第12話
「こないだはごめんねえ、祐子」
ラウンジで、暑さにだらっと突っ伏しながら言ったから、あんまり本気らしさは伝わらなかったかもしれない。
「こないだって、何?」
「土曜日。シュン君いたとき」
「ああ、すれ違ったとき? なんか謝られることあったっけ?」
本当に気にしていないのか、気にしていないフリをしてくれているのかわからなかった。
「祐子、折角おしゃれしてたのにさあ。こんなだらしない友達がいるなんて、シュン君に知られたくなかったっしょ」
私が言うと、祐子は暫くきょとんとして、それから吹き出すようにして笑った。本当に気にしていなかったのかもしれない。
「なにそれっ。いずみが外見気にするなんて、もしかして雪降るんじゃんッ?」
けらけらと笑いながら空梅雨の青空を見上げる祐子を見て、謝らなきゃよかったって思った。もう、何も言うまい。テーブルに突っ伏してぬあーっと唸る。暑い暑い、まだ六月なのに。クーラーの設定温度は二十八度じゃ高すぎる。いっそマイナス二十度くらいに設定してしまえばいい。
「あれ、いずみ、拗ねてんの? しょーがないなあ。ホント気にしてないから平気だよー?」
そんなの、反応を見ればわかる。そんなことより、今まで一人でうだうだ気にして、必死にラウンジで祐子と二人になれる機会を探していた自分がばかみたいじゃないか。穴があったら入りたい。穴を通って、地球の反対側くらいまで。いっそ南極にでも行ってしまいたい。
「あのねえ、いずみ。彼氏の前でかわいいかっこしたいのは当然でしょ? でも、だからって私の彼氏の前でいずみにかわいくしててほしいとか、ぜんぜん思ってないし」
「……別に私、祐子からシュン君奪っちゃおとか思ってるわけじゃないよ?」
「そーゆー問題じゃないから! そーじゃなくてさ、私の都合にいずみが合わせる必要なんてないんだってば。いずみはさっさと彼氏作って、自分の彼氏の前でかわいくしなよ」
もう一回唸りたくなった。祐子は知らないからそんなことを言う。今の私にとって、一番彼氏になる確率が高いのはサクだ。この私に、毎日大学におしゃれをして来いと? カップラーメンと近所の五百円ラーメンで生きている、この私に?
「彼氏の前ではかわいくしなきゃいけないのかなあ?」
「いずみはほんっとに面倒くさがりだよね。別に、嫌ならいいんじゃん? でも、好きな人にかわいいって言ってもらえるって嬉しいもんだよ?」
好きな人にかわいいと言ってもらえると、嬉しい?
もしかして、こないだの夢の中で翔は、ネックレスをつけた私にかわいいと言ってくれたんだろか。夢の中でとても嬉しかったってことだけは、覚えている。
――そうだ。きっと、「かわいい」って言ってくれたんだ。
「ねえ、じゃあ逆にさ。かわいいって言ってくれて嬉しかったら、私はその人が好きってことなのかな?」
「いずみ、何かあった? 好きな人でもできた?」
心の底から驚いているような目で、祐子が私を見る。言葉はちゃんと相談に乗ろうとしてくれている感じなのに、その目がなんだか失礼だ。なんでだ。私に好きな人がいたら何かおかしいか。
……やっぱり、おかしいよねえ。私もおかしいと思うよ。
「好きな人って言うかさあ。最近夢見がよくって、イケメンが出てくるんだ。どうしたら私のものにできると思う?」
これ以上ないほど呆れた顔をされた。失礼とは思わないでおく。だってそうなるように、わざと言ったんだもの。好きな人がどうとか彼氏がどうとか、今はそんな話をしたくない。自分から始めた話ではあるんだけど。
でも相手が毎日会っている祐子だから、嘘でごまかしたくもなかった。
「……いずみ、熱でもあるんじゃない?」
「そこまで言われたくはないやい」
「だって、いずみのボキャブラリーにイケメンなんて、入ってるわけないじゃん」
「そこお? さすがに失礼だあ」
もう一回テーブルに突っ伏し直した。やっぱり、いくらなんでも慣れないことを言うもんじゃなかった。嘘をついちゃった方がマシだったかもしれない。友達から恋の相談を受けた、とか。
……だめだ、バレバレだ。私に恋の相談を持ちかける友達なんて、シュン君に夢中で周りが見えない祐子くらいのものだ。
「いずみ、その人って実在の人?」
べちゃっと潰れた私の上に、祐子の声が降ってきた。目だけでちょっと上を窺うと、案外と真面目な目で私のことを見てくれている。それはそれで嬉しいんだけど、どうしようかな。
「んー。まあ、たぶんね」
「たぶんって何さ」
「もうよく覚えてないからさあ。過去の人ってやつ?」
嘘じゃない。本当は声とか顔とか背丈とかは、私にしては珍しくよく覚えているんだけれど。でも私が夢で見る彼とのやり取りは実際にあった出来事ではないし、じゃあ実際にあった出来事はと言えば、実はあんまりよく覚えていない。
覚えているのは、付き合っていたという中身のない事実だけ。
どこでどんなデートをしたかとか、いつどんな話をしたかとか、肝心なことはすっかり頭から抜け落ちている。だから実際にはなかったはずの、変な夢ばかり見るのかもしれない。
「もしかしてさあ、元カレ?」
「な、なんでそうなるのさっ」
「あ、図星じゃん」
ガバッと体を起してしまった手前、なんとも否定しがたい。こっちが言葉に詰まったら、ここぞとばかりに祐子はまくしたてた。
「やめときなって。気持ちはわかるけどさ。私、それでより戻して大失敗したことあるよ。やっぱ過去は美化されるもんだからさ。別れると恋しくなるけど、もっかい付き合ったからって、うまくいくわけじゃないの。別れた理由なんて、のどもと過ぎれば忘れちゃうじゃん? でも、理由なく別れたわけじゃないんだよ。これ、経験者の忠告だから」
大学に入って二年目にして三人目のカレを傍に置く彼女の言葉だと思うと、やたらと説得力が増す。でも祐子に言われるまでもなく、そんなことはわかっている。最近夢に見るのだって実際には無かったことばかりだし、夢と現実が違うってことは、いやというほどわかっている。
わかっているはずだ。
「別に、よりを戻したいわけじゃないんだ」
反論した言葉は自分で聞いても言い訳がましかったし、すごく小さな呟きにしかならなかった。呆れたため息をつく祐子を、責める気にもならない。
「いずみさあ、ほんとに、彼氏でもつくってみたら? 誰か紹介しよっか? 新しい人できれば、元カレのことなんて忘れられるもんだよ。元カレの夢なんか忘れてさ、現実見なって。夢より現実でしょ」
「そうなんだよねえ」
頭に浮かんだのはサクのことだった。そして思ったのは、サクと付き合ったら翔のことを忘れてしまうのか、ということだった。
それはひどく、もったいないことのように思われた。
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