第11話

「珍しいよな、いずみが最後まで残ってるなんて」


「長い列見てたら、並ぶの面倒になっちゃって」


 結局最後にお金を払った私は、サクと並んでラウンジに戻ることになった。

 昼休みはあと十分くらいしかないけれど、サクも私も三限の授業はないから、急ぐ必要は無い。


「いつもは教室に残るのが面倒だって言ってなかったっけ?」


「たまにはこんな気分の日もあるの」


「ふーん。で、今日のそのおしゃれも気分?」


「うん、そう」


 サクがそれほど驚かないのは、一昨日の晩、もっと女の子らしくした私を見ているからに違いない。どちらかといえば、一昨日の方がおしゃれだったはず。


「案外、女らしいのも持ってんだな。そのネックレスとか」


「案外とか、超失礼だよ。去年買ったの」


「へー。元カレに貰ったとか言われなくてほっとした」


 一瞬どきっとしたけれど、そんな事実はどこにもないんだから、後ろめたく思う必要もありはしなかった。だから私はサクにバカと言って、いつも通りに振る舞った。


 サクがいつもと違って少し挙動不審であることも、無視した。考えてみれば、私の行動は軽率だった。たまたまおしゃれをした日に、たまたま気分でサクを待って、二人で一緒に帰るなんて。一週間前までならそれでもよかったかもしれないけれど、今のタイミングでこれはない。

 自分の軽率さの尻拭いのために、私は一生懸命、いつも通りを演じた。


***


 その晩の夢にも、翔が出てきた。


 私は翔からもらったネックレスをつけていて、翔はそれを見て何かを言った。


 なんて言ったのかは、聞きとれなかった。それが、すごくもったいなかった。


 夢の中の私はその言葉に、嬉しそうに笑っていたのに。


***


 目が覚めたのは昼近かった。

 土曜日には授業を取っていないから、今日は大学に行く用事がない。いくら真理子が恋しいからって、大学に行く用事もないのにわざわざラウンジにだけ行く気もない。

 ほかに誰かと会う予定なんてものもなくて、起きてからもしばらくは、ベッドでごろごろと転がっていた。


 することがないなと思ったときに、ふと、サクのことが思い浮かんだ。サクも今日は授業が無いはずで、だったら連絡して、どこかで待ち合わせて遊びに行こうかなあ、とか。


 もちろん、スマホを手に取るまでもなく、ばかげた考えはすぐに捨てる。


「ひま……」


 呟いてみても何も変わらない。天井を眺めてシミの数でも数えようかと思ったけれど、築数年でしかないこのアパートの天井は真っ白で、シミなんてどこにもなかった。


 代わりに、翔のことを考える。


 高校三年の四月に彼の告白に応える形で付き合い始めた。

 周りにやんやと騒がれるのが嫌で、学校ではそれまで通りに友人として過ごした。家に帰ると毎日、メールと電話をした。一週間に一度か二週間に一度くらい、学校の外で待ち合わせて遊びに行った。二人で会うときには、お互いを名前で呼び合った。

 平和で幸せだったなあと思う。面倒くさがらずに、そのままずっとちゃんと付き合い続けていたら。何かが変わっていただろうか。


 でも現実には秋あたりから、私たちは少しずつ疎遠になった。受験勉強を理由にして、デートが減った。メールも電話も、ちょっとずつ減った。学校ではそれまで通りの仲の良い友達だった。けれど学校の外では、確実に私たちの関係は変化していった。


 クリスマスのデートが、私たちの最後のデートになった。会えば彼氏と彼女だったけれど、本当に自然な彼氏と彼女だったかはわからない。


 バレンタインデーのチョコは学校で、義理チョコをあげるみたいに渡した。たぶん本当に、義理だったんだと思う。翔は「あんがと」って言って、ほかの女子に対するのと同じように、私に笑った。


 ああ、そっか。


 思い返して、初めて気付くことがある。


 私たちはバレンタインデーのときには既に、恋人同士ではなかったんだ。


 卒業して別の大学に進んで、そこで初めて自然消滅したわけじゃあない。手品のように突然、あるべきものが消えたわけじゃあなかった。氷が解けるように自然に、ゆっくりと、私たちは彼氏と彼女をやめていった。


 現実なんて、そんなもんだった。


 学校で恋人らしいことをしたことはなかったし、ホワイトデーに恋人同士であったこともなかった。けれどそのことに、悲しみを覚えたことも、怒りを覚えたことも、淋しく思ったことすらなかった。


 なのになんで、今さら。


 なんで今さら、私は翔のことなんて思い出しているんだろう。


***


 ご飯を食べよう、と思ったのは夕方だった。起きてこのかたずっとぼーっとしていただけで何も食べていなかったから、お腹が空いたを通り越してふらふらだ。動いていなくても食べることは必要なんだなあと実感する。生きてるってすごい。


 財布とスマホを持って家を出る。ラーメンでいいか、と思った。大学のそばには学生向けのラーメン屋が多い。その辺りに一人暮らしをしているから、塩分の取り過ぎかと思うこともあるけれど。でもお手軽だから、結局いつもラーメン。


 今日は塩ラーメンの気分だ。

 塩ラーメンが美味しいのは、大通りの向かいの三軒目。


 青信号を待っていたら、向かい側で祐子が信号待ちをしているのが見えた。私が気付いたのと同じくらいに、祐子も私に気が付いたらしい。小さく手を振ってくれた。それから、隣に立つ男の子に何か言っている。


 ――シュン君じゃん。


 実物は初めて見た。写真で見たシュン君よりちょっと丸っこく見えるけれど、写真は写真、実物と印象が違うのもよくあることだ。祐子は彼に甘えるように、腕を組んで体を寄せ合っている。二人ともにやけているわけでもないのに、そこはかとなく幸せそうな雰囲気を醸し出している。


 横断歩道のど真ん中で、お互い少し立ち止まった。ちょっと会釈をしてみたら、シュン君も軽く返してくれた。いい人だ。


「いずみ、珍しいね休日にこんなところで」


 祐子がいつもより上品な声色で言った。よく見ればお化粧も洋服も、いつもより少し大人っぽい。一歳年上のシュン君に会わせているんだろか。


「うん、私ちょっと、これからご飯」


「早い……じゃなくて、遅いのかな? だめでしょ、休みだからって夕方まで寝てたら」


「失礼な。お昼にはちゃんと起きてたもん」


「朝って言ってほしかったけどね。じゃ、またね」


 信号がちかちかと点滅し始めたのを見て、私たちはお互い向かいの歩道に急いだ。それから私は目当てのラーメン屋に向かって早足で歩いて、でも我慢ができなくて、途中で結局ちらりと後ろを振り返った。

 祐子は道の向かい側で、シュン君と二人でちょっとおしゃれな喫茶店に入るところだった。


 ぼさぼさの自分の髪を、手ぐしで軽く整える。そんなことをしても、だらしのない服や顔を直せるわけではなくて、私にはそのへんの五百円ラーメンがお似合いだなと思った。


 美味しいはずの塩ラーメンは、いつもより安っぽい味がした。

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