第29話
四人でジンジャーエールを飲みながら、ときどき減らないグラスに目を遣りつつ、私たちはいろんな思い出話をする。せっかくだから峰本の話をしなきゃいけないって、みんな思っているのかもしれない。でも、話はそれだけには留まらない。
高校生に戻った気分で、他愛のない話で盛り上がる。
「でさ、来週、合コン誘われてんだけど。峰本と違ってそういうとこで盛り上げんの苦手なんだよな。どしたらいいだろな」
「そういえば中村は、今彼女とかいないの?」
「とかってなんだよ、いねえよ。いたら合コンなんて行かねえよ」
明日香の単刀直入な質問には驚いたけれど、中村は平然と即答する。即答するには淋しい答えだけれど、それが事実なら仕方あるまい。
「つまんないなあ。片想いの相手もいないの?」
「余計なお世話だっつの。そっちこそどうなんだよ、高校時代の彼氏とは?」
「あー」
中村に聞き返されて、珍しく明日香が口ごもった。それから一瞬金沢と目を見合わせる。小さく頷いたようにも見えた。
「実は、言ってなかったけどさ。ていうか言ってなくても気付いてたとは思うけど。私たち付き合ってるんだよね、高校のときから」
突然のカミングアウト。
金沢と明日香ははにかんだように視線をそらしながら、私たちの反応を窺っている。中村は口元に持って行きかけていたグラスを中途半端な位置で止めて固まった。
私にしても、わかっていたはずなのに言葉がでなくて、まるで初めて知ったみたいに唖然としてしまった。
なんで今ばらすの。
もう卒業しちゃったし、ほとんど会わないからいいと思ったの?
それとも私たちを騙しているのが嫌になった?
自慢したくなった?
黙っているのが辛くなった?
いろんな疑問が次から次へとわいてくるけれど、どれも言葉にできない。
「……ま、まあさ、一応そうだろうなとは思ってたし。なあ、藤原?」
「え、あ、うん」
中村は明るい声で言うと、そのまま平気なフリをして、何事もなかったようにジンジャーエールをごくんと一口飲んでグラスを置いた。ようやく二人が話す気になってくれたと言うのに、気まずい雰囲気にしたくなかったんだと思う。私も同じように思ったはずなのに、どうしてか、あんまり明るい声が出てこない。
中村と違って、固まったまま次の行動に移れない。
「ごめんね、いずみ。ずっと嘘ついてて」
「あ、いや、別に。全然気にしてないけど」
そう、嘘をつかれていたことなんて、気にしてはいない。
そんなのは、お互い様だった。それに二人ともそんな空気を醸し出していたことは事実だったから。その空気と二人の言葉と、私は二人の言葉の方を信じると決めていたけれど、もう一方をまったく無視していたわけではなかった。
いつかこんな日が来たとしても、驚くことも怒ることもなく受け入れる準備はできていた。
だから、隠していたことを、嘘をついていたことを、怒るつもりなんてさらさらない。
それなのにうまく笑えない。
黙ってしまった私と、私に気を遣ってなにも言えない明日香。ごめん、ちょっと待って。もうちょっと待ってくれれば、ちゃんと笑えると思うから。
でも時間は待ってくれない。気まずい沈黙が生まれてしまって、明日香をフォローするみたいに金沢がその沈黙を破る。
「みんなに変に騒がれるのが嫌で、高校では隠しておこうって決めたんだ。だからってこのメンバーの中でまで隠しとくことなかったんだけどな。ほんと、ごめんな」
「え、いや、ほんと、ぜんぜん気にしてないから。ちょっとびっくりしただけで」
あ、嘘だ。嘘をついてしまった。
別にびっくりしたわけでもない。こんな日がいつか来ることは予想がついていたんだから。それはもしかしたら婚約の報告だったかもしれないし、明日香の苗字が金沢になりましたっていう、もっともっと衝撃的なお知らせだったかもしれない。
それすら想像していたんだから、付き合っていたなんてそのくらいのこと、言われたって全然驚いてはいない。
「……あー。ねえでも、なんで今日突然そんなこと言うの? 結婚でもするの?」
やっと、心に浮かんだ疑問の一つを言葉にすることができた。なんで今日なの。そんな告白、こないだの同窓会のときだってよかったじゃん。
「たしかに。お前ら、学生結婚でもするつもりか? もしかして、できちゃったとか」
「冗談言わないでよ、ちがいますー」
私の必死の言葉を、中村が軽いノリに変換してくれた。明日香がちょっと照れたように、機嫌悪く答える。
ああもう、むしろ出来ちゃった婚の報告だったらどれだけよかっただろう。でも明日香は違うって言った。私もきっと違うだろうって思ってた。なんとなく、わかる。なんで明日香と金沢が今日この日にこんなことを言ったのか、なんとなく、その理由がわかる気がする。
だから、ずるいと思ったんだ。
私の想像を裏付けるみたいに、金沢が真面目くさった調子で言う。
「少し前から二人で話してたんだ。今日を逃したら、峰本に嘘をつきっぱなしになっちゃうんじゃないかって。峰本に言うなら、今日しかないんじゃないかってさ」
「こんなこと言ったって、私たちの自己満足にしかならないとも思ったんだけどね。でもやっぱり、峰本も含めてみんなが揃っているときに言いたかったから」
金沢の言葉に明日香が重ねて、そんな二人の様子はやっぱり長年付き合ってきたパートナーだと思えた。
長年付き合ってきて、お互いの気持ちがわかっていて、お互いの言いたいことがわかっていて、お互いの悩みを話し合って、お互いの気持ちを確かめあって、二人で一緒に行動に移す。
峰本にも伝えておきたいんだ――たぶん、金沢がそう言った。
そうね、私もそう思ってた――たぶん、明日香がそう応えた。
二人は相談したうえで、今日この場所でみんなにカミングアウトすることに決めたんだ。お互い同意の上で、私たちに伝えることを選んだ。
「……ごめん。私、ちょっとトイレ」
逃げるように席を立った。
もうどうしたらいいのかよくわからない。
相談する相手のいない私はどうしたらいい?
ねえ、翔。
翔が生きていたらどうしていただろう。いつのタイミングでみんなに告白した? もう終わってしまったことなのだから、ずっとずっと黙っていた? もう終わってしまったことではあるけれど、それでもみんなの前で翔を翔と呼んでみたいなんていうのは私のわがまま? 今日ここで本当のことを話したら、翔は怒る? 困る? それとも、笑って許してくれる?
翔のことがわからない。
付き合った期間なんてほんのわずかだった。翔の言いたいことなんてわからないし、翔の気持ちなんてわからない。翔に好かれていたのはせいぜいクリスマス前までだったんじゃないかって私はずっと思っていたけれど、翔は卒業まで私のことが好きだったって、こないだ金沢だか中村だかが言っていた。
……ああでも、私にも一つだけわかることがある。
付き合いはじめた頃のことだった。みんなにばれるといろいろ大変だから、周りには黙っておこうって二人で約束した。翔と言葉を交わして、二人でそうしようって決めたんだった。
トイレに来てはみたけれど、個室は誰かが使っているみたいだった。その前で鏡に向かって、声は出さずに口だけ動かしてみる。翔は私になんて言った? 私は翔になんて返した? それで、翔とどんな風に約束したんだっけ。
『なあ、このこと、みんなには内緒な』
『そだね、めんどうだもんね』
『そうそう。金沢とか中村とかにも言うなよ』
『明日香にだって言わないよ。ね、それでいいでしょ』
本当にその通りの言葉だったかなんて覚えてはいない。でも鏡越しの私に語りかけてみると、いかにもそれっぽかった。翔はちょっとテキトーでだらしない感じに、それでいて面倒見のいいお兄ちゃんのように、ときにはわがままな弟のように喋った。
私はいつでも面倒くさがりのスタンスを崩さなかった。
案外覚えている。案外わかっている。
少なくともその頃の翔のことはわかっていたし、私が付き合っていたのはその頃の翔だったんだから、それで問題はないはずだ。
個室でゆっくり考えるつもりだったけれども、前の人が出てくる頃には気持ちは落ち着いていた。そうだ、別に明日香と金沢に合わせなくったっていい。
別れた後の翔のことなんて。
今、翔が生きていたらなんて。
わからなくたって、全然いい。
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