第49話 補伝・勇者たちのその後

 かろん。


 カウベルが響いた店内は相変わらずの盛況だ。

 どこか空いてるかな、ときょろきょろ見回したキリアにアリアの声がかかる。

「いらっしゃいキリアさん。カウンターの奥が空いてますよ」

「ありがとうございます、聖女様」

 黒を基調にしたメイド服が似合う聖女というのもどうなんだ、という気持ちはこの一ヶ月ですっかり消え失せた。聖務は白い聖衣で、夜は黒いメイド服で、となるとアリアは白か黒しか着ていない訳だが年頃?の女性としてどう思っているのだろう。

 と、どうでも良い感想を抱きながらカウンターに腰掛ける。

「おう、キリア。ほら、まずはビールだ」

「ありがとうございます。今日は暑かったから助かりますよ」

「だな、お陰でここ数日はビールの売上がとんでもないことになってる」

「まあ、暑いですからねぇ……あ、今日はワギの南蛮漬けですか、美味そうですね」

 ビールと共に置かれたお通しに目を輝かせる。


 オラル川だけでなく大陸中の川で大量に穫れるワギは、小さいのでこうして南蛮漬けにするのが効率的だし美味いのだが、ワタを取ったりする手間も相応にかかるので出してくれる店が少ない。

 ワカサギに似た味が懐かしくてキリアの好物であるのだが、西方諸王国では出してくれる店を見つけられなかった。

 いそいそと箸を手に、早速口へ運ぶ。

「うん、美味い!これ、なかなか出してくれる店がないんですよね」

「あー、面倒だからな。うちはカレンさんとアルノが手伝ってくれるから割と出すぞ。食べたくなったら来い」

「それはありがたいです。でもまあ、食べたくなったらどころか、アルノさんから毎日来るように強要されてますが」

 苦笑するキリアだが、別の店もいくつか回ってみて結局ここに落ち着いている。他が悪いという訳ではないのだが、領域にこだわらず様々な食材を色々な調理法で提供してくれるし、ケンが頑張っているのか酒の種類も豊富だ。

 ハルにアルノ、アリアやカレンの店で狼藉を働くような輩がいる訳もないから居心地が良いし、なんだかんだで「夜に鳴く鶏亭」に定席を置いている。

 だが、ひとつだけ気になることがあった。

「聞いても良いですか」

「ん?なんだ」

 手を動かしながら答えるハルに、

「エルフの料理だけはないですよね。確かに知名度は低いしそもそも人前に出ない一族ですから、おかしくはないんですが……ハルさんなら作りそうなものじゃないです?」

「あー……」

 とんとんとん、と軽快にリズムを刻んでいた包丁の音が止まり、ハルが落ち着き無く視線を動かす。


 アルメラには滅多に見かけなくともエルフがいることはいる。あらゆる族に懐かしい味を、と店のメニューに取り込むことに余念がないハルにしては珍しいと思っていたのだ。

 煮え切らないハルを疑問に思いながらジョッキを傾けていると、貝の炭焼きを持って厨房から出てきたカレンが笑いながら疑問に答えた。

「旦那様はエルフにトラウマがあるんですよ」

「ん?エルフにですか?戦争とは無関係だったんじゃ」


 少数民族である彼らは独特の風習を持ち、人族とも魔族とも交わらない。確認されている居住地は魔族領北東の山岳地帯、王国と西方諸王国の境界にある南部の森林地帯の二箇所だけだ。それぞれが世界樹と呼ばれる巨木を御神体として周囲の領域を守護しつつ暮らしている。世界樹自体は何ら力を持たない巨木だが、様々な薬効をもたらす植物をその身に生やすので、一本で何度でも美味しいという木なのだ。

 そこから採取されるものを「世界樹の葉」と称してはいるが、これはある種ブランドであってその他の同様の植物と効果が変わるものでも何でもない。ただ、エルフ自体には得体の知れない力、魔法とも区別され呪法と呼ばれているそれを持つ故に、人族も魔族も下手に手を出さず放置しているのが現状だ。ごく少数の物好きなエルフが居住地を飛び出して魔王軍に入り、そのままアルメラに居着いているようだが。


「確かに戦争とは無関係でしたが、王国の政争には首を突っ込んだことがあったようです」

 炭焼きをカウンターに置くと明確な答えを出さずに厨房へ引き返していく。どういうことかと訝しげにハルを見るも、答える様子はない。首を傾げているところにハルが作っていた料理を取りに来たアルノが、

「政争と言うか、出汁に使われただけね。一度、ハルを人身御供に差し出してエルフの呪法を使おうとしたことがあったのよ」

 笑いを堪えるような顔をしながら、ハルに新しいオーダーを告げて炭焼きを持ってテーブル席の方へ歩いて行く。

「人身御供……エルフ……あっ」

 エルフの風習に思い至ったキリアが、思わず声を上げる。

 受け取ったオーダーのカクテルを作り始めたハルを見ると、なんとも言えない表情で、

「それ以上は言ってくれるな。あ、念の為言っておくが何もなかったからな!」

「あ、はい」

「おい信じてないだろ!ほんとだからな!」











 一通り落ち着いた時間帯、仕事終わりの食事のついでに飲む客がはしご酒の客に入れ替わる頃には、酒とつまみが主体になる。

 厨房を使う料理がオーダーされることもないため、カレンが接客に回りランチから手伝っていたアルノは遅い夕食をカウンターで取る。アリアは先程上に上がり、今は寝室の準備でもしていることだろう。

 ちなみに、アルノは閉店した店で結合したまま物扱いで部屋へ持っていかれるという獣的な行為を好み、アリアは湯浴みと香油で清めた身体を陵辱されるのを好む。

 そんなどうしようもない性的嗜好を反映した結果が、このローテーションだ。


「夜に鳴く鶏亭」に、カウベルと共にケンが入ってきたのはそんな落ち着いた時間帯だった。

「いらっしゃいませ、ケンさん。キリアさんはカウンターですよ」

「ああカレンさん、ありがとうございます」

 カウンターで片手を上げているキリアを見つけたケンが、奥の席で食事しているアルノに軽く頭を下げて隣に腰掛ける。

「こんばんは、ハルさん。いつものお願いします」

「あいよ、今日はロヒ民が育てた果実で割ったぞ」

 蒸留酒であるヴィンを果汁で割ったものを置くと、マルリードではなくルミの実を炙ったつまみを出す。

「これ、香ばしくて良いですよね。魔族領にはないので、最近食べてませんでしたよ」

「あ、ケン。俺にもひとつくれ」

 白酒に変わったキリアのお猪口と軽くグラスを合わせ、早速ルミの実を口に放り込む。ぽりぽりと噛み砕きながら、

「それでキリア、敢えて呼び出したのはどんな用件なんだ」

「ああ……神丞がな」

「神丞がどうした。あいつ、今でも王室派のサガレン伯爵のところにいるんだろ」

 魔族領とアルメラは頻繁に行き来しているが、王都にはあれから殆ど足を運んでいない。手紙を出したものの返事は来ないから近況がわからず、どうしたものかと思っていたところだった。

「ケン、神丞に最後に会ったのはいつだ」

「王城で別れたきりだ。あいつは妖族の街に来たがらなかったし、手紙を出しても返事がなかった。俺の知り得た情報は隠さず書いておいたし、出した手紙が戻っても来ないから手元には届いていると思うが」




 帰還の方法がないことは伝わっていると思う。

 既に勇者としての価値はないことで王国が彼らに隠すような情報もなければ、魔王がいなくなったことは公開されているから、彼宛の手紙が検閲される心配もない。

 だが、だからこそ心配だった。


 入試直前に引っ越してきたキリアは詳しく知らないだろうし、知ったところで都会人だった彼に田舎の雰囲気は理解しずらいだろうが、あの街で生まれ育ち中学も神丞と同じだったケンには彼の環境やどういった人間であるかを理解していた。

 テレビで見るような大富豪ではないが、何も努力をしなくても将来の安定は確保されているレベルの家だ。想像を超えるような金持ちでも特権階級でもないが、人付き合いだけ上手くやれていれば努力する必要はない。言ってみれば高校にも大学にも行く必要はないのだが、そこは地域社会なりの階級と親類一同での見栄のためにも最低限の繕いは必要だ。

 それが彼に課されたコミュニケーションという義務であり、逆に言えばそれすらクリア出来れば他に何も必要ない。田舎には、往々にしてそういった家が存在する。羨む向きがあるかも知れないが、ケンもまたそういった地方の環境で育ったからか、神丞のような家に生まれついた苦労があることも知っている。

 結局のところ、自由だ平等だと偉そうに近衛師団に言っておきながら、自分たちだって生まれが全てを決定する現代日本の不平等と血統主義しか知らなかったのだ。

 とんだお笑い草だ、と後から思えば笑うしかないのだが、ケンもユーコも皆もその時は真剣だった。真剣にこの世界の不平等と不公平、理不尽に憤っていた。実のところ、この世界の方がよほど実力主義であるのに。

 どの家に生まれるかが全てでありながら血統主義を建前でだけ否定する日本の富で育まれた彼にとって、この世界の実質的実力主義は受け容れ難いに違いない。

 王家や貴族は彼らにとって血統主義の象徴だ。

 だから反発する。

 けれど、それ以下は完全な実力主義だ。

 そこに気づかない。

 自分たちは日本の平民階級だったから、痛みの末に運良く理解し受け容れることができた。けれど、神丞は恐らく無理だろう。

 そしてそれはきっと、早々に居場所を確立したキリアはもっとよく理解している。




「やっぱり神丞は上手くやれていないのか?」

 出来れば彼にも受け容れて成功して欲しい、無理だと思いつつも一抹の希望を胸に聞いてみる。

 だが、答えは最も悪いものだった。

「死んだよ」

「……え?」

 空だったからだろう、ことん、と置いたお猪口の音がやけに乾いて聞こえた。

「サガレン伯は神丞の勇者としての能力を当てにして、息子の剣術指南を任せたらしい。だがその息子は生まれながらの伯爵家跡取りだ……わかるだろう?」

「血筋に我慢できなかった、か……」

 キリアの言葉を確認するように、ケンはぽつりと呟いた。

「貴族が血統主義なのは当たり前だし、それを非難することの方が間違ってる。王妹殿下ですら、支援をしてくれはするものの俺たちが王城を辞する時に何らお言葉を頂くことはなかったし、勇者の死を悼んでもそこに無駄な時間や労力を注ぎ込むことはしない。為政者はそれで当然なんだ」

 ケンの言葉を、キリアは黙って聞いている。

 空いた徳利を下げ、ハルが新しい白酒とケンのお猪口を置いた。

「貴族は生まれついて貴族だから、市井の発展のために働きこそすれ、市井の住民の心情を理解することはない。触れる機会がないから当たり前だし、無駄な同情を寄せて全体の発展を阻害するようなことがあってはならないんだから、それも当たり前のことだ」

「だが、神丞はそれが我慢できなかったんだろうな」

 勇者であるクラスメイトの死に、最も理不尽さを感じていたのも彼だった。キリアやケンの認識と、どこが違ってそうなったのかはわからないけれども、そういった思いもまた彼の世界への同化を妨げたのだろう。


「実力が全てだということと、地位と立場が人を作るということを、どちらも強制したらしい。伯爵の長男はもちろん反発する。認識の相違が亀裂を生み、誤解が理解を妨げた結果としての処刑だったそうだ」

「処刑?あいつは処刑されたのか」

「詳しくは俺も知らないんだけど……」

「食事に毒を盛られて拘束され、伯爵領本城の地下で人知れず処刑されました」

 いつの間に来たのか、カレンが彼らの背後から話しかけた。

 振り向いた彼らの目の前に手を突き出して開くと、

「遺灰は川に。ですのでこんなものしか持ち帰れませんでした」

 そこにあったのは、校章の襟章だった。

 詰め襟につけるものだ。


 二人は市井での生活資金のため、元の世界から持ち込んだものは早々に売り払って何一つ残っていないが、やはり神丞は日本との繫がりを残していたらしい。

 差し出したケンの掌に置かれたそれは、薄汚れてしまっていたが確かに神丞がこの世界で生きていた証だろう。最後までこの世界に反発した彼だったが、生きた痕跡が何もないよりずっとマシだ。


「ありがとうございます、カレンさん」

 鈍い銀色の光を放つそれを、ケンはじっと見つめていた。

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