第10話
その夜見た夢は、前よりも少し現実的だった。でもやっぱり夢だったのは、現実にはなかったことだから。翔とホワイトデーにデートをして、バレンタインのお返しを貰う夢。
現実はどうだったかと言えば、たしかバレンタインデーは一応あげた。大学入試真っ盛りの時期だったから、手作りなんて気の利いたことはできなくて、買ったチョコをあげた。
でも、ホワイトデーのお返しは貰わなかった。卒業式が終わると私と翔は、もう連絡をとらなくなっていた。自然消滅だからいつ別れたなんてはっきりとは言えないけれど、ホワイトデーのときには、もう別れていたと言っていいと思う。
夢の中で翔は、私にネックレスをくれた。ハート形のペンダントがついたネックレス。
夢には私の想像力の貧困さが反映されるんだろうか。私の頭は翔から貰うネックレスを創作してはくれないらしい。そのネックレスは私が現実に持っているネックレスと全く同じものだった。
現実のそれは昨年の夏頃、ふらりと買い物に出かけたときに気に入って、自分で買ったものだ。
そういえば買うときに、少しだけ思ったんだっけ。
もしも大学生になった今も翔と付き合っていれば、彼はこういうものをプレゼントしてくれただろうか、と。
***
「あれ。いずみ、なんか今日おしゃれじゃなーい?」
「こんな気分の日もあるの」
今朝起きたとき、ふと、ネックレスをつけようと思った。思えば買って以来、引き出しにしまいっぱなしだった。
いつものTシャツだと、安物とはいえネックレスはさすがに似合わない。だから今朝は少し手間をかけて、ネックレスに合わせて服も選んだ。白いブラウスに深緑のフレアスカート。それから一応、薄化粧。
「おはよう祐子ちゃん、いずみちゃん。……わあ、いずみちゃん、なんか今日いつもよりかわいいね。どうしたの、デート?」
「なんでデートなのさ。私彼氏いないのに、嫌味かあ」
祐子じゃないんだから、真理子が嫌味なんて言うわけがない。それでもそう言いたくなってしまったのは、二人があまりにも私の格好に過剰な反応をしたからだ。まあ、その原因を作っているのが普段の自分の行いだっていうことも、わかってはいるんだけど。
この程度のお洒落でこの反応。ってことは、先日のワンピースはサクによっぽど奇異の感を与えたに違いない。今度謝っておこうかな。
「ねえもしかしていずみ、この中に狙ってる人がいるとか?」
祐子が周りをぐるりと見回した。周りには、知っているようで知らない、知らないようで知っている人たちがあふれている。
今日私たちがたむろしているのは、いつものラウンジではなくて、サークルの会合用に貸し切らせてもらった大学の教室の一つだった。おんぼろな木の机と椅子を、百人以上の文学好きが占領している。
なかには本当に文学好きか怪しい人もいるけれど。私みたいに、あるいはサクみたいに。
月に一度の文芸サークルの総会。普段は部室にも行かずにラウンジにたまるばかりの私たちだけれど、総会にはちゃんと来る。そうして部費を払う。じゃないとサークルを追い出されてしまうから。ほとんど参加していないといっても、会員でなくなるのは淋しい。
月五百円で私たちの繋がりを維持できるんだから、安いもんだ。
「っはよー」
中途半端な挨拶と一緒にタロも現れて、それとほぼ同時くらいに、教壇に立った人が静かにーと全体に声をかけた。
「ええと、じゃあ六月の総会を始めたいと思いまーす」
えらく間延びしていて緊張感のない声だといつも思うのだけれど、サクだから仕方がないかな、とも思う。ここでビシッと決まっちゃったら、むしろ気味が悪い。
なんにも活動しないくせに、サクはサークルの副部長をやっている。
それはたぶんその人当たりの良さで、百人以上いる会員全員の名前と顔を全部一致させてしまっているからだ。私なんて、いつもの四人と部長さんと会計さんと、それによくエッセイを載せてくれている『りある』の編集長である先輩くらいしかわからない。
あとは、顔は知っているとか、名前は知っているとか、そのくらい。名前も顔も知らない人だっていっぱいいる。
サクはすごい。
サクが副部長としてどんな仕事をしているのかはよく知らないけれど、とにかくこうしていつも総会では前に立って、なんだかキマらない司会をしている。キマらないっていうのは、私たちが普段のサクのテキトーさをよく目にしているから思うだけかもしれないけれど。
ぼんやりしているうちに議題はどんどん進んでいく。あんまり活動に参加しない私たちにとっては部室の使い方も来月の予定もどうでもよくて、早く部費を払っていつものラウンジに帰りたい。鮭おにぎりが私を待っている。話は大切なことだけ、あとでサクに聞けばいいんだから。
「じゃ、部費集めまぁす」
会計の先輩のほんわかとした声が響いて、黙って話を聞いていた人の大半がざざっと立ちあがった。早く帰りたいのは私だけじゃなかったらしくて、なんとなく嬉しい。
でも同時に、その多さにちょっと、いやだいぶ、気力が萎えた。
「いずみちゃん、行かないの?」
「んー……並ぶの面倒だから、最後でいいや」
「いずみぃ、そんなこと言ってると置いて帰るよぉ?」
「いいよ、先行ってて」
「じゃあ、あとでなー」
周囲に合わせて立ち上がった真理子と祐子とタロの三人を見送った。三人ともちゃんと荷物を持っていたから、部費を払ったその足でラウンジに帰るんだと思う。本当に置いていかれてしまうようだけれど、どうでもいいや。サクと一緒に帰ろうかな。
「あ、藤原さぁん」
一人になると、聞き覚えのある可愛らしい声に呼ばれた。
「花園先輩。どうしたんですか?」
「どうした、じゃないよ。さっき八月号で書く人募集したとき、手ぇ挙げてくれなかったでしょ」
花園先輩は、『りある』の編集長だ。エッセイを載せてもらうので、いつもお世話になっている。そういえば八月号にまた書くって、こないだ約束したんだっけ。それなのに総会の中で私が手を挙げなかったから、怒っているんだ。
「すみません、聞いてませんでした」
「だと思った。窓の外見てたし」
そんなところを見られてたのか。
「で、書いてくれるよね?」
「ええと、私のなんかでよければ」
先輩はよっしゃあと唸って大げさにガッツポーズを決めた。愛らしい外見とその仕草がミスマッチだけれど、先輩はいっつもこうだ。
何を書こうかなと悩む。一年の頃はよく、大学生活一年目のドキドキだとかソワソワだとか、ちょっとした失敗談を書いた。たぶん一年らしい初々しさがウケたんだと思うけれど、二年の、それも八月ともなると、その手は使えない。
「期待してるよ。人気あるんだから、藤原さんの」
「でもそろそろネタ切れですよ」
「え〜。ないの? 最近考えてることとか」
最近考えていること。……。
教壇に立ったまま部長と何やら話し合っているサクを見て、自分の考えを即座に却下した。
「……今のとこ、平々凡々な毎日を過ごしてますからね」
「じゃあそれでいいじゃん。藤原さんの平凡はきっと面白いよ」
「なんか、聞き捨てならないことを言われた気が」
「あ、そろそろ私行くね。あとで締切とかメールするからよろしく〜」
ちゃっかりと引き際を心得ている先輩は短くなった列に並んで部費を払って、そのまま軽やかな足取りで教室を去っていった。
「藤原さん、最後だよー」
ぼーっとしていたら、気がつくと教室には部長さんたちと私しか残っていなくて、私は慌てて財布から五百円玉を取り出した。
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