第4話

 姉は、それ以降の記憶が曖昧なようです。


 気付けば、彼と家の前まで歩いて帰ってきていました。時間は二十二時を過ぎています。

 無意識に彼を自宅まで案内してしまっていたことに、姉は戦慄しました。


 彼は「今日は楽しかったよ」と朗らかに告げ、姉に手を振って別れました。


 姉は放心状態のまま一言も声を出せず帰宅しました。




 うちは夜中に帰ってきた姉を玄関で出迎えました。

 ひとまず無事なようで安堵しました。ですが、酷く疲れているようです。


 うちが「お姉ちゃん、大丈夫だった?」と訊くと、「桜……」とうちの名を呼びました。


「あの人が、そこまで、送ってくれて……」


 姉は、視線を彷徨さまよわせながら抑揚よくようなく答えました。


「違うでしょう、お姉ちゃん」


 うちは姉が怖い思いをしてきたとは知らず、呑気のんきに訂正しました。


「うち、この窓からずっと見てたけど、お姉ちゃん川向こうから橋を渡って一人で帰ってきたでしょう?」


 姉はさあーと蒼褪め、突然に家中の鍵を閉めてカーテンも閉めて回ると、来ていたシャツを脱ぎ捨てました。


 キャミソールから健康的に日焼けした肌が見えています。

 自身の左肩を見て、「あああ……」と呻きました。


「あの人が、あの人が触ったところが、痣に……」


 違うはずです。

 それはサッカーの練習中にできた擦り傷ですし、うちにも痣ではなく擦り傷の痕があるだけに見えます。


 それなのに姉は繰り返します。あの人が触れたからだと。




 それ以来、姉は普段はこれまでと変わりないのですが、何かよくないことがある度に、「あの人が……」と何でも彼と関連付けるようになりました。

 半ば錯乱して、あの人の影に怯える毎日です。




 結局、信用の置けない人にはついていくべきではないんです。それが不審者であれ、心霊の類であれ。






 今日も姉は小さなことが引き金となり、錯乱してしまいました。

 うちは宥め役に回ります。


「あああ……足が、桜の足が、あの人に……」


「違うでしょう、うちの足は違うでしょう、お姉ちゃん」


 ああもう、まったく、本当に違います。

 そんなうちとは面識もないような、得体の知れない人のせいで車椅子になるわけもないんですから。




 違うでしょう、お姉ちゃん。

 うちが車椅子なのは。

 

 うちの足は。


 うちの足が動かないのは、二年前、うちがお姉ちゃんのサッカーの試合の応援に行かず彼氏とデートしていたせいで、お姉ちゃんが試合に負けたからでしょう。


 お姉ちゃんが自分で、お父さんの金属バットでうちを殴って、膝の皿を何度も何度も叩き割ったからでしょう。




〈完〉





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山道 @kazura1441

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