第27話

 待ち合わせ場所はそれなりに人通りの多いターミナル駅の、駅ビルのエレベーター前。


 高校に入学した当初は、エレベーターが赤かったから赤エレ前なんて言ったけれど、ここ数年の間に何度か塗り替えられて、今では赤エレなんて言っても私たちの間でしか通じないんじゃないかと思う。

 エレベーターはつやっとした白い色をしていて、それを鏡にして髪を少し整えた。


 待ち合わせまでに三十分近くの時間があった。時間より早くに来るなんて、私らしくない。おしゃれなスカートなんて、私らしくない。髪型を気にするなんて、私らしくない。


 こないだ会ったばかりの元同級生たちでさえ私だと気がつかないんじゃないか。そんな心配さえしちゃうほどの、私らしくなさだ。


「あれ? いずみ、早いね」


 それでもちゃんと気付いてくれる明日香は、私の女神様だ。


 黒っぽい地味なワンピースにグレーのカーディガンを羽織った明日香は、いつもの大人っぽさを三、四倍にしたくらいの女性らしさを振りまいている。フォーマルとカジュアルの中間くらいで、明日香でさえもしかしたら、今日の服には迷ったのかもしれない。


「他の皆は?」


「まだみたい。明日香来るまで私一人で淋しかったんだよ」


「みんな、いずみがこんなに早いなんて思ってないだろうしね」


 実際早く来ているというのに、そんな言い方はあんまりだ。ただし、いつでも十分遅れがデフォルトだった私に対する評価として、間違ってはいない。


「こういうとき、意外と一番早いのが峰本だったりしたんだけどね」


「そうなの?」


 いつも最後に仲間に加わっていた私には、最初が誰かなんて知る由もない。

 明日香なんかは結構早く来そうだなと想像がつくけれど、翔が一番早いだなんて、本当に意外だ。


 私はまだまだ翔について、知らないことがいっぱいあった。


「お待たせー。あれ? 藤原が早い」


「うぇ、俺最後かよー」


 中村が来て、そのすぐ後ろから金沢も追い付いてきた。待ち合わせ時間の十五分前なのに、今日のメンバーが全員揃ったことになる。みんな、気合いを入れすぎだ。


「おかしいなあ。俺らはこれから三十分藤原を待つ予定だったんだけど」


「なにそれ、ちょー失礼。そんなに遅れないもん」


「いつだったっけ。俺ら、一時間くらい待たされたことあったような」


「う、うるさいやい」


 軽口を叩きながら、私たちは自然と移動する。

 行き先はずっと前から決めてあった。五人でよく暇つぶしに使ったファミレス。わざわざ予約なんて入れたことはなかったけれど、よく使っていた席が万に一つでも埋まっていたら困るからと、数日前に明日香がちゃんとお店に電話をしてくれていた。


 裏道にある、いつもそんなに混んではいないファミレス。客がいないのになんで潰れないのか不思議に思ったこともあるけれど、今日まで潰れずに残ってくれていて、本当によかった。


「なつかしーな。最後に来たのいつだっけ」


「私の受験が終わったときに来たよね。そのときも金沢は、懐かしいって言ってた」


「そうだっけ?」


 そういえば、そんなこともあった。明日香の進路の決まったのが五人の中では一番遅くて、卒業式が終わってからだった。卒業旅行がどうのと周りのみんなが春休みムードに入るなかで、明日香はよく頑張った。そのお疲れさまパーティを開いたんだった。

 パーティと言うには情けない、ちょっとさびれたこのファミレスで。

 そんな気の抜けたお疲れさまパーティが、私が翔と会った最後だった。


「一年半ぶりかあ。あのときは、もっと頻繁に会おうって話してた気がするけど」


「五人全員でっていうと、なかなか難しかったよね」


 五人で会おうという話が出なかったわけじゃない。

 ただ、誰かの都合が合わなかったり、上手く話が進まずに立ち消えになったりした。たぶんみんな、忙しかったんだ。新しいことを勉強して、新しい友達と仲良くして。新しい環境に慣れるのに、精一杯だった。


 高校の友人なんて、所詮は過去の人だったんだろう。新しい世界で生きていくには新しい人脈が必要だった。過去の人との交友も大切だとは思ったけれど、自分が生きているのは新しい世界であって、今であって、過去ではない。

 だから高校のみんなとの約束は、後回しになっていた。


 私だけじゃない。たぶん、みんなおんなじ。きっと翔もおんなじだった。


 去年の夏がなければ、今でもおんなじだったかもしれない。

 後回し、後回しにして、十年後二十年後になってしまっていたかもしれない。


 ときどきふと心の隅で、そういえばみんなと会えていないなあ、会いたいなあなんて思いつつ、それでも積極的に会おうともせず、またいつか、と心の奥の奥の方に仕舞いこんでしまうような、そんな郷愁。

 それを今でも、十年後でも、心の奥にただ持っているだけだったかもしれない。


 去年の夏がなければ。


「ご注文はお決まりでしょうかー」


 たった一年数ヶ月。その期間をしんみりと思い返していた私たちの暗い思考を、程よいタイミングでやってきた店員さんが遮った。


「あーじゃあ、俺ナポリタン」


「私、豆腐ハンバーグセット。ライスで」


「俺はステーキセット」


「じゃ、私はマルゲリータ」


 メニューなんてほとんど見てはいなかったけれど、一年半前と変わっていないことさえわかれば十分だった。迷うことなく定番メニューをそれぞれ注文して、それから四人そろって、空いている席一つに目をやる。明日香は当然のように五人分の席を予約してくれたから、椅子が一つ余っている。


「……あと、ドリンクバー五つで」


「かしこまりましたー」


 料理まで頼むことはないだろうけれど、せめて飲み物くらい用意してあげよう。

 誰からも反論は出なかった。料理を頼んであげないケチな感じは、お金のない大学生である以上、仕方がない。


「あ。俺、飲み物とってくる。いつものでいいよな?」


 金沢が立ちあがった。手伝うよと言いながら明日香も。一年以上経っているのに「いつもの」なんておかしな話ではあるけれど、でも何の飲み物かはわかってしまう。


 金沢と明日香が行ってしまって、五人の席に私と中村だけが残る。


「もう一年経つなんて、嘘みたいだよなあ」


「一年半でしょ?」


「いや卒業してからじゃなくて」


 なんの話をしているのか、わかってはいるつもりだ。でもどうしても、その話を避けようとしてしまう。今日はその話をするためにここへ来たのに。皆で集まっていっぱい話をして、それで終わりにしようと思って来たはずなのに。

 いざとなると、どうしても一歩踏み出すのを躊躇ってしまう。


「はい、お待たせ」


 明日香が両手にジンジャーエールのグラスを持って帰ってきた。金沢は器用に三つのグラスを抱えている。四人の前にしゅわしゅわと炭酸の泡立つジュース。

 同じものを、空いている席の前に。


「じゃあ……乾杯? それとも献杯?」


「再会祝して乾杯でいいんじゃない? あ、でも峰本のグラスどうしよっか」


「中村隣だし、持ってあげなよ」


「えー。ちょっと俺、かなりかっこ悪くね?」


 口では文句を言いつつためらうことなくグラスを持った中村は、かっこいいか悪いか以前に優しい。


「はい、じゃあそれでは」


 改めて、金沢が企画者らしく乾杯の音頭をとった。


 本当は、こういうことをするのは、いつも翔だった。不意にそんなことを思い出してしまって、懐かしくて胸が詰まる。


「こないだ会ったばかりではあるけれど、一応落ち着いてこの面子だけで集まるのは一年ぶりってことで、再会を祝して乾杯。それから、ここには来ることのできなかった、天国の峰本に、献杯」


 持ちあげたグラスをぶつけていいんだか四人して悩んでしまって、結局カタカタと控えめにあてた。ファミレスの安っぽいグラスは鈍くて小さい音を響かせる。


 天国の翔。


 天国なんて、翔のガラじゃない。

 それでも、少なくとも、彼はもうこの世界のどこにもいない。

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