第1話 蝶姫あらわる


 ———深夜2時。学生寮。

 ベッドの上で、悪夢にうなされている一人の青年がいた。


 ザザ……ッ。ザザ……。

 モザイクとノイズが夢の世界に走る。青年の顔が酷く苦しげに歪んだ。

『逃げて!!……を連れて逃げて——』

『離して!離してって言ってるのよ——』

『『——はやにぃ!!』』


 ザザ……ッ。ザザザザザッ。

 ノイズが増加し、夢の世界が遠のいていく。待ってくれ、行かないでくれと叫びたくても声は出ない。おぼつかなくなった意識が、今へ今へと、押し流され——、青年は、目を覚ました。


「ハッ……情け、ねぇな……」


 起き上がって髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、暗闇の中で一人、短く息を吐いて、己れを浅く嘲笑った。


 *


 ———昼13時。学長室のある白いタワー内。


「……ふわぁぁぁ。ねみぃー……」


 学長からの呼び出しを食らった颯斗は、嫌な予感がしていた。今朝方、良くない夢を見てしまったからかもしれない。

 颯斗は学長室までの螺旋階段をダラダラ上がっていく。


「はぁー……」


 この間、派手に任務をこなしてしまった自覚が、ため息を吐く彼にはある。単独任務中に街を破壊してしまったことが、今回20回目になる学長からの呼び出しの結果に繋がってしまったに違いない。


「めんどくさい……。いや、たしかに建物を破壊したのは申し訳ないけど、怪我人はいないし、きちんと任務はこなしてる!それに、助けを求めておいて完全な街まで望むのは勝手すぎるだろ。命かけて化物と戦っているのはこっちなんだぞ……?もっと感謝こそされ、怒られる筋合いは、ないってーの!」


 っちと舌打ちする颯斗は、ぶつぶつと愚痴をこぼす。苛立つ足で音を立てて階段を登っていき、白いタワー内にある学長室の階まで辿り着く。

 学長の警護任務にあたっていた数人の教員や生徒が、「また来たのかよ」と言いたげな目で見てくるけれど、そんな視線など青年は気にも留めず、学長室前までノロノロ歩いては2回ノックをする。


「入りたまえ」


 低い男の声からの許可があった後、颯斗は学長室に足を踏み入れた。


「さーせん。東岡颯斗で……す!?」


 ——なんでこいつがここに?!


 彼の視線を即座に奪ったのは、部屋の中で背筋を伸ばして佇んでいた少女。颯斗は思わず口をポカンと開けたまま立ち尽くしてしまった。


 少女は、燃える炎のように情熱的な赤い髪を鎖骨ほどまで伸ばし、整った顔には優しさを秘めた子供っぽい黄緑色の瞳が輝いている。


 蝶のようにしなやかで、蝶のように軽やかな少女を目の前にして、しばし絶句していた颯斗。そんな青年よりも、150センチ程度の背丈しかないチビっこ少女が先に声を上げた。


「キミが、学長が頭を抱えているらしい東岡颯斗ね!はじめまして!」


「—— っ。 蝶……姫…… !?」


「あはは、あんまりその名前は好きじゃないんだけどね。ふーん、でも他の生徒がチームを組んで任務に行く中、単独で任務に行っちゃうような子にも知られているなんて、やっぱりちょっと嬉しいけど恥ずかしいかも!」


 蝶姫とも称される少女が、照れ臭そうに頬を掻く。


 ——颯斗の通う学校には化け物と渡り合うその実力と容姿から、“四姫しき”と呼ばれる四人の存在がいる。

 今、目の前にいるチビっこ。蝶姫、朝霧美羽あさぎりみわはその四人中の一人だ。

 

 こんな人物を同席させて、学長はなんの用だというのか。颯斗は片眉を学長側の動向を探るように動かす。


「……あー……。んで、なんですか?なんの用なんすか?」


 生意気に尋ねた颯斗の前で、学長が神妙な面持ちで青年を見つめた。


「……本題は二つある。まずは、呼ばれた理由に予想が付いているものがあるのではないか?」


「あー……はぁ。いつもすんません……」


 視線を逸らしてとりあえず颯斗は謝罪した。

 学長は、自身の机の上に積まれた分厚いファイルや紙類を指差して颯斗に問いかける。


「なんだね。この資料は……」


 青年は扉にもたれかかり、ズボンのポケットに手を入れて素直に答える。


「なんだって……見れば分かりません?」


 颯斗の生意気な口調を聞いた学長が机を激しく叩いた。分厚いファイルが弾み、その上に置かれた紙切れがヒラヒラと床に落ちる。赤い髪の少女がアワアワと拾い上げているのを颯斗は目端で追った。


「お前は、どれだけ任務先で街中の建物を異常に破壊すれば気が済むんだ!!」


「いや、別に。態とやったわけじゃないんで。ていうか、怪我人は出てないですしー……」


 うざったそうな顔で青年が耳を塞ぎ、身をよじった。あーあー、何も聞こえません。


「そういうことを言ってるんじゃない!!我が校の信頼を落とすようなことをするなと言っているんだ!!避難した市民がお前の任務後に家が無くなっていた時の気持ちを、200字で述べてみろ!」


「せめて10字でしょ……」


「ついでに損害と苦情の処理が回って来ている私の気持ちも答えてみろおおおお!」


「……やっかましいな……」


「なんだと!?」


 再び学長が颯斗に怒ろうとしたその時——。突然、黙っていた(ちょっとソワソワしてた)少女が笑い始めた。


「ぷは、ぷはははっ。あははっ!キミ面白いね!全然反省してないんだ。学長!あたし、彼がいいです!彼が欲しいです!」


「は?」


 青年と学長からの注目を受けながら、眉上に前髪を切りそろえた赤い髪の少女は、黄緑色の瞳を爛々と煌めかせると笑顔を浮かべ、学校の最高権力者にそう告げた。

 自分のことが欲しいと言われた颯斗が素っ頓狂な声をあげ、どういうことだよ、本人を置いていくなと手を挙げる。


「——いや、あの。俺は全然話が見えないんですけど」


「あ!ごめん、そうだよね!あたしったら本人抜きに話を進めちゃうところだった!」


 慌てた美羽は、拾った紙切れを机に戻してから颯斗に手を伸ばしてくる。


「キミを、あたしたちのチームにスカウトしちゃうよ!東岡颯斗くん」


「え、断る」


「え!?なんで!?ていうか早いよ!」


 まさか自分の誘いを断られると思っていなかったのか、美羽の大きな瞳がより大きく開かれた。眉で切りそろえられた前髪を乱しながら、あたふたと動揺している。


 学校内で最も崇められる四姫が全員揃った豪華なチーム。そこに加入できるというのだから、断る者など普通はいないだろう。

 だが、あいにく颯斗に彼女達への興味はないし、寧ろ面倒ごとに巻き込まれる予感しかしない。


「俺はこの学校で唯一、チームに所属していない人間だ。見たところ、そんな奴に頼むくらい人員を欲しているらしいけど。俺はチームには入らない」


「で、でも!ほら!一人で任務をこなした結果、数多くの建物に損傷を与えているわけだし、それはやっぱり一人で【灰鬼ノデラグ】と戦うのは無理があるってことなんじゃない?」


「別に……。建物以外に被害は出てませんけど」


「え……。でも……。


 きっと蝶姫は自分の資料を事前に確認していたのだろう。颯斗は、その資料には入院歴も載っていたのだと当たりをつけた。だが、療養しようがしまいが、チームメンバーが居ないのだから、迷惑をかける相手もいないではないか。


「いや、それは俺の勝手だろ……」


 颯斗の言葉で大きく瞳が揺らいだ美羽が、何かを言いかける前に、学長が大きく咳払いをする。この件について説明がようやく聞けるらしい。


「こほん。我々は【灰鬼ノデラグ】に対抗するための手段として、チームを作らせている。朝霧くん、チームメンバーを構成する際、重要となってくる【鬼属性リーング】について答えなさい」


「は、はい。あたしたちは人外の鬼と契約をして特殊能力を発動させた【鬼使デペレント】です。特殊能力の種類を分類すると全部で4つ。春の赤鬼、夏の青鬼、冬の白鬼、秋の黄鬼。あたしたちは4つの【鬼属性リーング】のうち、どれか1属性だけと契約して、その特徴や能力を発現することできます。特殊能力はそれぞれ異なっているので、力を補い合うために、チームの構成メンバー4人から5人が一般的になっています」


「うむ、その通りだ。つまりだね。君が【灰鬼ノデラグ】を討伐する任務でたびたび起こる損害の問題は、チームに属していないことにあるのではないかと学校側も見なしたわけだよ」


 なるほど。なるほど、なるほど、なるほどー!単独ソロに対して、そういう安易な判断は良くないと思いまーす!颯斗は爽やかな笑みを浮かべた。


「じゃっ。お断りします。失礼しましたー!」


 今度ばかりは素早く45度の角度に腰を折って頭を下げ、颯斗は、ダッシュで学長室を逃げ出す。


「あ!逃げた!!学長!逃げちゃったよ!?」


 学長を問い詰める朝霧美羽の声が颯斗の背中を追ってきた。


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