第2話 蝶姫の思惑

 *

 

 颯斗が美羽からのチーム加入の誘いを断ってから約1週間が経っていた。


 颯斗は、足元に風をまとって空を駆け、車で混んでいる道路も屋根の上も、羽が生えたように軽々と通り抜ける。

 風の力で飛ぶことができるのは、赤鬼の力を得た者の能力のひとつだ。


(終わったら、どこでサボるか……)


 自分に充てがわれた任務を早く切り上げどこかに寄り道しようと考えていた颯斗は、背後を同じスピードで追いかけてくる少女を流し目で見やる。一度立ち止まって振り返り、それから苦々しく呟いた。


「なんで付いてきたんだよ……」


「キミ、結構早いんだね!びっくりしちゃった!」


 蝶の羽のように、風を足首に広げた身長の低い少女が、立ち止まった颯斗に合わせて同じ屋根の上に降り立った。風のせいで切り揃えられた前髪が真ん中で割れているからか、本心から驚いて目を丸くし、屈託なく笑う様は余計に幼く見えてしまう。


「えーと、朝霧さん、だっけ。自分のチームはいいわけ?」


「大丈夫大丈夫!今日は任務じゃないもん!!それに……最近ちょっと、任務は控えてるから……」


 どことなく訳ありな声音で、その事情とやらを匂わせる少女へ、颯斗はバッサリ言ってやった。


「いや、どうでもいいわ。帰れって言ってるんだけど」


「なんで!?もしかして、嫌がられちゃってた……!?」


 飛んできた言葉に、しょぼーんっと項垂れる美羽は、遠慮がちに颯斗を見上げた。



「——ダメ、だった?」



「ぐ……だ、ダメつーか……」


 美羽の顎の角度、声の抑揚、目線の位置、袖の長さ、タイミング、頭から爪先まで全て完璧だ。パーフェクトだ。

 なにより、応えてあげたい!と思わせる小兎のような目をされると颯斗もハッキリと言えずにたじろぐ。やめて!そんな顔で見てこないで!断れなくなるから!心の中で自分と戦う颯斗は、少しだけ顔を逸らしてしまった。


「……はぁ……。学校で四六時中、追いかけ回してくるのはどうかと思うな。いや、ホントに俺はあんたのチームに入らないんで。迷惑極まれり。そーいうことで、そろそろ帰ってくれない?」


「えぇ!?」


 がーんっとショックを受けて面白い顔になっている美羽を放って、自分の意思は最後まで伝えきり、もうこれで付きまとってきたりしないだろうと再び跳躍、任務現場へと急いだ。


 学長室で美羽に出会ってから約1週間。颯斗の何が気に入ったのか、少女は学校にいる間、颯斗のいる教室を訪ね、声をかけてきては行動を共にしてくる。

 目的は先のスカウトの件なのだが、どうにも距離を詰めようとしてくるのだ。移動教室も、お昼も。彼女が「東岡颯斗くんはいるかなー?」と顔を教室に覗いてくるだけで、蝶姫の来訪だと教室がプチパニックに陥っている。


 颯斗の目測で150センチ程度しかない美羽。お互いの身長差も合わさってカルガモの親子のようなのも困りごとだったが、というか普通に周囲から好奇の視線に当てられて颯斗は参っていた。



 *



「っと、おー、結構暴れてるな……」


 青い色の屋根に降り立った颯斗は、街中で暴れている泥の塊のように灰色の化け物を、高いところから悠々と眺めた。警察や学校の関係者が民主の避難誘導を行なっていたが、戦える人材の派遣はどうやら颯斗だけである。



 いつから出現したのだろうか。【鬼】の力を操る者たち——【鬼使デペレント】は、いつの頃からか子供を中心に広がった“奇妙な力”だった。

 ある人はそれを病気と称し、ある人はその力を異能力、超能力と称した。



「うわああああああーー!!」


 怯えて逃げ惑う人々の悲鳴が、街のあちこちから湧き上がる。


「きゃああああああーーー!」

「逃げろ!!飲み込まれるぞ!!」



 いつから出現したのだろうか。

 色のない化物、いや、鬼——【灰鬼ノデラグ】は大陸全土に現れた人類を害する化物だ。


 街の中で暴れている化け物のこそ、黒い角を生やした【灰鬼ノデラグ】と呼ばれる存在。この世のものではない、色を飲み込み、街も人も浸食していくおぞましいナニカだ。


 化け物が通れば、赤い色も青い色も、黄色も、全てが黒く腐食していき、最後には灰となってチリへとかえる。形は芋虫状のものから人型など様々だが、一貫して黒い角と、ぎょろぎょろとした目玉がはびこった体をしている。


 ある人は言った。この化物には誰も敵うはずがないと。けれど、その言葉を覆したのは、偶然の出来事だった。もしかすると運命だったのかもしれないが、25年前の小国で起こった偶然によって事は一変した。忌避されていた、たった一人の少年が、見事に怪物を退治してみせたのだ。

 今までその力を持て余し、忌避や危惧の対処になっていた鬼使デペレント



鬼化チェンジ・リーング



 颯斗の額から赤いツノが伸びていくと、自身の身体を巡る血が熱く燃え上がり、血が騒ぐ。


「さてと、化け物退治の時間だ。来い〈血夜ちや〉」


 意地悪く笑ってみせた颯斗の腕に風が巻きつき、そこから一振りの赤黒い刃をした刀を取り出せば、屋根を蹴って宙を舞った。



 颯斗達、【鬼使デペレント】は契約した鬼属性リーングの能力を発動させて戦う者たちを指す。養成学校は彼らを教育する為に、各地に存在している。



 そして、学校がある都市、国を颯斗達は守っているのだ。

 今日も今も、この瞬間も、明日も明後日も。


「——うらあああああ!!」


 風をまとった赤黒い刃が化け物の体を二分する。体に刃が通い、ギュルルッと不気味に鳴いた【灰鬼ノデラグ】は、切られた箇所から赤い結晶体のカケラになって四散していく。


「ギュルル……」


 仲間の断末魔を聞き届けた、地べたを四つ足で這う化け物がワラワラと颯斗の元へ集まり始めた。


「っち……。今日はヤケに数が多いな」


 夏も終わり、秋の涼しさを感じる風が吹いているとはいえ、まだまだ日中の太陽はアスファルトの地面に熱を溜め込ませていた。

 白線が伸びるアスファルトの道路に降り立った颯斗は、太陽と下からの熱気、さらには面倒な怪物の群れに顔をしかめた。


「はんっ。化け物……。俺も喰う気か?」


 顎をしゃくり、斜め角度の生意気な態度で敵を見据えて刀を構える。太陽の光は赤黒い刃の上にキラリと反射し、光の筋が走る。


「《風血ふうけつ》!はあああっ!!」


 風を刀に纏わせて、一振り。かまいたちのようないくつもの薄い風の一線が、颯斗の持つ剣から怪物に向けて放たれた。少し離れたところにいる【灰鬼ノデラグ】が、その風に切り刻まれて、複数同時に赤い結晶になってカケラがボロボロと崩れ落ちていく。


 余裕だな、割と。なんて考えが颯斗の頭に浮かんだ瞬間。


「わあああああああ!危ない!颯斗くん」

「は?……うわ!?」


 声の方向を青年が見上げれば、小さな赤い少女が胸に飛び込んでくる。颯斗の鼻を掠めた髪から甘酸っぱい柑橘系の香りが漂ってきた。


「……いたたた……」


「いや!なんで降ってくる!?」


 颯斗は道路の真ん中で尻餅をつき、いきなり降ってきた腕の中にいる美羽のツムジに怒鳴る。次の瞬間、パッと顔を上げた少女と目が合う。少女は黄緑色の瞳を悪戯に輝かせては片方の瞼が閉じ、「テヘッ☆」と戯けて見せた。


「ごみんね?」


「ごみんね?っじゃねえええええ!なんだアンタ!メンタル強すぎか!?あれか、空気読めない感じのやつなのか!?」


 ここまで付いてきてホントなんなんだと、四姫の中でも一番人気がある蝶姫、朝霧美羽の柔らかい両頬を颯斗はつねる。蓄積された怒りもあって微妙にその手に力が入ってしまった。


「い、いひゃい、いひゃいいひゃいよ!!」


 体を捻り頬を解放した美羽、涙目になって頬を手でおさえると、颯斗を睨みつけながら口を尖らせ抗議してくる。


「酷い!せっかくキミの背後にいた敵から身を呈して庇ってあげたっていうのにー!だから、チームに入ってよ!」


「恩着せがましいな!?ていうか、断る!」


 なぜ突き飛ばして助けたのか、なぜ己の剣で怪物を退治しなかったのか、颯斗は気になったが、今はそんな事を考えている時間ではない。蝶姫の思惑はさておき、もう一度【灰鬼ノデラグ】へ剣を片手に向き直った。


「えぇー?また断るのー?」


 颯斗に不満たらたらな表情をして口を尖らせる美羽。


「俺は、誰もなにも救わねーよ」


 颯斗は少女に皮肉めいた笑みを見せ、敵の群れの中に突っ込んでいった。次々と怪物が結晶に固まって散っていく。

 遠くなる背を、怪物の中心で舞う青年を見つめていた少女は、純白のリボンを使い赤い髪を後ろで半分だけ結う。うさぎの耳のようになったリボンがピコリと音を立てる。


「そっかぁ。そっか、そっかぁ……じゃあ、あたしもやっちゃおーっと。—— 鬼化チェンジ・リーング。おいで〈緋蝶ひちょう〉」


 美羽の額に赤いツノが生えていく。細く白い手首に風がまとわり、その手の中には細長く赤い一本の剣が現れる。蝶の形をした先端がある黒い紐飾りがついた剣は、使い倒されていて所々がボロボロだ。


「いくよっ!〈緋蝶〉」


 その剣を持った美羽が駆け出し、跳躍すると颯斗の背後に襲いかかった【灰鬼ノデラグ】に、剣を突き刺して結晶化する。


「まっ、今のあたしはほとんど何にもできないんだけどね?」


 華麗に着地し、うさぎの耳のように跳ねる白いリボンで赤い髪を束ねている少女が、颯斗を振り返って堂々と口を開く。颯斗の眉がひくひくと上下した。


「……いやどうせ断るから言わないけど。何にもしないんなら引っ込んでてもらいたんですが。いや、面倒だから言わないけどさ」


「もう言ってるよ!?すごい言ってた。キミ、本音出てた!!いいよ、あたしは勝手にキミを手助けしてやるもん!」


「……だから別に要らないって……」


「いるいる!すっごい、いるし!」


 結局、今度は二人で化け物に向き直る羽目になってしまった。

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