第35話
噂をすれば影って言葉はあるけれど、噂をすれば夢に見るってこともあるんだろうか。
目が覚めて、隣にサクがいないのを見て安心した。
最近サクはうちに泊まらない。レポートとかテストとかでサクを追い出してばっかりだったから、家に帰るクセがついちゃったのかもしれない。
寂しいけれど、こんな朝にはほっとする。都合がいい。
サクの隣で寝ているのに翔の夢を見ましたっていうんじゃ、いくらなんでも申し訳なさすぎる。夢を見ましたなんてわざわざ報告はしないけれど、後ろめたい気持ちはきっと態度に出てしまう。
夢の中で私は高校の仲間たちと一緒に、ジンジャーエールで乾杯をしていた。明日香がいて金沢がいて、中村がいて翔がいた。乾杯をして、みんなで翔に行ってらっしゃいを言った。翌日にも翔は海外へ旅立つことになっていた。もう二度と日本には帰ってこない。
これが今生の別れかも。みんなで寂しいねって言いながら、それでも最後だからって愉快にジンジャーエールを飲んだ。
最後に中村から翔にメッセージカードを渡してお開きになって、夢が覚めた。
今生の別れかもしれないお別れ会にしては、ずいぶんあっさりとしていた。また必ず会おうなんて青春っぽく約束することもなかったし、私と翔が愛を語り合うこともなかった。
そんな場面が無くてよかった。
でも、あっさりとしていたのが逆に現実っぽかった。もし翔が高校卒業と同時に海外留学するって言っていたとしたら、送別会は本当に、今日見た夢のようだったかもしれない。私は翔と付き合っていたことなんて絶対に言わないし、翔だって何も言わないと思う。だから、私たちのお別れは淡白だ。
中村も金沢も明日香もそれぞれ翔に言いたいことはあるかもしれないけれど、みんなお互いに大学入学っていう自分にとっての新しいスタートを見据えているときだった。
そんなときに、たとえ海外に行くんであろうと、翔との別れだけが湿っぽくなるなんてあるわけがない。
だから、もし今日見た夢が現実だったとしても、全くおかしくはなかった。
そうすると、実は本当に翔は海外にでも行っているだけなんじゃないかと思えてくる。
海外にいるから会えない。いや、わざわざ国境を越えてまで会わない。
会えないと会わないの違いは何だろう。海外なら、会おうと思えば会えないことはない。
でもたぶん、会わない。今翔が生きていたとして、私は翔に会おうと思っただろうか。実際に会っていただろうか。会わなかったかもしれない。
本当はもう何を言ったところで翔には会えないのだけれど。
会えても会わないなら、どのみち同じことじゃないの?
……ちがうちがう。会えると会わないとの違いなんて論じたって意味はない。翔が「会わない人」だったなら。「会う」という選択肢がそこにはあるんなら、この議論にも少しは意味があるかもしれない。
でも「会えない人」である以上、「会う」という選択肢はどこにもない。「会わない」んじゃなくて「会えない」。どんなに論じたところで、会えないものは会えない。
よくわからなくなってきた。なんでこんなにこんがらがっちゃったんだろう。
もし翔が海外に行っただけだったらなんて、そんなヘンテコなことを考えたからだ。
高校を卒業して一年半。高校生活はだんだんただの思い出になってきていて、翔との記憶もどんどん曖昧になっていく。下手にヘンテコなことを考えると、自分の中でそれが本当のことになってしまいそうだ。嘘と現実の、夢と現実の区別がつかなくなってしまう。
そのうち私は、翔が留学しているだけだなんて、本当に思い込んでしまうかもしれない。
そうならないうちに。もう、嘘をつくのはやめよう。
***
「え、なに、まだなんかテスト残ってんの?」
久しぶりに勉強もテストも関係なく遊びに来てくれたサクに、誠に申し訳ないけれどまだしばらくは遊べない旨を伝えた。サクは落ち込むというよりも驚いていた。そりゃそうだ。テスト中だって飲みたいだの遊びたいだのぶーぶー言ってたのに、いざテストが終わってもう自由だぞってなったら、いや遊びません、だなんて。
「エッセイがさ、あと一週間で締切りなんだけど。進まなくって」
「マジかよ。大丈夫だって言ってたじゃん」
そんな無責任なこと言ったっけ。言ったような気がする。
だって大丈夫だと思ってたんだもん。とりあえずテキトーに書いちゃえばいいって、軽く考えてた。
「ちゃんと本気出して書こうと思ってさ。ね、一読者なら期待してて」
もしかしたらサクの望むようなエッセイにはならないかもしれない。期待してって言いつつ出来上がるのは、むしろサクが一番読みたくない読み物になるかもしれない。
でももう書くって決めてしまった。書いてしまえばこっちのものだ。
「んー。……なあ、書いてる横に俺いちゃ駄目?」
「だめ。覗かれたら恥ずかしいじゃん」
「絶対覗かない。誓う」
「ムリムリ、信用できるわけないでしょ。トイレ行くのもひやひやもんだよ」
「そこは信じろよ」
レポートのときは潔く、というより自ら離れていったのに。レポートと違ってエッセイは遊びだからいいとでも思ってるんだろか。編集長に怒られるよ。
「とにかく、ダメなものはダメ。一週間なんてすぐだから、ちょっとだけ待ってて」
まだまだ食い下がろうとしたサクを、しまいには強制的に追い出した。
いつものテキトーな日常を描くエッセイなら、もしかしたらサクが隣にいてもかけたかもしれない。見せたくないなんて思うほどの価値があるものなんて書かなかっただろうし、恥じらうほど内容の濃いものなんて書けなかったと思う。
でも今回は違う。別に価値があるとか内容が濃いとかいうことじゃない。でも書いているそばにサクがいるのは、はなはだ不都合だ。
翔のことを書こうと思った。
あの日あのとき、私と付き合っていた翔はどんな人だったか。
私は翔と何をしたのか。
翔は私のことをどう思っていたのか。
私は翔のことをどう思っていたのか。
今の私の中の翔を、言葉で留めておこうと思った。変な夢を見て思い出が歪んでしまう前に、嘘に塗り固められて本当のことを忘れてしまう前に、翔のことをちゃんと思い出して自分の心の整理をしよう。
何もしないうちに翔のことを忘れてしまうのはもったいないし、申し訳ないし、少なくとも一度は私のことを好きになってくれた彼に失礼だ。
だから、エッセイには翔のことを書こうと思った。
そんなエッセイを書いている横にサクがいるのは気まずいからお断りだ。
翔のことはまだサクに話せないでいる。これからだってどこまで話すかわからない。ああでも、エッセイなんかに書いたらどのみち知られちゃうのか。
まあ、そのときはそのときでいいや。
さて、サクを追い出して次に何をするべきだろう。エッセイを書くのはいいけれど、書くためには思い出さないといけない。翔のことなんてほとんど忘れてしまった。少なくともエッセイが書けるくらいのことは思い出せますようにって、ちょっと祈る気分だ。
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