第13話

「いずみ、そろそろ起きろよ。授業終わったから」


「んー?」


 顔を上げると隣にサクが立っていて、周りでは同じ学科の同級生たちがぱらぱらと席を立って教室から出ていくところだった。


「ほら、出席カード。提出してきてやるから」


 寝ぼけた頭のまま、手元にあったピンク色の紙切れをサクの手に預ける。サクが二人分のカードを教壇に持って行く背中を、夢で見た誰かの背中に重ねた。段々と覚めてきた頭の中で冷静な自分が、重症だと診断を下す。


 ――まさか、授業中の居眠りでまで、あんな夢を見るとは。


 夢は眠りが浅いときに見るんだっけ。だったら居眠りで夢を見るのも頷ける。だから、夢を見るってこと自体は普通のことなんだ。見る夢が例によって例の夢だっていうのが、重症の証。


「いずみ、ラウンジ行くだろー?」


 戻ってきたサクの言葉に頷いて、のろのろと白紙のノートを鞄にしまう。授業開始直後から、終わっても気がつかないほどずっと寝ていた。あとでサクのノートをコピーさせてもらおう。サクがノートをとっていることを祈るばかりだ。


「この授業、最後はテストだろ。そんなんで平気かよ?」


「んー、平気、だと思う」


「だと思うって。一緒に卒業できること、願ってるからな」


 まだ二年だ。今年単位が取れなくたって、来年と再来年とで頑張ればちゃんと四年で卒業できる。それをここまで心配されるのは、どれだけ怠け者だと思われているんだか。


 でも、的を射てるんだよなあ。


 自分だってこの怠け者体質が、来年再来年になれば簡単に治るとは思っていない。卒業がかかれば治るんじゃないかというのもちょっと懐疑的。そういう焦りが、私には根本的に欠けている。今年単位が取れなかったとして、来年再来年、単位のために頑張れるかは怪しいところだ。


 たった一年ちょっとの付き合いでも、サクはそんな私のことをちゃんとわかっている。

 怠けるなと言っても聞かないことさえ知っているから「願ってる」なんて控えめな言い方しかしない。


 サクは私のことを、よく知っている。


「卒業ねえ。できるといいねえ」


「いずみがそんな言い方すると、マジで心配になる」


「失礼な」


 そんなことを話しながら、二人でラウンジに向かった。

 いくつかの言葉のやり取りの中で、やっぱりサクは私のことをわかっているな、と何度か思った。その度に失礼だと思ったのは、私がどれだけ本質的にだめな人間かっていうことだ。サクの口から失礼なことしか出てこないのは、元の私がダメダメで、評価されるようなところがないからだ。失礼でもなんでもない。


「サクは、よくこんなのが好きになれるね」


 何度目かの「失礼な」の後にうっかりそんなことを言ってしまって、私は慌てて口を押さえて彼と周りを窺った。まだラウンジに着いていないとはいえ、こんなに人の多い廊下でぺらぺらと喋っていいことじゃない。


 ところが私がおろおろしているのとは裏腹に、サクは浜辺で潮風にあたっているような涼しい顔をしていた。というか、にやにや笑っている。


「怒らないの?」


「なんで怒るんだよ。いずみがケーソツなのはいつものことだし。それより俺の話を忘れないでいてくれてるみたいで、ほっとした」


 ちょっと考える間を置くと、理解できるいくつかのことがあった。

 まずサクが、私のことを軽率だと思っていること。それから、サクが私を、恋の告白さえ忘れるほどの忘れんぼだと思っていること。


「なんか、どっちも失礼じゃない!?」


「正直に言ってるだけだろ?」


 けらけらと笑う彼の背中に戯れの膝蹴りを突っ込んで、私は大股でラウンジへと向かう。

 理解できたこと。サクはそれでもやっぱり私が好きだということ。敢えて私を怒らせて会話を切ってくれるくらいに、気が利くということ。遠慮せずに話してくれると言うこと。えとせとら。


 ――夢よりも現実、か。


 翔を忘れるのはもったいない。

 けれどそう思っていること自体、サクに対して申し訳ないようにも思う。


 次の土曜日だ。同窓会が終わったら、ちゃんと決着をつけよう。翔とよりを戻す可能性がない以上、選ぶべき道は一つしかない。それが私のためだ。

 思い出は思い出。忘れなくてもいいけど、いつまでも未練がましく想っていてはいけない。ありもしないことを夢に見るのでは、それこそ翔にも申し訳ない。


 次の土曜日。

 それを過ぎれば、きっと夢は見なくなる。


***


 気の置けない友人の多かった高校時代は、輝かしく幸せな時代だった。

 私にとっての幸せとは気の置けないということで、つまり何も気にしなくていいということで、私は当時に戻ったつもりで身なりにも心持ちにも何も配慮することなく同窓会に向かった。

 まあ、要はいつもと同じということだけれど。


「藤原って、やっぱ何も変わんねーのな」


 会場となっていた無駄に豪華なホテルのレストランの入り口で、まず幹事の男子に言われた。うるさい中村、あんただって制服じゃない分ちょっと垢ぬけた感じになって、ちょっと髪を染めて、ちょっと整髪料を使ってるくらいじゃないか。……だいぶ変わった。


 会費を払ってレストランに入ると、知った顔がいっぱいいた。卒業から一年半、変わった人も変わっていない人もいるけれど、変わったと言ったって、こんな短期間で誰が誰だかわからなくなるほどじゃあない。


「あ、いたいた、いずみ。ちゃんと来たね」


 親しげな声に振り向くと、高校三年のときに仲良くしていた明日香だった。もともと清楚な美人さんだった彼女は大学生になってもやっぱり美人で、良い意味で変わっていない。


「明日香ぁ。会いたかったよーう」


 高校時代はずいぶん仲良くしていたはずだったのに、卒業してしまうとあんまり会わなくなってしまった。去年の夏休みに会って以来だと思う。

 私が跳びつくと、よしよしと頭をなでてくれた。


「うわー。藤原の甘え癖って変わってないんな」


 近くで見ていた男子にからかわれる。私はわざとらしく口を尖らせた。


「いいじゃん。金沢だって、どーせ相変わらず明日香にべったりなんでしょ。ちょっとは分けてよ」


「おまっ、誤解を招くようなことを!」


 金沢と明日香は家の近い幼馴染で、幼稚園から大学まで全部一緒というツワモノだ。かといって付き合っているわけでも、好き合っているわけでも、どちらかが片想いなわけでもないらしい。高校時代からそれぞれ外に彼氏とか彼女とかがいる、ってことになっている。ウソかホントかなんて詮索しても仕方がないし、きっとわかるときにはわかるんだと思うから、少なくとも私はその話を信じることにしている。


 中村と明日香と金沢と翔と私。三年のときに偶然クラスが一緒になった私たちは、偶然仲良くするようになって、いつも五人でグループを作って楽しくやっていた。今日は翔がいないから四人だけれど。ついでに中村はまだ幹事の仕事で忙しいから、今は三人だけれども。


 翔本人が来なくても、こうして友人たちと友人として会えば、何かに整理がつくんじゃないか。そう、思っていた。

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