第31話
そもそも、だ。
そもそも高校時代の未練に引っ張られたり、翔のお墓参りに行くかどうかで悩んだり、サクへの言い訳を考えたりなんてしている場合ではなかった。そんな些事にこだわっている余裕が今の私にあるわけがない。
今はレポート期間であって、私には書いていないレポートが三本もある。
「なあいずみ、まだ終わんねえの?」
「うるさいサク、ちょっと黙っててよ」
このレポート一本書き終ったら夕食に行こうと、サクと約束して二時間が経った。
当初の予定ならとっくに夕食のためにこの部屋を出ているはずだし、腹の立つことにサクは当初の予定通りにレポートを書き終えている。さらに腹の立つことにテストとレポートがまだほかにいくつも残っている私に対して、サクはそのレポートで今学期の全ての課題を終えてしまった。
暇になったサクはソファに寝転がって漫画なんか読んでいる。ときどき笑いを押し殺しているのが聞こえてくる。追い出してやりたくなるけれど、そうするとわからなくなったときに聞く相手がいなくなってしまうから我慢。
「あとね、えーっと……五行書けば字数クリアだから」
中身のないレポートは修飾語をいっぱいくっつけても、なかなか必要な字数に到達してくれない。十分前にサクにヒントを求めて内容をいくらか付け足して、それでようやく終わりが見えてきたところだ。
「じゃあ俺も、もう一冊」
私がレポートを頑張っていることなんて気にもしないで、積み上げた漫画から新しい一冊を選び出して読み始める。助けてって言えば手伝ってくれるかもしれないし、もしかすると残っているあと二本のレポートのうち一本くらいは書いてくれちゃうかもしれないけれど、寝転がってケタケタ笑っている彼を見ると、頼み事をするのもなんだか癪だ。
とにもかくにもサクへの苛立ちを原動力にして、それから十五分かけてようやく残りの五行を書きあげた。三本残っていたレポートのうちの一本、今日の二十三時五十九分五十九秒までにメールで提出することになっているものを、提出期限まで四時間を残してクリア。なかなかの好タイム。
「あー、やっとメシ」
「オマタセイタシマシタ」
「あと何のレポート残ってんだっけ?」
「えーっと。国語学概論と、和歌文学入門かな。あとテストが、崩し字を読むやつ」
こうして列挙してみると、なかなか国語国文学科らしいレパートリーで我ながら感心する。実はこのうち二つはサクが既に去年クリアしている科目だっていうのはひとまず置いておこう。私は国文学を学ぶ基礎がまだできていないらしい。
「和歌文学って、古今集の歌いくつか解釈するやつだよな。やっとこうか?」
「えっ、ほんと?」
助けてって言わなくても、サクは手伝ってくれるらしかった。どういう風の吹き回しだろうか。私が必死にレポート書いていた後ろでだらだら楽しそうに漫画を読んでいた人間とは思えない。
……思い出したら、腹がたってきた。
「ううん。やっぱいい、自分でやる」
「なに優等生になってんだよ、さっさと終わらせねえと遊べないだろ」
ああそっか、遊びたいのか。ごめんね我慢させて。しかしサクにはちょっと我慢させるくらいが丁度いい。この数時間の恨みは深い。私がレポート終わったときのご褒美用に買っておいた漫画なのに、私より先に読んじゃうなんて。
「じゃあテストは? 崩し字のテストってネットだろ。代わりに受けてやろうか」
「う……」
なんでサクは私が崩し字を読むのが苦手だって知っているんだろう。インターネットを介して行われるテストは自宅のパソコンで受けられるから、パソコンの前に代理の誰かが座っていようとバレはしない。私のテストをサクが解こうが、わかりはしない。そしてサクが解いた方が確実に高得点を狙えるし、勉強時間も省略できる。
「……いいもん、自分でやるもん」
「意地張んなよ」
これで単位を落としたりしたら笑えない。自分でやると宣言してしまった以上、単位を諦めることもサクに助けを求めることもできなくなった。なんで自分で自分を追い込んでいるんだろう。馬鹿みたいだけれど仕方ない。そもそも面倒くさがりの私はこうやって自分を追い込むくらいのことをしないと何もできない。
いつもラーメンばかりだと飽きるからと言って、今日は近くのファミレスのスパゲッティにした。サクがあれやこれやと提案してくる誘惑を頑張って退けている間に、半熟卵がとろりと載ったカルボナーラが届く。サクの前には湯気の立ったグラタン。ラーメンから抜け出してなお麺類というのが許せなかったらしい。
「だいたい、なんでいつもラーメンなんだよ」
「いいじゃん美味しいんだから」
「たまには他の食べ物にも目え向けないと、もっと美味しいもん逃すかもしんねえじゃん」
「私は冒険しない派なの」
「まあいずみが食うんだからいずみの好きでいいけどさ」
そのあとは私がソースを服に飛ばすベタな失敗をやらかして、やっぱり私もグラタンにしておけばよかったと後悔したり、サクに勝ち誇った笑顔でラーメン以外の食べ方がわからないんだろうと馬鹿にされたり、話題には事欠かない夕食になった。
それからサクは最近にしては珍しく、うちに泊まらずにそのまま自分の家に帰ってしまった。
私も一人家に帰って、レポートを書こうかエッセイを書こうかテストの勉強をしようか迷う。迷いながらふと、そういえば結局サクに同窓会のことを聞かれなかったなってことに気が付いた。
まあ、聞かれない方が好都合なんだけれども。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます