第25話

 お茶を注いだカップを二つ小さなテーブルに運ぶ。

 サクの隣のスペースに腰を下ろす。


 準備らしい準備は全て終わってしまって、あとは話すことを話すくらいしか、すべきことが思いつかない。今までの準備なんて、結局は全部心の準備みたいなものだった。


「えーと」


 だからと言って、準備が終われば心の準備もできているっていうわけじゃあない。何から話せばいいのか、何を話せばいいのか。

 と思っていたら、意外とサクの方が先に話し始めてくれた。


「ごめん、いずみ。昨日さ、俺さすがに言いすぎた」


「……えーと」


「考えてみたら手紙見せろとか、ないよな。いくらなんでもひどかったと思う、ごめん」


 聞きなれた言葉が出てきたけれど、「いくらなんでも」と思われたのは私ではないらしい。

 私の言動がまた責められたのかと一瞬身がまえたけれど、そんなことはなかった。


「手紙のことは……そりゃ、ちょっとは気になるけど、でも無理に見せろとか、もう言わないから。ごめん」


 こんなふうに素直に謝られるなんて思っていなかったから、何と答えてよいのかわからない。許す! って真正面から返すのは何か違う気がする。

 かといって、気にしてないよと優しく言うのも違う気がする。

 だって、気にしているもん。


「その、だから……」


 私が何も言わないでいると、言うことのなくなったサクが困ったように口ごもりはじめた。だから、なに? なんて意地悪なことはさすがに言えない。助け船を出したいけれど、こんなときなんて言えばいいのかなんて、私だってわからない。


 ……あった。一つだけ、言うべきことがあった気がする。


「ごめんサク。私もさ、ちょっと意地張りすぎちゃったなって思ってる」


 正直に謝れることは、私も謝っておこうと素直に思えた。サクが謝ってくれたからかもしれない。昨日気まずくなった大もとの原因が自分にあるとはどうしても思えないけれど、それでも仲直りするチャンスを作らなかった責任は、自分にもあると思う。

 意地を張って、帰りにサクを部屋に誘わなかった。大人げない意地っ張りをしてしまった。

 せっかくサクが謝ってくれているんだから、私だって反省していることはちゃんと伝えておかないと。


「手紙の内容は教えたくないけど、もうちょっとちゃんと話した方がよかったよね」


「手紙の内容以外に話すことあったん?」


「ええと。手紙がラブレターじゃないってわかってた理由とか」


 思えばサクが私を疑って本格的に機嫌を損ねたのは、私が読んでもいない手紙をラブレターじゃないって言い切ったときだった気がする。読んでもいないのに中身を知っているふうに話すから、本当は読んだのに嘘をついていると思われたんだろう。嘘をつくのは都合が悪い証拠。ラブレターじゃないと言いつつ実はやっぱりラブレターだったのを隠しているんじゃないか、とか疑われたのかもしれない。


 だから、なんで私がラブレターじゃないと知っていたかだけは、正直に話そう。


「あの手紙、差出人が連名だったんだよね。まず連名でラブレターなんて出さないでしょ。それに前から、仲良かった友達同士だけの少人数の同窓会をやろうって、メールとかで話してたんだ。だから、たぶんその同窓会の手紙だなって思ったの」


「同窓会って、わざわざ手紙で連絡来るか?」


 もっともだ。メールでやり取りしていたなら、そのままメールで日時も場所も決めてしまえばいい。わざわざ手紙を相手の家まで届けに行く必要はない。


 ここをどうごまかしたら本当のことを言わずに済むのか、あまり考えていなかった。


 それでも口が勝手に動くみたいに、事情を説明していた。


「遠くに行っちゃう同級生がいてさ、その人のためにメッセージカード書こうって話になったんだ。そのカードがあるから、封書にしたみたい」


 我ながら完璧な言い訳だった。とっさに思いついたにしてはなかなかだ。それに、ほとんど嘘だってついていない。メッセージカードが入っていたのも本当だ。


「それって、翔ってやつのこと?」


「へ?」


 完璧だったから突っ込まれずに終わると思っていたのに、サクの返しは意外と鋭かった。

 ああそうだったんだ、とか。その程度では終わらせてはくれないらしい。手紙の内容はもう聞かないって言ったくせに。


「だって、ただの同窓会なら隠さなくったっていいだろ? 隠したんだから、それなりのワケがあるってことじゃん。元カレに……って、聞かない約束だったよな、ごめん」


 ずるい。

 約束は守るようなふりをしながら、気にしてないわけじゃないってことをこれでもかと訴える。ずるすぎる。これで教えなければかわいくない女の子なんだろうし、教えたところでサクは機嫌を損ねるだけだ。

 どっちをとったって、私にいいことなんてないじゃないか。


 せっかくいい方向に流れ出していたのが、台無しだ。しばらく沈黙が流れた。ここで何か言ってしまったら私の負けのような気がするから、私は口を開きたくない。けれどサクだって、私が何か言うまでは黙ってるつもりなんだろう。


「それで、その同窓会、行くの?」


 結局は、サクが口を開いた。


「行くよ」


 悩んでから、答えた。

 もちろん、行くかどうかを悩んだわけじゃあない。どうやって伝えたら一番丸く収まるかを考えた。でも、結局嘘をつかないかぎりはどんな答え方をしたって同じだと思ったから、普通に答えた。


「そっか」


「うん」


 言葉と言葉の間が極端に長く空いて、すごく重苦しい会話だった。

 私が一番嫌いな会話。相手の顔色を窺いながら、言葉を選びながら、慎重に考えて考えて、言葉を発している。

 もっと軽く、思ったことをぽろりと口にしちゃうような話がしたい。


「…………なあ。俺のこと、好き?」


 突然のサクの言葉に、私はつい考えるのもやめてサクを見た。

 素っ頓狂な声を上げるのは何とかこらえたけれど、だいぶ怪訝な顔をしていたと思う。サクは急に早口になって、照れ隠しのように話し始めた。


「いや、関係ないって思うかもしんねーけどさ。俺のことちゃんと好きって言ってくれたら、安心できるっていうか。よそ見しないって約束してくれんなら、まあ同窓会くらいで腹立てんのもバカらしいっていうか。あ、いや、別に約束しなかったからって、同窓会行くなとか、俺の言えることじゃ」


「好きだよ」


 話し続けさせるのも可哀想だったから、途中で遮った。


「好きだよ。大丈夫。よそ見なんてしないからさ。安心して?」


「…………ほんとに?」


 一転して、疑り深い目が私を見た。

 ちょっと待ってよ、なんでよ。

 つい今しがたの、焦りすぎちゃって可哀想だったサクはどこへ行ったの。


「ずるいよサク。私が何言ったって、結局は疑うんでしょ」


 今の気持ちを素直に訴えると、思いのほかサクは驚いた顔をした。それから、ちょっとだけ悪戯っぽく笑う。


「しょーがねえじゃん。そんだけ俺はいずみのこと好きなんだって」


 ずるい。そうやって「好き」を理由にすれば、何だって許されると思っている。

 そして、なんだって許しちゃおうと思っている私がいる。

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