第8話
「あ、祐子。来てたんだ、おはよう」
三限が終わってラウンジに戻ると、真理子と祐子が談笑していた。ちなみに私たちの挨拶は、何時であっても「おはよー」だ。今が何時かなんていちいち考えるのも面倒くさいし。
「おはよー、いずみ。シュン君がさあ、二時からバイトだって言うから」
やっぱりシュン君と一緒にいたらしい。祐子はいつも、聞かなくてもシュン君の話をする。恋バナこそが大学生女子の盛り上がるべき唯一の話題だと信じているみたいだ。
そんなんだから私も真理子も、会ったこともないシュン君の事情をかなりの程度知ってしまった。同じ二年生だけど一浪しているから、一つ年上。趣味はテニスで、特技はカラオケ。写真を見せてもらったから顔だってわかる。やや面長の顔に、二重でくっきりした目と整った鼻筋。つまり、いわゆるイケメンだ。長身の痩せ型で、髪を焦げ茶色に染めていて、バイトは……。
「あれ? シュン君って塾講師じゃなかったっけ。昼間からなの?」
「なんか、テストの準備とかあるんだって。……あ、実はそう言って、他の女とデートとかって。あり得るかな!?」
ばんっとテーブルに身を乗り出す祐子をからかうか宥めるかで私が悩んでいる間に、真理子が祐子を優しく諌めた。
「だめだよ、祐子ちゃん。そのくらいで好きな人のこと疑ったりしたら」
「でもちょっと、ありそうじゃない?」
「だーめ。私の友達も塾講師やってるけどね、お昼から行くこととか、時々あるよ」
むぅと黙って祐子が身を引く。からかわないでちゃんと言ってあげる真理子はやっぱりいい子だな、なんて。私は会話から一歩身を引いて思っていた。
「あ、でもさ、真理子はそんな顔して実は彼氏いたことないじゃん。ねえ、いずみはどう思う?」
「え、私?」
「だって最近はないけど、いずみ、高校時代には彼氏いたんでしょ? ここは経験者の話を聞かないと。彼氏、浮気とかしなかった?」
そんなこと言われても困る。たしかに翔には、私と付き合う前に三股までしたことがある疑惑があったけれども。
私と付き合っていたときに、浮気?
「さあねえ。面倒だし、そんなの気にしたこともないなあ」
「出たよ面倒くさがりー。彼氏の浮気にすら無関心って、どんだけよー」
祐子はいつもの女子力を忘れて、だらしなくテーブルに突っ伏した。そんな、私の彼氏に対する私の個人的な無関心でテンション下げられたって、困るよ。
「だって別に、どうでもよかったし」
「ホントにぃ? てかそれ、本当に彼氏のこと、好きだったの?」
本当に好きだったか? そんなの好きだったに決まっているじゃんか。だって。
「祐子ちゃん、いじわる言っちゃ駄目だよ。好きじゃなかったら付き合ってるわけないでしょ?」
真理子が私の気持ちを代弁してくれた。そうなんだよ、好きじゃなかったら付き合ってるわけない。終わり方はともかく、一応は一年近くも彼氏と彼女をやっていたんだ。長いと思うか短いと思うかは人によると思うけれど、とにかく付き合っていたんだ。
好きだったに、決まっている。
「えー、でもさあ。好きだったら相手のこと独占したいって思うのがふつーじゃない?」
「祐子ちゃん」
「んー。まあ、真理子の言う通りってことでもいいけどさ」
祐子の答えは曖昧だった。
「それよりシュン君だよー。ねえ、どーしたらいいと思うっ?」
話は再びシュン君に舞い戻った。結局祐子は真理子の助言も私の体験談もまったく必要とはしていなくて、ただ愚痴をこぼしたかっただけなんだと思う。授業のために席を立つまで、私への相談にさえ戻ることなく、ずっとシュン君の話だけしていた。
***
――本当に彼氏のこと、好きだったの?
祐子の軽い一言が、何故かずっと離れなかった。祐子と真理子が授業に行ってしまって、ラウンジに私一人になってからも、ずっと。
私は翔のことが本当に好きだったのか?
そんなの、好きだったに決まっている。
と、思う。
でも彼氏の浮気を気にするかどうかで私の気持ちがわかるなら、それはもしかして、私は翔が好きではなかったということなんだろうか。嫉妬するかどうかが、本当に好きなのかどうかの境界なんだとしたら。
翔の浮気を考えたことはあんまりなかった。嫉妬したことだって、なかった。
いや。たしか、一度だけ。
クラス内では私と翔の関係を秘密にしていたから、恋人としての会話は必然的に電話とメール、それに一週間か二週間に一回のデートだった。
そのメールで一回だけ、翔が言ったことがある。
『俺、一年の頃からいずみが好きだったんだ』
その文面を見て、私は思った。
翔はこれと同じことを何人の女の子に言ってきたんだろう、これから何人の女の子に言うんだろう、って。
二年生のときには、別の人と付き合っていたくせに。三股の噂が立っていたくせに。
翔のプレイボーイっぷりが、私の耳に届いていないとでも思っているの。
たしかあれは、付き合い始めてすぐの頃。ゴールデンウィークの頃だったと思う。
その疑問を直接翔に投げかけることは、最後までなかったけれど。
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