第5話

 評決は・・・・流れた。審理無効。

 誰もが想定していなかったことだった。


 ・・・・有罪・無罪とも過半数を超えなかったのだ。

 システム設計上のバグではなく、やはり予見できなかったことであるらしい。なぜなら、評決行動棄権者はカウントされないので、投票した総数は二択なので必ずどちらかが上になる。統計理論上、これほど母数の多い数では、同数になることはありえない。

 では、なぜ、有罪・無罪のどちらかの票が51%を超えなかったのか……。

 それは有罪・無罪の双方の○にチェックを入れて投票した者が、全体の七割以上を占めていたからである。ちなみに、投票率は6割を越え、オンライン裁判への国民の並々ならない関心と期待の高さを物語ってはいるものの、現実的には評決不能の事態を招いた。


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 即刻、検察高官は次のようにコメントした。


「・・・・改善の余地が多分に残されているものの、今回の取り組みで、近い将来にはすべての事案、すなわち、凶悪犯罪や殺人事件の裁判も、完全オンライン裁判化へ進んでいくであろう一つの大きな道筋といいましょうか、そういった方向性が示されたものと、かように理解しております・・・・」


          ⚪


 政府高官は次のようにコメントした。


「・・・・ええ、まあ、そ、そうですなあ、ま、現場で、いろいろと取り組んでいただきたいと申しましょうか、え?なんですと?女性が多いと議論が長引く?そ、そんなことは決してありまよ。この機会にですね、わが国の放屁文化というものに、関心をもっていただいて・・・・え?会議に女性が多いと、おならがどう関係する?そ、そんなこと、わかりま


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 医療団体及び整腸剤メーカー及び食品会社は揃って会見を開き、次のように答えた。


「・・・・腸内環境は大事です。では、せっかくですので、これより、“おならと健康”をテーマにした、オンラインレクチャーに移ります。その前に、このことだけは、声を大にして言っておきたいのです。国民の皆さん、臭いものにフタをしてはいけません」


          ⚪


 P中央警察署・山本署長は・・・・


「・・・・これは、まさに、言うなれば、神の見えざる手によって、審理無効という結果をもたらしたものだと、驚愕しつつも、個人的にも厳粛に今回の結果を受け止め・・・・ええ、賛同しますとも。・・・・あっ、一部、他県の地域におきまして、巡回中の警官に対し放屁を繰り返すなどといった野蛮な行為が散見されますが、わが管轄下では一件も報告されてはおりません。皆無なのであります。えっへへ」


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 タウン誌副編集長尾崎は・・・・


「・・・・・いや、私は、これもアリかなと思いましたよ。それに、先進国でも極めて珍しい、刑事事件での尋問に、弁護士同席が認められないわが国の法制度を変革していく必要がありますね。このことだけは、強調しておきたいとおもいますよ。あっ、、こっちこっち、ええ、お集まりいただいた皆さんに、少年A本人が素顔をさらして、一言申し上げたいということなので・・・・」 


          ⚪


 少年Aは・・・・


「裁判中、いろんな方から励ましの声をいただいて、はい、本当にありがとうございました。これからの進路ですか?華元はなもと興業さんとマネジメント契約をするかもしれません。でも、放屁芸人になるわけではありません。親しいクラスメイトとコンビを組みたいと考えています。え?なぜ?狭い密閉空間で、屁をこいた?って・・・・出るものは仕方ないじゃないですか!叔父はカメラマンなんですが、こう言って慰めてくれました。『出るくいと屁は打たれる』と・・・・。あっ、副編集長の尾崎さんは、『あとは屁となれ、山となれ』と。でも、これ、ぼく、なんのことか、よくわからなくて・・・・」 


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 小曽根真一は、市長選出馬を断念した。息子まことが、少年Aとコンビを組んで、華元興業で世話になることも、快諾した。従来の彼には考えられないことだった。これも、オンライン裁判を通じて、父子の絆の結果なのだと彼はおもった。

 ちなみに。

 少年Aとまことのコンビ名は、『屁と河童』。二人は、地元タウン誌特集号の表紙を飾った。


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 判決翌朝の各紙の見出しには、「屁」にまつわることわざ、あるいはそれをもじった見出しが乱立した。

 その中で最も目を引いたのは、橘博士のインタビュー記事のタイトルだった。


 沈香じんこうかず、屁もひらず。


 誰もこの意味がわからなかった。

 だからよけいに注目されたのだ。のちにそれを、おかしな国民性、と指摘した学者もいたのだが・・・・。

 


 沈香じんこうは香木の一種。ジンチョウゲ科の常緑高木。間違っても〈ちんこう〉などと発音してはいけない。

 いい匂いのする沈香をかないので、においはしない。屁をひらず、つまりおならもしないので、においはない。

 ・・・・転じて、人の役には立たないが、かといって害にもならない、といったようなニュアンスになる。

 可もなく不可もない、毒にも薬にもならない平凡な人間のことだ。

 

 ・・・・たちばな博士は、インタビューの中で、そんなことを紹介しながら、次のように締めくくった。


「可もなく不可もなく・・・・とは、この国にもいえることですね。オンライン裁判というのは、そのことを私たちに知らしめてくれたのではないかと思うんですよ。これからの国家のありようですとか、国家と国民の新しい関係のありようですとか・・・・各方面の専門家が口々にいろんなことを主張していますが、でも、それは、まさに、屁のようなものでしかないのだと・・・・。もらしても消えていく、においがあろうがなかろうが、いつかは消えていくんです。話がそれますが、あの北斎もそんなふうに考えていたのではと、ふと想像することがあるんですよ。あの独特の力強い波頭のしぶき・・・・その一つひとつが、屁ではないだろうかと。いつかは消えていくのだから、他人が、とやかく、言うことではないでしょう、ありのままに生きていけばいいのでは・・・・。ここにこそ、オンライン裁判のアンチ・テーゼが存在するのだと思いますよ。それに、もともと、非をただすのではなく、屁を正すのは、滑稽こっけいですからね」


               ( 了 )

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オンラインジャスティス 嵯峨嶋 掌 @yume2aliens

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