第4話


「・・・・それにしても、本邦初、第一回目のオンライン裁判が、の事件だとは、政府もよく考えたものだ・・・・」


 P中央警察署でも裁判の行方を固唾を呑んで見守っていた・・・・。

 署員はこの山本署長の持論をなんど聴かされてきたことだろう。そして、悠々と、いや、延々と、突然鳴り響く雷雨のごとく。葛飾北斎の画号の由来を述べたてるのだった。


くさい、だってよ。へくさい、が、北斎なんだ!」


 もっともそれは極めて信頼度の高い説であることは確かだ。事実、へくさい、とサインのある画も残っている。それにしても、生涯で三十以上も画号を変え、弟子にその画号を売ったりしながら、糊口ここうをしのいできた、極貧で奇行の画狂北斎については、複数人説をはじめまだまだ謎は多いのだが、幼少の頃から、かなり知られた北斎画蒐集家の祖父の影響で、北斎にかれてきた山本署長は、この少年A事件勃発以来、率先して〈放屁万歳!〉を訴えかけてきた。少年Aが通学する高校所在地はかれの管轄外ということもあって、それだけ融通が効いたことも言動にブレーキがかからなかった一因でもあった。

 県警本部長から、たびたび自重勧告を受けたことすら、マスコミの前で自嘲げに語る山本署長は、署長なのに“次長”のあだ名をつけられたほど、一躍、SNSでも炎上した。注目されたあと、県警のみならず警察庁幹部の間でも、山本署長擁護派と、直ちに懲戒免職を!と叫ぶ二派に分裂してひと騒動が起こったのだ。

 なぜなら、全国的にもまったく知名度のないタウン誌の尾崎副編集長と並んで記者会見した際に、あろうことか、次のようにまくし立てたからである・・・・。


『・・・・古来、放屁、つまり、屁をひることは、当時の国家権力に対する、大いなる批判精神の発露、表出というべきでありましょう。すなわち、体制批判の象徴が、放屁、なのであります。県立大学のたちばな博士も、そう強調されておられました。すでに千年近く前、わが国には、“放屁合戦”ともいうべき絵巻物が描かれたようであります。また、江戸期にも、そんなチャレンジが幾度もあったようです。・・・・他にもこんなエピソードがあるのであります。よく屁をひる将軍がおりまして、家臣は笑うわけにもいかずもぞもぞとしておりますと、御三家の水戸公が、『天下泰で、将軍家はご安泰』と述べられたのであります。泰平とは、大きな屁、大屁たいへいのシャレなのであります。また、かの平賀源内は、屁の文化史というべき『放屁論』を著したほど・・・・まさに、放屁こそが、自遊精神の極致ともいうべき、わが国の文化的かつ精神的かつ民族的資産そのものに他ならないのであります・・・・』


 マスコミが騒いだのは、現に国家権力の象徴のひとつである法執行機関に属する地方警察のトップが、公然と、放屁行動=体制批判、というテーゼ命題を打ち立ててしまったからであった。


「署長、評決が出たら、直ちに記者会見が行えるよう各マスコミにも通達済です・・・・会見席に、放屁芸人を手配することはできませんでしたが、懇意にされておられる文化人類学者の橘博士は本当に同席されるのですよね?」


 総務部長が時間を気にしながら、橘博士の到着が遅れていることを告げた。会見席のバックスクリーンには、北斎画を投影する予定で、さらに、12世紀初頭に描かれた放屁合戦の絵巻物の模写絵、江戸時代の放屁合戦画を紹介する準備も整っている・・・・。

 山本署長をはじめ、ほとんどの署員は、無罪評決を確信していたし、当然、各自そのようにオンライン投票するつもりだった。


「・・・・でも、あとで、お咎めがありませんかね?それが心配で・・・・」

 総務部長がソワソワしているのは、左遷や降格人事を懸念しているからだ。

「そんなもの、みんなの屁で吹っ飛ばしてやろう!」

 署長が鼻息を荒くすると、そばで婦警がポッと顔を赤らめた。それに気づいた総務部長は茶化そうとして言葉を呑み込んだ。迂闊うかつなことを口に出せば、パワハラ、セクハラで訴えられないとも限らない時代なのだから。

 もう一度、署長に話しかけようとした部長の携帯が鳴った。話し終わると山本署長に駆け寄って叫んだ。


「しょ、署長、た、大変です!橘博士から連絡があって、デモ隊に囲まれ大学の構内から出られないと・・・・」

「な、なにぃ!過激派か?テロリストか?」

「いや、自然環境保護団体らしいですが・・・」

「・・・・・?」


 山本署長は言葉に詰まった。ため息すら出ない。そして思わずつぶやいた。

「・・・・・腸内環境のことか?へっへへ・・・・」

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