第3話 蝶姫の問題

 *



 細い足首に負荷をかけて飛び上がった赤い髪の少女——空に浮き出た額に赤いツノを生やした美羽の足元には、風が巻き付いて、彼女を人ならざる領域まで飛翔させる。


「てやああああああッ!」


 先が蝶の形になった黒い飾り紐を揺らして、少女は剣を頭上に振り上げ、風に乗って【灰鬼ノデラグ】の上空へと軽やかに躍り出た。

 そのままシャランッと剣を鳴らし、足がやたら多い芋虫型の化物を斬りつければ、化物の断末魔が響いた後、赤い結晶体になって四散していく。


「っらああ!ははっ、威勢がいいのは鳴き声だけかよ、ばけものおおおお!」


 愉快そうに血の気を昂らせた青年の刀が化物を少女と同じく赤い小さなカケラへと変えていく。彼らだけが持つ、人ならざる【鬼】の力で。


 颯斗は最後の一体を破壊しきると、壊れた瓦礫の上に降り立った。


「——ふぅ、今日はこんなもんか……。中々に数が多か……、あ……?」


 戦闘が終わり、刀も赤いツノも仕舞い込んだ颯斗が顎に伝ってきた一筋の汗を手の甲で拭う。と、視線の先で、美羽が地面に力なく倒れ込んだ。


「おい!しっかりしろ!!」


 少女は苦しげにアスファルトの上に横になり、胸を押さえて呻いていた。歪んだ顔の額から脂汗が浮きでている。

 颯斗は急いで駆け寄り、意識を失いかけている少女の頬を幾度か叩く。


「っ……あ、あはは……。だ、だいじょうぶ、だいじょうぶ……。休めば、へーき……」


 ふいに。ヘラリと笑う少女が、颯斗の中でいつか見た光景と重なった。小さな記憶のカケラ——『だいじょうぶ』と言って同じように笑ったあの人の記憶が、青年の脳裏を横切っていった。


「——そう言って、結局……」


「……颯斗くん……?」


「あ、いや。なんでもねーし。ていうか嘘だろ。あんた、蝶姫なんだろ?こんなのおかしいだろ……」


 颯斗の問いに喋る気力がないのか、悲しそうに半ば諦め半分で笑って肯定する美羽。


 そうだ。実力と容姿によって蝶姫と称される美羽があんな5分くらいの戦闘でここまで——倒れて息苦しくなるなんてありえないのだ。



 ならば。


。それも、もう2分くらいの戦闘がやっと、か……」


「あ、あはは……ごめ、ん」


 美羽が戦闘に参加せずに、自身の身をていして颯斗を庇った時点で気が付くべきだった。だが、少女は蝶姫だ。実力だって馬鹿にならないレベルで、学校の中でも指折りの実力者だ。力が衰えてるなんて、そんなこと思いつくわけないじゃないか。


「………っ、悪い。早く気がついてお前を止めるべきだったな……」


 颯斗が体に力を入れられない美羽を、抱き上げる。重症の蝶姫を肩に担いで学校に帰った日には、どうなることかわかったものではないので渋々だったけれど。


「……ぅ…はっ。ごめ……あり…と…」


 強がる余裕もないのだろう。無駄な抵抗もせずに美羽は、颯斗の制服をギュウッと握りしめる。運ぶために青年の手が触れている体は熱を発していた。


「喋るんじゃねーよ」


「ね……。キミ、さ……。チーム、入っ……る?」


「だから喋るなって」


 意識が朦朧もうろうとしているだろうに、蝶姫は颯斗に語りかけることをやめない。


「あたしじゃ……れない、から。あの子たち、守れ、ない……」


「だから……!」


「おね……がい……」


 いい加減にしろよ!体に障るだろ!?

 足を止めて強制的に意識を飛ばす荒技を繰り出そうとした颯斗は、美羽に視線を向けたところで頭突きしようとした頭を止めた。


 美羽は、どうやらすっかり体力を回復させる為の行動に移ったようだった。意識を切らして苦しげな顔で眠る美羽の頬に、自分と同じチームメンバーのことを憂いて流しであろう一筋の涙が伝っていた。



 原因は不明だが、稀に【鬼使い《デぺレント》】としての能力が低下、又は消失していく現象が起こることがある。それは契約者が大人になっていき、肉体的にも衰え始めるほど起こる確率が高いとされていた。


 今回、早くに美羽は能力を手放さなくてはいけなくなったと言うのは容易い。



 しかし、——チームメンバーの守護こそ、赤鬼がチーム内で最も発揮する役割である。攻撃力と火力はピカイチだ。


 化物退治には殿なども務める主戦力が力を失ったとあれば、チームの戦力はガタ落ちだし、ましてやそれが、学校全体でも大掛かりな任務時には重要で危険なポジションを預けられる四姫のチームの赤鬼に起こったとあらば、由々しき事態であるのは想像しなくてもわかった。


 学校いちともいえる最強のチームの中でも、最大戦力の赤鬼。それが蝶姫、朝霧美羽が今までに居たポジションなのだ。

 丸ごと全部消失しかけている彼女の心中やいかに。お察ししますとしか言えない颯斗は、今までの彼女の行動に全て納得がいった。


「チームメンバー内最強の前衛、一番の攻撃力が、こうなっちゃ、任務も成り立たない……か……。あー、そーだよな。通りで必死に俺のことを勧誘してくるわけだ」


 むしろ別のしょうもない理由なら、今みたいに腑に落ちることはなかっただろう。勿論その、しょーもない、アレやソレを考えなかったわけではないけど。


「はぁ……。……断り辛くなるだろうが……」


 もう先程の少女の瞳から溢れた液体は見なかったことにしたい。そう思いながら、颯斗は止めた足に風をまとわせ、急いで美羽を学校の救護室へと急いだ。



 

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