第6話
高校時代の元カレ、峰本翔。
私が彼と初めて会ったのは、たぶん、高校一年の入学式の日だ。
たぶんというのは一年の時にクラスが同じだったからであって、本当は初めて会ったときのことなんてちゃんとは覚えていない。クラスメイトをやっているうちに、いつの間にか友達として仲良くなっていた。
私も翔も、誰かと話すときに相手が男子か女子かなんてあまり気にしない方だったと思う。私はみんなそういうものだとずっと思っていて、あとから誰かに「男子と普通に話せるなんてすごい」と言われて初めてそれが自分の特技なんだと知った。
特技というより、性を意識するほどに頭が育っていなかったと言った方が正しいのかもしれない。今でもそんなに育ったとは言い難いけど。
とにかくそんな性格のおかげで、私は翔と仲良くなった。翔は私の男友達の一人で、私は翔の女友達の一人だった。その頃は翔と付き合うなんて、考えたこともなかった。
翔はとにかく浮いた噂の多い男だった。
二年になってクラスが離れたときには、色々な噂を聞いた。同じクラスにいたときに噂が少ないと感じたのは、たぶんクラスメイトのよしみでみんなが遠慮していたからだ。クラスが違うとその噂は囁かれるというより、叫ばれているようだった。
六組の峰本の今度の彼女は一組の誰それらしい。峰本の今度の彼女は他校らしい。峰本は今、三股をかけているらしい。えとせとら。
「三股はダメでしょ」
クラスが違う翔に教科書を貸すとき、冗談交じりに言ったことがある。
「やっぱまずいと思う?」
教科書を受け取りながら答える翔はにやにやしていて、やっぱり冗談交じりだった。
「教科書あんがと。次の休み時間に返す」
「板チョコ添えてね」
結局、三股の噂が本当であったのかどうか、私は知らない。その頃は付き合っていたわけでもなかったから、それほど深く気にしてはいなかった。
転機が訪れたのは、三年の四月だった。
クラス替えがあって、クラス内の親睦を深めるためにカラオケに行こうという話になった。クラスの三分の二が集まったカラオケボックスのパーティールームには私も、それから一年ぶりに同じクラスになった翔もいた。
私は隅っこで、友達が歌うのを麦茶を吸いながら聞いていた。
「藤原、歌わないん?」
気がつくと隣に翔がいた。ちなみに藤原は私の苗字で、その頃はお互い名字で呼びあっていたんだった。名前で呼び合うようになったのは、付き合い始めたあとだ。
「私、ヘタだもん。峰本はうまくていいね」
チャラ男の異名を持つ翔は、高校生が遊びに行くようなところであれば苦手はどこにもなかった。歌うまい、ボーリングうまい、ダーツうまい、ビリヤードうまい。あと、クラスの盛り上げ方とデートコースの選び方もうまい。
「いやー、俺もそろそろ声枯れてきちゃって。あ、その麦茶ちょーだい」
「どーぞ。峰本は歌いすぎだよ」
記憶に残る範囲ではこれが最初の間接キスで、翔は私の飲んでいた麦茶を、私の使っていたストローで飲んだ。その頃の私にはストローを噛む癖があったから、そのときのストローにも歯の痕がついていて、少し恥ずかしかったのを覚えている。
翔はそれまでの二時間くらいの間に、三曲に一回は歌っていたと思う。デュエットにしてもソロにしても翔の歌は人気があったし、翔自身も、歌う自分に酔っていたふしがある。
翔は歌がうまい。外見もなかなか冴えてるから、翔が歌うと盛り上がる。
「んー、そろそろ休憩。ここ落ち着くわー」
狭いソファに極限まで浅く座って体をだらしなく後ろに倒しつつ、翔は言った。カラオケ機材が設置された小さなステージとは反対側の隅っこは周りからの視線が集まりづらく、だから私はその辺りを居場所としていた。
「でしょ。みんな、まるでこっちを見ないからね」
「いや、そーゆー意味じゃなくて」
そーゆー意味じゃないならどーゆー意味なのかなんて、どうでもいいから聞き返したりはしなかった。
その晩、翔から電話がかかってきて、付き合わないかと言われた。
翔は私といると落ち着くんだと言った。言われてみれば私もそうだと思って、それで交際が始まったんだった。
***
男の子に告白された帰りの道すがら前の交際相手のことを思い出すのは、当然のような気もするし、告白してくれた男の子に失礼な気もする。
心中でサクに謝りながら、私は家の鍵を開けた。
一人暮らしの家にはもちろん誰もいないのだけれど、机の上に置きっぱなしの葉書が、人と同じだけの存在感を持って私を出迎える。
面倒だからと置いといてにしてしまった二つのこと。
一つは葉書。
同窓会のお知らせ。行くか行かないか、それだけなのに。
一つはメール。
サクからの告白に、私は答えを出せないでいる。
二つは全く別物のようで、でも繋がっているようでもある。
私は葉書の「出席」に丸をつけた。同窓会事務局行を、事務局御中に書き換える。明日大学に行くときに、ポストに投函しよう。
同窓会に翔は来ない。それはわかっている。
けれど翔を知る友達と話すことで、自分の中の何かに決着をつけることができるかもしれない。そうすれば、サクとの話に結論を出すことも、できるかもしれない。
葉書をテーブルの上に投げ出して、まだ早いけれどベッドに潜った。シャワーも着替えも明日でいい。
今はただ彼の思い出が薄れないうちに、眠ってしまいたかった。
思い出しながら寝れば、きっと夢で会える。
サクが嫌いなわけじゃない。今更翔に会いたいと思っているわけでもない。でもせめて夢くらいは願ったって、いいじゃん。
できるだけ長く夢を見ていられますように。夢の中の彼が私に答えをくれますように。
らしくないロマンチックなことを思ってから、目を閉じた。
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