第9話
「お、いずみ、一人じゃん」
徒然なるままにぼーっと考え事をしていたら、サクがやってきた。時計を見ると、午後五時半。五限の半ばだ。
「あれサク、授業は?」
「俺、今日は四限で終わり。ちょっと本屋寄ってきた」
サクの掲げてみせた大学生協書店の袋の中には、先週の必修の授業で指定された課題図書。
「あ、私もそれ読まなきゃ。サク、読み終わったら貸してよ」
「いやいや、俺の金だし。不公平だろ」
「ええ、いいじゃん。今度お昼おごるよ?」
「んー。じゃあ、読み終わったらな」
昼食一回で三千円の本を買わずに済むなら、安いもんだ。百円のカップ麺とかをおごってあげよう。うまくレポートをまとめることができたら、少し奮発して二百円の新商品でもいい。
私がそんなせこいことを考えている間に、サクはきょろきょろと周りを見回してから、おそるおそる顔を近づけてきた。
「あのさあ、いずみ。朝の折り鶴のことなんだけど」
「へ? なに?」
「いや、なんつーか。言ってくれなきゃ、ふつー気付かねえよ? あの、手紙みたいなやつ」
言われて初めて思い出した。そういえば、チラシの裏にどうでもいいことを書いて、折り鶴にしてサクに渡したんだっけ。他の人にバレないようにサクに手紙を渡してみたいと思っての行動だった。
ちゃんと成功しても、私が忘れてたんじゃあ、台無しだ。
「そういえばあげたね、そんなの。気付かれなかったら、それはそれでいいかなって」
「そういえばじゃねえだろ。気付かないでいたずらで誰かに回したりしたら、どうしてたんだよ」
ああ、その可能性には気付いていなかった。捨てられるのがせいぜいだと思っていたから。
私がイタズラでサクに折り鶴を渡したみたいに、サクがイタズラで、例えば祐子とかにあの折り鶴を回してしまう可能性もあったのか。もしそのもらった折り鶴を、祐子が気まぐれに開いてしまったら。
ちょっと、ぞっとする。
「……ごめん」
「まあ、気付いたからいいんだけど。てかなんだよあの内容。いずみって、やっぱりまだ元カレに気があるん?」
「え、なんでそうなるのさ」
渡した手紙に何を書いたのかを思い出す。たしか、来週の土曜日に高校の同窓会があるから、メールの返事はその後にさせてほしい……そんな感じの内容だったか。寝起きの頭で心に移りゆくよしなし事を書いたつもりだったけれど、よく考えると、こんないいかげんな手紙にしたためるべきことではなかった。
全然「よしなしごと」じゃあない。
サクは明らかに、機嫌を損ねている様子だ。
「元カレに気があるんじゃなきゃ、なんで俺への返事に高校の同窓会が関係あるわけ」
「えーと、それは」
言葉に詰まる。たしかに関係なんてあるはずがない、もしも元カレのことで何か迷っているのでなければ。サクの疑念ももっともだ。
でも、違うものは違う。それをどう説明したらよいのやら。
サクがため息をついて、机に突っ伏した。
「あーあ。いずみ、最近彼氏の話しなくなったから。もう忘れたんだって思ったんだけどなあ」
「いやいや。最近もなにも、大学に入った時点でそもそも終わってた話ってば」
「笑い話にしてでも話すのは、未練があるってことだろ」
「え、そうなの?」
「……自分のことだろ?」
サクが呆れたように言って、それもそうだと私は思う。
自分の心に尋ねてみる。私は翔に未練があったの? 私は今も、翔に未練があるの?
去年、大学一年の夏休み。それまで私は、元カレである翔とのエピソードを笑い話にしていた覚えがある。主に私の面倒くさがりで、どれだけ彼に迷惑をかけたかについて。でも、夏休みを境に話すのをやめたんだった。
夏を挟んだことで翔に対する気持ちが変わったとか、突然翔のことを忘れたとか、そういうことじゃない。ただ、話したくなくなったんだ。ただそれだけ。未練があったから、とか、なくなったから、とか。そういうのとは違う次元のことだった。
未練――どうなんだろう。そもそも未練って、どんな気持ちだったっけ。
もう一度付き合いたい、とか?
まだ好きか、とか?
付き合いたいなんて思わない。でもまだ好きかと問われて「ノー」と言える自信がないのも、やっぱり未練ってことなんだろうか。
「その同窓会さあ、翔ってやつ来るわけ?」
むすっとしたサクの言葉で、現実に引き戻される。
「ううん。翔は来ないよ」
「じゃあ、なんで同窓会の後なんだよ」
「……なんとなく。私、いっぺんに二つのこと考えるの苦手だからさ」
半分は本気だし、半分はごまかしだ。二つのことを考えるのが苦手なのは嘘じゃない。
考え事は一個だけで充分すぎる。他のことなんて考えてたら、頭がパンクしてしまう。
パンクして、はみ出た分は夢に出る。
夢の話なんてしたくはない。だから、半分はごまかし。
「いずみって案外、深く考えるよなあ。同窓会行くのに考えることってあるか?」
「悩み多きお年頃なんだよね」
「お年頃って……それ言うなら、恋多きってやつじゃね?」
「いいんだ? 私に恋が多くても」
「やだよ。でも俺がどうこう言う問題じゃねえだろ」
ああそっか、と思った。私が翔の三股に口を挟まなかったように、サクも私の彼氏ではないから、私の恋には口を挟まないんだ。
どんなに機嫌が悪くても、怒ったり、文句を言ったりはしない。なんてお人好しなんだろう。
そんなサクに私が言ってあげられることは、一つだけ。
「心配しなくても、今さら翔とよりを戻したりはしないって」
「そうかあ?」
サクはだいぶ疑っているようだったけれど、それ以上何も言わなかった。私だって言い訳だか説明だかをだらだら並べるつもりはない。でも、自分には頑張って言い聞かせる。
いまさら翔のことを思い出したって、どうしようもない。
この気持ちは、同窓会の知らせとサクの告白とが重なったことによる、一過性のものだ。
パンクしてはみ出してしまった、ただの夢。
だって私は翔と、手紙のやり取りなんてしなかった。
好きかと言われて「ノー」と答える自信はないけれど、付き合うかと言われたらその答えは、絶対に「ノー」だ。
同窓会に行けば。
夢は夢だと、ちゃんと自覚ができるはず。
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