こうと思っていたわけじゃなかった。
翔のことを思い出す材料になればと思って、高校のときにデートしたところへ行ってみようと思った。
何回か下手に棒を振り回したビリヤード。一緒に勉強をしたカラオケ。待ち合わせに使った本屋さん。
でも、どこにも辿り着くことができなかった。
降りた駅はよく覚えていた。そこから微かな記憶をたよりに待ち合わせの本屋を捜してみたけれど、一年半という短い間に閉店してしまったらしく、コンクリートの建物にはおんぼろな看板だけが残っていた。
そこから歩いた道も、覚えているつもりだった。三本くらい先の細い道を右に曲がって、大通りに出て、道を渡って少し歩いたところにあるカラオケ。
でもその辺りにはカラオケなんていっぱいあって、二人で入ったのがどこの店だったのかさっぱり思い出せなかった。
最後にビリヤード場を捜そうと思ったのだけれど、これにいたってはどこの道を通ってどこの店に入ったのかも、さっぱり覚えていなかった。何組ものカップルが楽しんでいた雰囲気だけは覚えているのに、外観とか店の名前とか、手がかりになりそうなことは全く思い出すことができない。
やっぱり自分の記憶力なんてこんなもんだ。そもそも面倒だからってデートのセッティングを全て翔任せにしていたのがよくなかったんだろう。
それで諦めて、人を頼ることにした。
中村の覚えている翔の話を聞けば、いくら私でも何か思い出せるかもしれない。不審がられることを覚悟の上で会いにきたのに、中村は案外すんなり話してくれた。
「んー……実はさ。岡本って覚えてるだろ、図書委員の。あいつ、二年のときから藤原に気があったんだよな。修学旅行の暴露大会で、男子の大半にそのことバレてて。みんなわりと応援してやろうって雰囲気だったのに、峰本はなんか厳しかったんだよ。席替えのクジいじって岡本が藤原の隣になるの阻止したり、岡本と藤原が同じ委員になったときはめちゃめちゃ悔しがってたし」
はい?
「あ、岡本の話は過去のことだし、俺が今言っちゃったの内緒な。忘れてやって。ついでに岡本には今ちゃんと彼女がいるから安心しろよ」
「いやいやいやいや」
無理でしょそんな、忘れてやるなんて。現在彼女がいらっしゃるのはよかったけれど、そんな。単純にただの友達だと思ってた。
ていうか中村、なんという口の軽さだ。
「あと藤原に気がありそうなの誰だったかな。山口とか関谷とか、一組の佐藤とかか。基本的に峰本、そいつらに冷たかったよな」
よな、なんて同意を求められたってわからない。っていうかぽんぽん出てくる名前はいったいなんなんだ。みんな普通の友達……関谷にいたっては同じクラスではあったけれど、ほとんど喋ったことのない単なるクラスメイトだった。本当に?
「ぜんぜん気づかなかった」
「いや、今だから話せるけどさ。峰本って結構クラスで強かったし、誰も文句言えないし藤原にもばらせないって雰囲気はあったな」
強かった。それは何となくわかる。喧嘩が強いという意味じゃない。ムードメーカーとか人気者とかが持つ独特の、発言力の強さというか、場の支配力の強さというか。
たしかに翔は、そういう強さを持っていた。
「それで。それって、三年のあいだずっと?」
「正確にいつまでって難しいけど、そうなんじゃねえかな。最後の席替えでもクジいじってたみたいだし。あと卒業式の日に、思い出にって佐藤が藤原とツーショット撮ろうとしたの、地味に阻止してたし」
なにそれ。翔はほんとにそんな小学生じみた事してたの? しかも、卒業式の日まで?
卒業式の日、私は翔と何を話したんだっけ。たしか、明日香とか金沢とか中村とかと一緒に、五人で写真を撮った。明日香と別れるのが辛くてぎゅーっと抱きしめたら、明日香はよしよしって頭を撫でてくれた。なにやってんだって、金沢に呆れられた。中村には写真をあとで送ってって頼んだ。ああそうだ。そしたら翔が、俺のカメラでも撮ったって言ったんだったかな。じゃあそれも送ってって言ったんだっけ。
その日帰ってすぐに中村から、写真を添付したメールが来た。でも、翔からメールが来ることはなかった。一週間くらいして明日香の受験が終わってからみんなで集まったけれど、私はメールの催促をすることも忘れていた。
「なんで峰本、そういうこと私に言わなかったのかな」
「さあなあ。案外シャイだったか、あるいはほんとに面白がってただけなのか」
「シャイなわけないでしょ。二年のとき三股とかしてたじゃん」
「え。藤原、あんなの信じてたの? あれ、ただの噂だって。峰本あんとき彼女いなかったし」
え、ほんと?
たしかに本当に三股もかけていたのかは、知らなかった。峰本自身に言ってみても、はぐらかされただけだった。三股は嘘かもしれないなあって思ったけれど、まさか彼女が一人もいなかったとは思わなかった。
「しかもあれ、たしか噂の三人のうちの一人は藤原だった気がする」
「うっそ」
「嘘じゃねえよ。そのとき俺、峰本と同じクラスだったし。あいつ、面白がって否定しないから面倒だったんだよなあ」
何がそんなに面白かったんだか。いや、そもそも火のないところになんとやらと言うから、中村が気づいていないだけで、実は本当に三股だった可能性も。でも、少なくともその頃の私と翔との間には何もなかった。やっぱり火がなくても煙は立つんだろか。
よくわかんなくなってきた。
「でもさ、峰本が高校のとき何度も彼女をとっかえひっかえしてたのは本当だよね?」
「んー、俺が本当だって知ってるのは、一年のときの二人と二年になってからの一人だな。そのあとは知らない」
そのあとなんてどうでもいい。三年になってから他に彼女がいたりしたら困る。いや、困りはしないけれど怒る。
三人だけだったんだ。でも三人いたのは事実なんだ。いつだったか翔は私のことを一年のときから好きだったと言ったけれど、少なくともあの言葉は嘘だった。
「まあどんだけ本気だったかは怪しいけどな。全部むこうから告られて、試しに付き合ってみたとか言ってた。すぐ別れたし」
「うわひどい。可哀想」
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、誇らしい気持ちがないわけでもない。私と翔が付き合ったのは、翔からの申し出だった。最後は自然消滅だったけれど、それまで一年近くは一応付き合っていたことになっている。すぐ別れたわけじゃない。
翔にとって、もしかしたら私は特別だったかもしれない。
でもわからない。
「その話って、全部本人から聞いたの?」
「うん。あいつ結構、そういうの自慢すること多かったから」
「へえ」
自慢として中村に語っていたそれまでの彼女たちとのことと、面倒だからって話さないでいてくれた私とのこと。
やっぱり私のことは特別に思ってくれていたんだろうか。
「それに比べてさ。明らかに藤原に気があるふうなのに何も言わないから、むしろ本気なんじゃねえかなって思ったんだよな。このあたりは金沢も同意見だったし」
「ふうん」
でもわからない。
中村は翔の話を全面的に信じているみたいだ。でも私とのことを隠したように、他にも隠していたことがないとも限らない。もしかしたら翔は嘘とか隠し事とかが上手いだけだったかもしれない。本当は本当に三股していたかもしれない。もちろん、私じゃない誰かと。
わからない。結局なんにもわからない。
中村との話はテキトーに切り上げて、ありがとうと言って別れた。そもそも自分の記憶があてにならないから他人の記憶をあてにしようなんて、都合のいいことを考えたのがいけなかった。そう甘くはない。
中村の話を聞けばいくらか思い出せるかとも思ったけれど、元々知らないことなんて思い出せるわけがない。中村が知っていて私が知らなかったこともある。そんな当たり前のことに気づいただけでも、中村の話を聞いた意味はあっただろうか。
でもこのままじゃあ中村の覚えている翔を私の思い出としてエッセイに書くことになってしまう。そんなんじゃ意味がない。中村の話じゃダメだった。
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