第32話
何時間かけても終わらないレポートがあったかと思いきや、すぐに終わるレポートもあるもんだ。違いは隣にサクがいるかいないか……ではなくて、単純にレポートの難易度の違い、のはず。
『なんか、俺いない方がレポートはかどるみたいじゃん』
「たまたまだってば」
昨日レポートが終わるまでサクをさんざん待たせてしまったから、今日はサクを呼ばずにレポートを書き始めた。そうしたらなんてことはない、一時間ほどで課題のレポートはほとんど完成してしまった。電話で完成の報告をする。
「ていうか簡単だったんだよ、国語学概論。今までのノートまとめれば終わる感じ」
『いずみがノート取ってる講義なんてあったんだ? 意外だなあ』
「失礼な。サクのいない授業なら案外真面目なんだよ、私は」
頼る人がいない講義だと、自分で頑張らないと単位が危ない。一年のときに怠惰すぎたせいで、今年あんまり単位を落としすぎると本当に卒業に支障が出てきてしまう。かといって自分で頑張る気力もないから、四月には綿密に計画を練って、できるだけサクと同じ講義を選んで取ったつもりだ。
それでもやっぱり例外というのはどうしても出てきてしまうもので、国語学概論がそれだった。サクのいない授業を三ヶ月半ほど自力で頑張ったんだ。褒めてほしい。
『ふうん。じゃあ和歌文学のレポートも平気か?』
「う……」
サクが苛める。たしかに和歌文学入門の講義にもサクはいない。それはサクが去年既にこの講義の単位を取ってしまっているからだ。私は去年落第したから、今年こそ単位を取るべく真面目に講義を受けるつもりだった。レポートだってちゃんと書くつもりだった。
でもわからないことがあったらサクに聞けばいいんだと気付いてしまって以来、どうしてもやる気の起きない講義の一つだ。
「ねえそれよりさ、予想以上に早く終わったし、記念にどっか行かない?」
『レポート一本終わったからって喜びすぎ。もう一本あるだろ。テストもあるし』
気を取り直してこの電話の本来の目的に向けて話を進めるつもりだったのに、どうやらサクはそれを許してはくれないようだった。まだ課題が残っている状態だと、遊びには行かせてくれないらしい。
『遊ぶのはレポートとテストと全部終わるまでおあずけ』
「えええ。つまんなーい」
サクが珍しく真面目なことを言うものだから、冗談ではないかと期待する。でも案外サクは本気みたいだった。
『俺だって行きてえけど、我慢すんの。それにさっさと面倒なこと終わらせて、旅行とか、もっとぱーっと遊びに行きてえじゃん?』
そう真面目に言われてしまうと反論するのが難しい。というか面倒くさい。仕方なくサクの提案に賛同して電話を切った。
ぱーっと遊ぶのもいいんだけれど、もっとこまめに小さい楽しいことを積み重ねていきたいっていう私の気持ちを、理解してもらうことはできないだろうか。そりゃあ主張もしていないのに理解しろって方が無理だろうけど。でも主張して話し合うのは面倒くさい。以心伝心とかないだろか。我ながらなかなか無茶な。
せっかくレポート一本終わったっていうのに、どうやらすぐにもう一本のレポートに取りかからないといけないらしい。
和歌文学入門。古今和歌集の中から好きな歌を選んで解釈すればいいらしいけれど、こういうのは歌を選ぶのが一番難しい。
有名すぎるのを選んでしまうと関連する論文が多すぎて調べるのが大変だし、逆に無名すぎると調べてもあんまり出てこないから難しい。ちょうど良く知られていてちょうど良く先行研究のある歌を選ぶのがポイント……っていうのが、ずいぶん前にくれたサクの助言だった。
でもそもそも古今和歌集なんてよく知らないから、有名か無名かなんてわかんないし。
結局好き嫌いで選ぶしかないと諦めて、授業のテキストだった文庫本をぱらぱらとめくった。
唐突に、ページの折れ目が目に入る。なんだっけこれ。
ああそうだ。エッセイの題材にしようかと思ってわかるようにしておいたんだっけ。結局エッセイには使わなかったけれど。丁度いいからこれでレポート書こうかな。
ていうか、エッセイも書かなくちゃいけない。面倒なことを思い出しちゃった。たぶんサクも忘れていたから言わなかっただけで、思い出したらエッセイが終わるまで遊んでくれないだろう。
レポートにテストにエッセイに、やらなきゃいけないことがたくさんある。ぱーっとでもちょこっとでも、サクと遊べるのはまだまだ先らしい。
夏休みはすぐそこに見えて、なかなかやってきてはくれない。つまんない、けど仕方ないかな。
***
私にしては真面目にレポートに励んでいるところに、珍しくも祐子からメールが入った。その内容の衝撃たるや、ヤバいの一言に尽きる。レポートなんて一気に頭から吹き飛んだ。
『シュン君にふられたー』
ちょっと待ってこないだまでシュン君シュン君言ってて他のことなんか目にも入らない様子だったのに、いったい何が。こないだすれ違ったときには二人ともとっても幸せそうだったのに、この短期間に何が起こったの。
そもそも今までの大学生活上、祐子はふる側であってふられる側じゃなかった。ふられたってのは相当のことだ。大丈夫だろか。
大丈夫? って返信したのに返ってこないのが、一番心配だ。
でもちょっとだけ待ってみたら返信は来た。どうも長文に時間がかかったらしい。
『だいじょぶじゃなーい。シュン君ったらひどくってさ、他に好きな人ができたって言うの。そんな素振り今まで一度も見せなかったくせにい!』
あとはシュン君への愚痴がこれでもかと続く。
五行くらいは頑張って読んだけれど、そんな何十行も読んじゃいられない。こちとらレポート中なんだ。祐子が愚痴を連ねるくらいには元気だとわかったら、吹き飛んだレポートも無事に頭の中に戻ってきてくれた。
それにしても、塾のバイトに昼から行くだけで浮気を疑っていたのに、そんな素振り見せたことないだなんて。ほんとはよっぽどシュン君のこと信用してたんだろうなあ。あるいはふられたからと、テキトーに悪口を並べ立てているだけか。
後者のような気がする。
とりあえず、だらだら続く数十行は無視して返信した。
『わかったから、とにかく飲みにでも行こ? 話聞くからさ』
『ほんと!? いずみ優しい! さすがいずみ! 今晩いずみんち行っていい?』
調子がいい。やっぱり、そんなに落ち込んではいないのかも。
いいよと返信しようとして、寸前で思いとどまった。だめだ、洗面所にサクの歯ブラシが置いてある。ちょっとクローゼットを開けようものなら私の服よりもまずサクの服が出てくる。
『うちは散らかってるからだめ。五時に駅前でどう?』
『りょーかい!』
サクとは会えないくせに、祐子とはすんなり約束してしまった。まあ仕方ない。臨機応変。ケース・バイ・ケース。
***
気合いを入れ直してレポートに取り組んで、約束の時間までにどうにかこうにか書き終えた。本当はテスト勉強もして、さっさとテストも終わらせて、すぐにサクとも会えるような準備まで整えたかったんだけれど。理想は理想で、なかなかそう上手くはいかないものだ。理想で言うならレポートだってもっと前もって準備して、サクを驚かせるくらいすごいものを書きたかった。まあ、理想。
理想ばっかり追っていないでそろそろ家を出ないと、失恋したばっかりの祐子を駅前で待ちぼうけさせることになる。
さすがの私も、五分前には駅前に着くように家を出た。
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