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高度経済成長を支えたのは誰か

『揺れるブランコ』の補足?説明です。
カクヨムの読者であろう皆さんには、教科書の内容は覚えていてもイメージは湧かないと思いますので、時代背景をご説明したいと思います。

ざっと歴史をまとめてみると、
1945年 太平洋戦争終戦
1950年 朝鮮特需
1955年
 この間が高度経済成長期
1973年

となります。
これに世代を被せてみると、

1935年
 この間に生まれた世代=焼け跡世代
1945年
 この間(1947〜1949)生まれ=団塊世代
1950年
1960年
 この間に生まれた世代=新人類
 その中でも1965〜1971年生まれは「バブル世代」
1971年

となります。
終戦後、食料危機を超えて高度経済成長の礎を作ったのは焼け跡世代、高度経済成長期に労働力の中心を担ったのは団塊世代と考えて良いでしょう。
焼け跡世代は安保闘争、団塊世代は全共闘にも関係してきます。
1950年後半から1960年代頃は都市と地方の教育格差が現代では考えられないほど大きく、都市部では大学まで進む一方、地方では高校進学する人が半分程度です。

集団就職列車は1954年(S29)から1975年(S50)まで運行されていました。
この時代の高校進学率を見ると、1954〜1956年までは50%をわずかに超える程度、70%を超えたのが1965年、90%を超えたのは1974年です。
つまり1950年代の15歳人口の半分弱を送り出していた、1930年代〜1940年代生まれの焼け跡世代が「金の卵」直結の世代といえるでしょう。
団塊世代は1962〜1964年に15歳ですから、集団就職の後半を担った世代になります。

前に述べた安保闘争に関して言えば、ちょうど1960年の安保闘争時に全学連の委員長だった唐牛健太郎が1937年生まれ、東大安田講堂事件(1968-69年)に学生だった人は1948年前後の生まれです。

余談ですが、安保闘争は太平洋戦争で敵国だったアメリカとの安全保障条約改定に対する反対運動であり、自分たちの戦争体験や主義主張に基づく反対もあったでしょう。全体的には闘争と言う名の「オトナのジジョウ」ですが。
ただ、全共闘は「クソガキのワガママを機動隊員が命をかけてなだめた」という、史上稀に見る最悪な子供のダダでしかなく、そういった意味で全共闘を私は全否定していますし、坂本龍一やテリー伊藤などは大嫌いです。

閑話休題。

ここまでで何となく時代のイメージが湧けば良いのですが、視覚的に感じ取れないとなかなか難しいかも知れません。その場合はYouTubeなどで貴重な映像が残っていますのでご参考までに。

昭和30年初頭の集団就職列車です。
https://www.youtube.com/watch?v=jDxrHceRqBE

短編の中にあった「もはや戦後ではない」は昭和31年の経済白書に書かれた有名な一節。つまり今回の話はこの少し後くらいだと考えて頂ければ。

この世代が今の日本を作ってくれました。
飽食の時代やら一億総中流やら。
「しらけ」たり「ゆとり」ある教育制度になったり「デジタル」に囲まれた生活ができたりするのも、こういった歴史が積もったものであるということは忘れないようにしたいですね。

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