第7話
早めに目が覚めたのは、早めに寝たからかもしれない。
寝る前にできるだけ長くと願っても、結局寝ている間は夢だと気がつかないから、あっという間に目が覚めてしまった。そしてあっという間のつもりなのに、時計の針は残酷にもさっさと回って、既に朝の時刻を指している。不思議だ。
夢の中で私たちは、いつまでも高校の教室で一緒に授業を受けていた。そこにいるのは髪の伸びた今の私で、相手は高校の制服だった学ランを着崩した、高校時代の翔。
なんでちぐはぐなのかって、私は大学に入ってからの翔を知らないからだと思う。
そうして授業中にこっそりと、手紙のやり取りなんかをしている。実際にはあり得なかったこと。斜め後ろの席の翔に、プリントを渡すフリで手紙をぽい。隠れて付き合っていたくせに。そんなことをしたら、後ろとか隣とかに絶対ばれるだろうに。でも夢の中では、誰も気づかないでいてくれる。私たちはいつまでも、中身のない手紙をポイポイあげたりもらったりしていた。
夢の名残に浸りながら、私はふと思いついて机に向かい、いらない広告の裏にサクへの手紙をしたためて、折り紙をした。
***
朝の人の少ないラウンジに入ると、いつもの席に人影があった。サクだ。
「あれ、いずみ木曜一限あったっけ?」
「無いよ、今日は午後から」
「……雨、降るかな」
サクは不安げな顔で、窓から快晴の空を覗く。
「失礼な。サクこそ、なんでいるのさ」
「俺は一限あるから。場所取りしに来ただけ」
「一限ってもう始まってんじゃん」
一限の授業は九時からで、時計の針は九時半を示していた。昨日の約束に十五分も遅刻した私が言うことでもないけれど、サクは時間にルーズだ。
「平気。あの教授、出席とるの十時だし。いずみ、ずっといるんなら荷物全部置いてっていい?」
「いいよ。てか、早く行きなよ」
のんびりと鞄からノートと筆箱を取り出すサクをせかすのは、昨日のこともあって二人きりだと何を話していいかわからないからかもしれない。
サクも同じことを思ったのか、あるいは気を遣ってくれたのか。準備が済むと、居座らずにさっさと立ち去ろうとした。
「あ、ちょっと待って。これあげる」
「何これ」
「折り鶴だよ。ぷれぜんと・ふぉー・ゆー。いってらっしゃーい」
怪訝そうに首を傾げるサクに手を振って、無理矢理ラウンジから追い出した。
それが手紙だとサクに気付いてもらえるかどうかはどうでもよくて、ただ周りにそれと知られずに手紙を渡すということを試してみたかったにすぎない。まあ今の時間帯、周りなんてほとんど誰もいないから、折り鶴にして隠す必要もないんだけれど。
一限が終わって帰ってきたサクの手に折り鶴がなかったから、もしかして捨てたかなと思った。それも、どっちでもよかった。
***
「おはよう、いずみちゃん。祐子ちゃんいないね」
「今日来てないねえ。彼氏とランチかも」
「そっか。淋しいね」
淋しいと言うとき、真理子は本当にしょんぼりと眉尻を下げる。その可愛さに胸をときめかすのは私だけじゃなくて、私の向かいに座るタロも同じ気持ちのはずだ。隣に座るサクの気持ちは知らない。
昼休みになって、祐子以外のいつものメンバーがそろった。今日はカップ麺をすすっても責める人がいないから、私は遠慮なく新商品の豚骨ラーメンを啜る。ちょっと味が濃いけれど、不味くはない。
「いずみちゃん、いつもインスタントだと体に良くないよ」
……訂正、責める人はいた。祐子がいないと真理子なのか。見た目云々じゃなくて健康重視なのが、真理子らしい。
「んー。じゃあ、明日はおにぎりにするよ。コンビニで新しいの見かけたんだよね」
「そういう問題じゃないでしょ。もっとバランスいいもの食べようよ。料理とかしないの?」
「しないよ、面倒だもん」
「いくらなんでも女子が料理を面倒とか言うなよ」
タロが苦笑しながら口を出してきて、ちょっとむかっとしたから意地悪をしてやることに決める。
「いいじゃん別に。タロの中の理想の女性像は古すぎ。今どき料理に女も男もないでしょ」
理想の女性像、のあたりでタロが固まった。こんな風に真理子の前で異性観を罵られることが、タロにとってどれだけ打撃だろうと思うと笑いそうになる。真理子の方は何も気にしてないっていうのに。
私はなんとかこらえたけれど、サクは笑った。
「いずみ、あんまりタロいじめんなよ。てか、料理に男も女も関係ないって。それだといずみもやんなきゃいけないことになるだろ」
「そんなことないでしょ。男がやってくれれば、女はやらなくていいんだし」
「いずみちゃんは一人暮らしだし、作ってくれる男の人いないでしょ。自分で作らなきゃ」
真理子が若干痛いところを突いてくる。サクが笑う。二人が敵に回って私が不利になると、タロまで元気を取り戻してしまう。
「ほらな。彼氏いないんだろ。いずみは料理をするべきだ!」
最初と論が少しずれている気がするけれど、三対一では言い返す気にもならない。とりあえず、黙って口を尖らせることでせめて反抗する。
そんな私に、サクが言った。
「いずみの面倒くさがりは相当だよな。俺が弁当作って来てやろうか?」
「あれ、サク君。今のって、彼氏になるって言ってるみたい」
真理子の無邪気な一言に、サクの周りの空気がぴたっと止まった。もしかすると私の周りでも、時計の秒針がほんのちょっと動くくらいの間は止まっていたかもしれない。
真理子は天然爆弾だ。あるいは、いつ爆発するかわからない不発弾。
「ま、まっさかあ。大学入って二年目になっても彼氏のいないいずみに、同情してやってるだけだって」
止まった空気をむりやり動かしたサクが、いつもの軽口らしく言ってごまかした。
彼女のいないサクがそれを言うか、と三人で笑う。サクも笑う。
タロの気持ちにすら気がつかない真理子は、自分が何を言ったのか気付いていない。たぶん、今の不自然な間にも気付かなかった。真理子しか見えていないタロも、たぶん気付いていない。祐子がいなくて、本当によかったと思う。
そのままだらだらと実のない話をしているうちに昼休みの終わる時間になって、私は早く来たわりに、慌てて三限の教室に向かうことになった。
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