第5話

「うわ、見違えた。いずみ、普段からそのくらいの格好すりゃあいいのに」


「その言い方はあんまりでしょ」


 約束の駅前で、約束の六時半からちょっと遅刻して、六時四十五分。

 人混みの中で、サクは案の定、私を見て目を丸くした。驚かせることができて嬉しい気持ちが半分、こんなことで驚かれちゃうのかと情けない気持ちが半分。


「ほら、どこ行くの? 私、決めるの面倒くさい」


「……中身はなんにも変わんねえのな」


「そんなに簡単に変わんないって」


 軽く話してみせるのは、結局は重い話を先延ばしにしたいからに違いなく、サクもいつもより少しだけ緊張している様子で、すぐには本題に入りそうになかった。

 このまま何も話さずに今日が終わってもいいかもしれない、いやいや、折角ここまで来たのに何も話さないなんて惜しい。そんな二つの気持ちが私の中でせめぎ合っている。

 もしかしたら、サクの中でもせめぎ合っている。


 夕飯は、いつもの五人でもよく行くレストランに入った。

 大学生が学食やファミレスよりも少し雰囲気のある店を使いたいと思ったときに選ぶようなところで、カップルじゃなければ入れないような洒落すぎた喫茶店でも、カップルが敬遠するような騒がしい大衆食堂でもない。

 テーブルについてお水をもらって、サクはパスタを、私はサンドイッチを頼んだ。いつものメニューだ。悩むまでもない。


 することがなくなると、少しの沈黙を挟んでから、サクがとうとう口を開いた。


「そんで、メールのことなんだけど。考えてくれてる?」


「うん、考えてはいる」


「……なんだ、てっきり面倒だから考えてすらいないのかと」


「失礼な。そこまで面倒くさがりじゃないもん」


 口では失礼と言ったけれど、そう思われていても仕方がない。そもそも一週間なんの返信もしなかったんだから、サクがそう思ったとしても全然失礼じゃない。むしろ失礼なのは、それを失礼と言う私だ。


「じゃあさ、今日は返事もらえるって思っていい?」


 いつもふざけた調子のサクが、今ばかりはさすがに真剣になる。ここで真剣になれないやつなら私はお断りだし、真剣になれるやつだとわかっていたから……つまり、メールが真面目なものだとわかっていたから、返信にも悩んでしまったんだ。


「うーん……あのね」


 だからといって、真面目に向き合ってくれればきっぱり答えられるっていうわけでもない。当たり前だけれど。


「もうちょっと、待ってもらえるかなーって」


 私の答えを手に汗握って待っていたと思われるサクは、はぁーっと長い溜息をついてうなだれた。


「一週間待って結局それかよ」


「ごめん」


「何をそんなに迷ってるんだよ。付き合いたいならイエス、嫌ならノーってだけだろ」


「うーん」


 つまりはそういうことで、私は一週間前に、サクからメールで交際を申し込まれたのだった。それを一週間も無視し続けて、それでいて昼間のラウンジでは普通に会話をして、それでいてこうして食事に出てきて保留を言い渡したのだった。

 我ながら、ひどい女だと思う。私が男なら願い下げだ。


「ねえサクってさ、こんな私の何がいいの?」


 もう本人に聞くしか答えは出ない。そもそも考えれば考えるほど、何がどうサクに気に入られたのか、さっぱりわからなかった。一週間も大事なメールを無視して、さらに結論を出すかに思われた食事でまで、結局保留なんてする女だ。最低じゃないか。しかも、それだけじゃない。


「私、極度の面倒くさがりだし。真理子みたいな美人じゃないし。祐子みたいな女子力もないから、昼もカップラーメンすするだけだし」


 他人と自分なんて、比べれば悲しくなるだけだから滅多に比べたりはしない。けれど比べなきゃいけないときだってあるはずで、今はそのときだという気がする。私のダメっぷりを、サクはちゃんと正しく理解しているんだろうか。もうちょっと周りを見た方がいいんじゃなかろうか。


「今更いずみに女子力なんて、求めてねえって」


 サクがあまりにもあっさり返すので、私は自分で言っておきながら悲しくなった。


「……それはそれで、失礼な」


「自分で言ったんじゃんか。それより、いずみといると落ち着くんだよな。面倒くさがりだってメールの返信が遅くたって、気にしねえよ。それがいずみなんだし」


 その時ふと私は、前に交際していた相手のことを思い出した。それはサクに対して、とてつもなく失礼なことだ。

 そうとわかってはいたけれど、それでも思い出してしまった。


 落ち着く――翔も、同じことを言っていた。私も同じことを思ったから、付き合い始めたんだっけ。でも、それは。


「サク、でも私さ、その面倒くさがりが元で前の彼氏と別れ話もせずに別れちゃったんだよ? 自然消滅だよ? またそうなっちゃうかもよ? 本当にいいの?」


 そう言うと、初めてサクは眉を顰めて嫌そうな顔をした。ほら、やっぱり無理だ。と思ったら、サクが眉を顰めた理由は、私が思ったのとは少し違ったらしい。


「面倒くさがりはいいけど、元カレの話されんのはちょっと気になる。あとさ、俺、思うんだよね。いずみが元カレと自然消滅したのって、たぶん、いずみの性格のせいじゃねえよ」


「えっ、なんで」


「いや、教えねえけど。自分で考えれば」


 サクが嫌そうに言うのは、それが私の元カレの話だからに違いない。たしかに、好きな人の口から前の交際相手の話なんて、聞きたくはないかも。

 サクの発言は気になったけれど、今それを頑張って問い詰めるほどデリカシーがないわけでもないし、何より二人きりで食事をしている中で相手の機嫌を損ねるのは、面倒なことこの上ない。だからそれ以上は、何も言わないことにした。


 でも、なんで翔を知らないサクに、そんなことがわかるんだろう。

 もしかしたら、ヒントは私が笑い話として話したことの中にあったのかもしれない。


「とにかく俺は、少なくともそんなふうには終わらせない自信がある。てか今から別れる話なんてしたくねえよ、付き合ってもいないのに」


「ふーん。まあ、じゃあ、とにかく保留で」


 ここまで話してやっと料理がやってきた。というより、面倒なことを真剣に話し合っていたから長く感じただけで、実際にはそんなに長時間待たされたわけでもなかったのかもしれない。

 サクの前には赤いパスタ、私の前にはクラブハウスサンド。


「サクってアラビアータ好きだよねえ」


「そう言ういずみはいつもサンドイッチだな」


「他に考えるの面倒だし」


「お前な。ああほら、パンくず落ちてる」


「いいよ、後ではらうから」


 私たちは普通の友人として一緒に夕飯を食べて、普通の友人として別れてそれぞれ家に帰った。

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