第50話 補伝・神々のその後
かろん。
そのカウベルの音が響かなくなって、もうだいぶ経つ。
学術都市アルメラの一等地に立つ「夜に鳴く鶏亭」は、この巨大都市でも有名な店だ。
東の共和国、西の帝国に挟まれた永世中立都市として両大国を含む大陸の諸王国から承認され、魔術や技術の交流で栄えている。その都市の中央区にある都市管理本庁はアルメラが成立した三百年前から、今となっては伝承の向こうに消えたエルフの建築様式を用いているとされ、逸失した技術が隠されているのではないかということで新本庁に囲まれる形で残存している。
本庁南の大聖堂では聖女アリアテーゼを祭祀しており、毎秋の大祭礼では聖堂前の広場に露天が立ち並び在りし日の聖女を偲ぶ……という厳かな雰囲気ではなく完全なる祭りの様相を呈する。これは聖女アリアテーゼの望みでもあったと伝えられるが、今となっては定かではない。
他にも帝国、共和国を始めとする各国大使館や技術展示場など、様々な行政関連施設が中央区には並ぶが、大聖堂を挟んだ一等地に立つのが「夜に鳴く鶏亭」だ。
周囲に幾つかのレストランなども並ぶが、どれも帝室や王室の御用達支店であったりと一流どころばかりなのに、この店だけは他に支店を持たず創業の頃からの居酒屋という体裁を守り続ける異色の食事処だ。価格も庶民が普段通いできるレベルに抑えられており、それなのに大陸各国の料理や酒が振る舞われる。
なぜそんなことが可能なのかと言えば、アルメラ成立に大功のあった創業者に対し、退役の際年金代わりに地代の永久免除を帝国の前身である王国が約束したからである。これは現在の中央管理庁にも契約書が残っており、物価や人件費の記録的高騰でも無い限り庶民の身方であり続けることだろう。
創業者の方針により、この店の継承に於いては世襲が許されていない。では、どう決めるのかと言えば非常に特殊な方法を用いる。
当代の店主が、次代の店主を決めたらお互いに了承の上店内に入る。すると店の床に魔法陣が浮かび上がるので、向き合って立つと幾つかの条項が彼らの脳裏に流れ込む。それら全てに同意することで審査が行われ、合格が認められると当代は権利を失い、継承者に引き継がれるというものだ。
その特殊な継承法により当代店主はあらゆる害意から守護され、疫病などに冒されることもなく継承まで健康なままで過ごすことができるのである。
その契約条項とは以下の項目から成る。
一つ。店への愛着を持つこと。
一つ。客よりも従業員を優先すること。
一つ。料理への情熱を持ち、常に創意工夫を怠らないこと。
一つ。客が何を望んでいるか、洞察力を磨き続けること。
一つ。過度な利益を追究しないこと。
一つ。不正をしないこと。
一つ。この契約内容を口外しないこと。
故にこの契約は外部に漏れることはなく、現役の店主以外に知るものはいない。だから事前に契約対策を行うこともできず、真に店主に相応しい人物に代々受け継がれてきた。
契約魔術による代替わりであることは周知の事実であったから、もちろん都市北街区にある魔術研究所や魔術大学校などは、目の色を変えて研究しようとしたが、わかったことと言えばこれが「神の契約」と呼ばれる魔法であり魔術ではないこと、そのため解析も研究も応用も不可能であるという、つまるところ何もわからないということがわかっただけだった。
こうして三百年もの間守り続けてきた「夜に鳴く鶏亭」の伝統だったが、さすがに継承者が誰一人いないという状況は想定していなかったのか、遂に開業から二百八十年目にして継承合格できた人材が一人もいないという事態を迎えることとなった。アルメラ市民、特に中央区に近く店に慣れ親しんだ「アルメラっ子」たちは大いに嘆き悲しんだが、当代店主の間に何十人と挑んで誰も合格できなかったという事実は覆らない。
これは同じ通りに店を構える同業者たちにとっても死活問題であり、「夜に鳴く鶏亭」が満席であることで流れてくる客を囲い込めないということになる。来客の殆どをそれで賄っていた他店も多いに困惑し、なぜかライバル店の店主継承を高級料理店がこぞって応援するという意味不明なキャンペーンまではられた。
当代の店主はそれでも自分が厨房に立てなくなるまでは、と頑張ったが寄る年波には勝てず、遂に天に召されたことで「夜に鳴く鶏亭」は時間凍結の魔法が発動し木の扉を開くことは叶わなくなった。
都市議員の誰かが亡くなった時よりも鎮痛な雰囲気が街に満ち、商業活動が下火になるほどの被害が生じたが、街の住人も代替わりし、いつしか都市中央にありながら常に閉ざされた不思議な店という印象に代わりつつある。
そんな中でもアルメラは発展を続け、知の最高峰の地位を大陸に轟かせ続けていた。
「懐かしいわね。全く変わっていないなんて」
「そりゃ、そういう風に契約魔法組んだからな」
「あれは本当に大変でした……」
東西大路に共和国から贈呈された桜並木が咲き始める頃、開かずの店「夜に鳴く鶏亭」の前に三人の異邦人の姿があった。着崩したジャケット姿の男を中心に、フレアスカートと薄いピンクのカーディガンを羽織った金髪碧眼の美少女、濃緑のワンピース姿で栗色の短めの髪をふわふわさせた赤い目の美少……いや幼女か。
店の前の石畳の上で眺めていると、通りがかった老婦人が声をかける。
「観光にいらしたのかしら?この店も観光地みたいな扱いになってしまって、情けないことよね」
「観光地?そうなんですか」
男が問い返すと、
「ええ、もう二十年前かしら、最後の店主が亡くなられてね、継承者が見つからなかったものだから誰も店に入れなくなったのよ。アルメラっ子の誇りとも言える店だから取り潰しや撤去なんてできる訳がないし、次の店主を見つける方法もわからない、仕方なくそのままにしてあるのだけど……通っていた人たちもだいぶ歳をとってしまってきているから、この店の味を思い出せる人が少なくなるのはとても寂しいわ」
そうか二十年前なのか、と呟く男性の脇から、ひょっこり顔を出した幼女がその形に似合わない尊大な言い方で、
「婆様はここの味を覚えてるの?」
「そりゃあもう。亭主と良く通ったものよ。私の息子たちまではしっかり覚えているわね」
「次の店主が見つからなかったと仰ってましたが、挑戦はされたんですよね」
次に問いかけてきたのは金髪の少女だ。
聞いているだけで心地よくなる不思議な声で、老婦人に尋ねる。
「何十人も挑戦したんじゃないかしら。でも駄目だったわ。アルメラっ子の気概を忘れた人が多かったんでしょう、同じアルメラっ子として情けないことだわ」
「この店は好きだった?」
「もちろんよ。これだけの巨大都市だけどね、この店を知らない人は少なかっただろうし、誰もがこの店の雰囲気を楽しんでいたわ」
「じゃあ婆様も、この店が復活したらまた来てくれるのかしら」
幼女の問いかけに大きく頷く。
「当然ね。毎日通うわよ」
その答えに三人は顔を見合わせる。
「そう言えばあなたたちはご兄妹?あまり似ていないようだけれど」
その質問に男はどう答えようか、と悩んでいる風だったが彼が口を開く前に二人の少女が声を合わせた。
「夫婦よ」
え、という形に口を開いたまま、冗談に笑うべきなのか笑えない冗談だと嗜めるべきなのか迷う婦人を他所に、男は「仕方ないな」と笑った。
「驚かれるかも知れないですけどね……いや、ほんとに夫婦なんですよ。あの、こちらの子は魔……純粋なフルール人なんです」
その説明に合点が行ったのか、婦人は驚きの表情のままではあったが納得はしたようだ。
「あらそうなの。魔族の末裔ってことかしら、珍しいわね。じゃあ年齢は見た目より上なのね」
「そうよ、これでも五……もがっ」
慌てて口を押さえる男性を抗議の目で見上げるも、少女も一緒になって押さえつける。うふふ、と婦人でさえも目を見張るような美貌で笑った少女は、
「ご……もう五十年も生きてるんです。私はシャナ人ですから見た目通りですけど。あ、夫もです」
「あらまあ、じゃあ小さなお嬢さんが年長なのね。純血フルール人には初めて会ったから知らなくて。ごめんなさいね、お嬢さん」
「よくあることなので気にしないでください」
男性が苦笑しつつ答えると、ようやく口から手を離されたフルール人の少女がふんぞり返る。
「そう、私が年上なのよ。まったく、こいつらときたら年上に対する敬意がなってないんだから」
「そういう所が敬意を払われない原因なんですよ」
「どういう所よ」
「すーぐ感情的になる脳筋なところです」
「うぐっ」
よくわからないが、仲の良い夫婦らしい。婚姻関係が一対一と定められていないから、一夫多妻も多夫一妻も珍しくはないけれど、多の方の仲が良いのは珍しい。
「仲が良いのね」
「ええ、妻たちは姉妹のようなものでして」
あらあら、と上品に笑うと、
「それで、あなたたちは観光?それともこちらに居住するのかしら」
店のことを知らなかったのだから、アルメラっ子ではないだろう、そう思って尋ねる。
案の定、
「居住するつもりでいますよ」
と金髪の少女が答える。
「南街区かしら。それなら三番町辺りがご夫婦にはお勧めよ。ここからはちょっと遠いけれど」
「ここから遠いのは困りますね。お婆さんもこの店に通ってくれるのでしょう?」
少女の言うことがよくわからず首を傾げる。とは言え唯一わかることだけには答えようと、
「え……ええ、もし店が復活したら、必ず通うわね」
そう言うと男性が笑って言った。
「では、ぜひ再開第一号のお客さんになってください。待ってますよ」
そして扉に手を掛ける。
「あ、その扉はもう」
開かないわよ、と続けるつもりだった言葉は、きぃという扉が開く音に重なった、からんというカウベルに掻き消されることとなった。
「『夜に鳴く鶏亭』をご贔屓に」
そう言って店内へと入っていく男性に、少女たちが続く。
パタンと扉が閉まった後も暫く老婦人は唖然とした表情で三人が消えた店を眺めていたが、ようやく我に帰ると、
「『夜に鳴く鶏亭』が再開するわよ!」
歳を感じさせない声を大路に響かせ、中央管理庁へと走っていった。
「まずは掃除からだな」
ハルは店内を見渡して言った。
「とは言っても、そんなに汚れてないわよ。さすが私の魔法ね」
カウンターの上を、ついと指を滑らせたアルノがにんまりとする。
「でも再開に相応しい店内にすることに、異議はないですよねアルノちゃん」
「それはまあ、ね」
「メイド服、持ってきておいて良かったですね」
「アリアはサイズ大丈夫なの?あんたちょっと太ったんじゃない」
「太ってません!私が太るようなら、アルノちゃんだって同じはずじゃないですか」
はしゃぎながらそれぞれのメイド服を取り出していく。
抱えて二階に上がろうとする二人に、
「何だ?わざわざ上で着替えるのか?」
とハルがデリカシーをどこかに忘れた声をかけると、猛反撃で迎えられた。
「あったりまえでしょ、ハルのスケベ!」
「お兄ちゃんはデリカシーが足りません!」
あまりの剣幕に首を縮こませると、軽快な足音を見送る。
一人になった店内でカウンターに入り、設備を見回す。
道具は入れ替わっているが、竈や水場などの設備はそのままだ。これなら使い勝手も変わらないから明日にでも再開が可能だろう。
「それにしても……二百年ぶりか」
懐かしそうな目をしたハルは、カウンターに腰掛けた懐かしい友人たちの姿を幻視した。
まずヴェセルが去った。
精一杯面白おかしく生き、そして悔いなく死んだ。それによってヴェセルの生は意味を成し、彼の人生は完成されたのだ。
ヴェセルのように名を残すこともなく、ただ死んでいく人にだって、あるいは後悔を残した死んだ人であっても、終わりがあってこその人生であり彼らの生の証は死によって刻まれるのだ。
それはヴェセルたちだけでない。
彼とアルノが無慈悲に殺してきた人族や魔族だってそうだ。
あの世で会えないことが残念だが、なに、奴のことだからいつか生まれ変わってまた会うこともあるだろう、と思う。
その後キリア、ケン、カノ、そして最後にカレンを失った百年後にアルメラを去ることを決めた。
アルノもアリアも、巨大都市となったアルメラにさほどの執着を持っていなかったのは幸いで、どちらかと言えばアルノは人族領域への興味、アリアは思い出の多いアルメラを一時的にでも去るという意味で積極的だった。
そうと決めた三人は「夜に鳴く鶏亭」の継承について契約魔法を施し、従業員として働いていた魔族の男に継承した後、アルメラを去り大陸中を漫遊した。
その最中に王国は西方諸王国を飲み込んで帝国となり、魔族領は共和国となった。魔族と人族の混交も進み、ある民は滅亡し、ある族は融合して族の違いは吸収される。
その中で、たまたま足を向けたエルフ領域では相も変わらぬ種族特性から狙われたハルがいい加減うんざりして族滅し、世界樹の守りとしてロヒ民の有志を充てたのは余録だ。人間の世界ではエルフは滅んだとされているようだが、未だに時折発見の報告がある。それらは全て、ロヒの末裔のことだ。
そうして人族と魔族の終戦から二百五十年、彼らがアルメラを去ってからは百五十年後の頃、神格化が完了した彼らは神界へと一時的に帰還する。
完成されたその世界はヴァンが娯楽に血眼となるのも致し方なしと思ってしまうほど刺激がなく、五十年ほどで早々に飽きた三人は再び世界へと戻ることにしたのだ。
特にやることを決めていたわけではないが、なんとなく「夜に鳴く鶏亭」がどうなってるか見に来たところ、店主がいないという状況だった。
なら、また三人でやるか、と決意したのがついさっき。
まあこれから二百年の続きをやるのも悪くない。
とんとん、と足音が降りてくるのを聞きながら、ハルは思った。
アルノとアリア、三人でいればどこでもそれが彼らの居場所になる。まだまだ続く人生だ、また飽きるまでは「夜に鳴く鶏亭」で楽しくやろう。
「ハルー!どうどう、久しぶりに押し倒したくなっちゃうでしょ!ほらほら、エロいご主人様の所有物よ!」
「お兄ちゃん、今日は久しぶりにメイドプレイにしましょう!いけないメイドをお仕置きしてください!」
二人の声に、ハルはがっくりと項垂れる。
いや好きだけどさ。
でも……
「俺のモノローグが台無しだよ!」
後日。
「アルメラ市民報」に小さな広告が掲載された。
そこにはこう書かれている。
「夜に鳴く鶏亭」ビールあり〼。
「夜に鳴く鶏亭」ビールあり〼 皆川 純 @inu_dog
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