魔犬ヒーロー・ストレルカ、某高校に参上す

八百十三

第1話

 魔犬ヒーロー・ストレルカ。

 忍者のような敏捷性と、獣の獰猛さを併せ持った、新進気鋭の若いヒーローだ。

 その両手の爪は鉄をもバターのように切り裂き、ひとたび花弁のようなオーラをまとえば、どんな魔物も一撃のもとに叩き伏せる。

 正体は男か、それとも女か。若い人物で、学生だ、ということくらいしか世間一般には伝わっていない。

 ただ、その強さと勇敢さは、人々の関心を惹きつけてやまない。

 そんな最高の、最強のヒーロー。

 まさか、正体が私――地味で根暗な園芸部員の高校生、茅沼かやぬま玲美れいみだとは、誰も思わないだろう。


 今日も私は学校の花壇で、植木に水をやっていた。

 背後では運動部の皆が、校庭でスポーツに勤しみながらしきりに大声を上げている。金属バットの快音が聞こえるということは、野球部だろうか。

 その騒がしい音にちら、と後方を振り返りながら、私は小さくため息を付いた。

 元気なのはいいけれど、少しうるさい。


「ナイスボール!」

「もう一球!」


 どうやら打撃練習の最中のようだ。ピッチャーの生徒とキャッチャーの生徒がしきりに声を上げている。

 そしてまた一つ、後方で快音が鳴った、と思った途端だ。急に野球部の生徒たちが騒がしくなった。


「おーい、何やってんだよ!」

「危ない、おーい!」


 しきりに声が飛んでいる。それと同時に走ってくる音、バットを地面に投げ捨てるお供する。何事だろう、と私が振り返った時だ。


「う、わ、わっ」

「えっ?」


 目の前にはこちらに全速力で駆け寄ってくる、男子生徒の顔があった。それはもう、目の前にあると言ってもいいくらい近くに。

 そのまま足がもつれた男子生徒は、私に向かって倒れ込んできた。押された拍子に私の身体が、先程まで水をやっていたコバノミツバツツジの低木に突っ込む。

 枝がミシミシ、ベキベキと音を立てた。


「きゃっ!?」

「うわっ!」


 男子生徒も私の上に覆いかぶさるようにして倒れている。そしてその手には野球ボール。

 どうやらファールボールがこちらに飛んできて、それをキャッチした拍子に足がもつれて私にぶつかり、倒れてきたらしい。

 男子生徒は起き上がると、すぐに私に頭を下げた。その顔には覚えがある。同じ2年5組の綾部あやべりょうだ。


「ご、ごめんな」

「え、あっ、あ」


 綾部君は申し訳無さそうな表情でこちらに深く頭を下げている。私がクラスメイトだと気づいているのかどうかは分からないが、元々クラスメイトである以上の接点もない間柄だ。覚えられていなくても仕方がない。

 と、彼の後方から何人もの野球部員が近づいてきた。口々に綾部君に言葉をかけている。


「綾部ー、何やってんだよ」

「女子のいるところに突っ込むとか、サイテーだな」

「わ、悪かったって!」


 野球部員の文句に、綾部君が言い返しながら頬を赤らめた。確かに女子生徒にぶつかって、押し倒したなんてことが学内に知れ渡ったら、色々と問題だろう。

 部の仲間たちからこちらに振り返った綾部君が、私に手を差し伸べてくる。


「園芸部だよな。怪我とか、してないか?」

「あ、だ、大丈夫、です」


 どもりがちになりながら、私は綾部君の手を取った。押し倒されて転ばされたのも恥ずかしいが、それより何より私は、私の制服のポケットに入っているあれ・・が無事かどうかが気がかりだった。


「よかった。ほんとごめんな!」

「ごめんな、こいつノーコンだからさ」

「お前が変なところにボール投げるのが悪いんだろ!」


 野球部員は口々に私に謝りながら、綾部君やピッチャーの生徒、あるいはバッターボックスに立っていた生徒を小突きあっている。その様子は仲睦まじいが、私は正直それどころじゃない。


「あ、あの、ほんと、ほんとに大丈夫なので!」

「あっ」


 深く頭を下げて、私は逃げるように走り去った。そのまま校舎の影に飛び込む。

 影になる部分に飛び込んだ私は、息を整えた。胸元に手を当てて深く息を吐く。


「はあ……あ、危なかった」


 人目がないことを確認すると、私は胸ポケットに手を入れた。そこから、ツツジの花の意匠が書かれたメダルを取り出す。


「よかった、壊れてない……」


 このメダルが、ヒーローに変身するのに必要な変身アイテムだ。このメダルを首のチョーカーに取り付けることで、私はヒーロー・ストレルカに変身することが出来る。

 だけど、世界最強のヒーローが、後方から飛んでくるボールを避けられないというのも、恥ずかしい話だ。私くらいなら、飛んでくるボールなんて見ないでも避けられる、そのはずなのに。


「……何やってるんだろう、私。飛んでくるボールくらい、普段なら簡単に……」


 そう、普段なら、だ。しかしそれは、茅沼玲美の普段ではない、ストレルカの普段だ。

 ヒーローは、ヒーローであるということを変身時以外に知られてはならない。もし知られるようなことがあったら、怪人はヒーローの秘密を知る人を真っ先に襲うからだ。


「いけない、『ヒーローはおのずから正体を明かすべからず』、ヒーロー教習で真っ先に言われることじゃない」


 そう自戒しながら、私は首を振った。ここで私の、最強のヒーローであるストレルカの、弱点を怪人たちに知られるようなことがあったらどうなるか。

 私は気を取り直して、メダルをポケットに仕舞いつつ校舎の影から出た。まだ水やりが途中なのだ。


「ツツジ、大丈夫かな……突っ込んじゃったし、枝とか……」


 そう言いながら元の場所に戻ろうとした時だ。先程とは比べ物にならないくらい、グラウンドが大きくざわついていた。


「お、おい、何だあれ!?」

「ば、化け物!」

「えっ」


 化け物。その言葉に私ははっとする。胸ポケットに手を突っ込みながら、校舎の影からグラウンドを覗く。

 するとそこには、まるで狼を二足歩行にしたかのような、毛むくじゃらの怪人が、学校の外壁のフェンスに両手をかけていた。


「あれは――!」


 その姿を見て、私は目を見開いた。暴食怪人グラトーネ。あらゆる生き物を食らい、人間をも食らう危険な怪人だ。


「キヘヘヘヘ、新鮮な若い肉が山のようにいるぞ! 食い放題だ!」


 グラトーネは長い舌をぺろりとなめずり、フェンスを乗り越えてグラウンドに侵入してきた。標的は当然、練習中だった野球部の部員たちだ。

 部員たちが一斉に金属バットとグローブを放り投げて走り出す。


「れ、練習中止! 逃げろ!」

「校舎の中だ! 急げ!」


 部員たちが我先にと学校の校舎に向かって走ってくる。私の立っている位置からは遠い方向にだが、このままでは部員の命が危ない。何しろグラトーネは、その足の素早さでも有名なのだ。


「いけない!」


 私はすぐにメダルを取り出し、首のチョーカーに押し当てた。ぱちんとメダルがはめ込まれ、私の全身は光りに包まれる。そうして一瞬の内にヒーローの衣装が異空間転送で呼び出され、私は茅沼玲美から、魔犬ヒーロー・ストレルカに変身した。

 と、その時。最後尾を走っていた綾部君がころんだ。また足がもつれたらしい。よく転ぶ人だ。


「あっ!」

「綾部!」


 転んだ綾部君に誰かが手を差し伸べるより早く、グラトーネの大きな手が綾部君を掴んだ。牙の間からよだれを垂らしながら綾部君を見ている。


「キヘヘ、まずはお前からだ!」

「やめっ、だ、誰か!」


 その手の内から逃げ出そうとするが、がっちり掴まれていて逃げられない。このままでは命が危ない。

 私はすぐさま校舎の影からグラウンドに飛び出した。グラトーネの真正面に立ちながら声を張り上げる。


「そこまでだ、暴食怪人グラトーネ!」

「なにっ!?」


 すぐさまに現れた私を見て、グラトーネは目を見開いた。同時にグラトーネに胴体を握られた綾部君も目を見開いて私を見ている。

 それもそうだろう、こんなに早く、現場にヒーローが駆けつけたのだから。まるで一部始終を見ていたかのようなスピードで。

 そんな疑念を打ち払うように、私はポーズをビシリと决めて宣言した。


「魔犬ヒーロー、ストレルカ、ここに見参! お前の悪事もここまでだ、悪食な怪人め!」


 私の登場に、グラトーネの足が一歩下がる。だがその口元には笑みが浮かんでいた。手の中の綾部君を見せつけるように胸の前に抱く。


「ヒーローがこんな近くにいるとはぬかった! だが俺様の手の中にはこいつがいるんだぞ!」

「くそっ、放せ、放せよ!」


 綾部君は手の中でもがいているが、握る力は強く抜け出すには至らない。

 これは私が助けなくてはならない。それもなるべく早くにだ。


「(綾部君……待ってて、すぐに助けるから!)」


 心のなかで呟いて、私は地面を蹴った。一気に距離を詰めてグラトーネの手首を狙って爪を振るう。


「はぁっ!」

「おぉっと」


 だが、その動きはグラトーネに読まれていた。一歩大きく下がったグラトーネが綾部君の身体を上へと持ち上げ、私の爪をかわす。

 綾部君を持ち上げながらグラトーネが歯をカチカチと鳴らした。


「キヘヘ、お前の爪など、俺様の足の速さの前では無いも同然だ!」

「くっ……!」


 その素早さに、私は奥歯を噛んだ。素早いことは分かっていたけれど、思っていた以上に素早い相手だ。接近戦を挑むには分が悪い。


「(まずい……思っていた以上に相手の動きが速い! 人質が手にある中では必殺のツツジサイクロンは使えないし、どうする……!?)」


 私は構えを取りながら逡巡した。必殺技のツツジサイクロンは、手元からオーラの竜巻を放って敵を攻撃する技だ。広範囲を攻撃できる反面、敵味方の区別をつけられない。こういう風に人質を取られている時には使えないのだ。

 私が攻めあぐねているのを見て、グラトーネが笑う。


「キヘヘ、打つ手なしのようだなあ! お前の相手をする前に、こいつを食ってから続きをやろうか!」

「や、やめろ! ストレルカ、助けて!」


 持ち上げた綾部君を、グラトーネが顔の高さまで持ち上げて口を開けた。その口が間近に迫るのを見て、綾部君の顔が青ざめるのが分かる。

 このままでは彼は食べられてしまう。どうにかして助け出すしか無い。


「待ってて、必ず助けてあげるから! 少しの間目を閉じて!」


 そう綾部君に声をかけると、私は猛スピードで走り出した。だがグラトーネに向かってではない、グラトーネの周囲を回るように円を描いて走り出す。


「おっと? 走り回って撹乱させようったって、そうは――」


 そんな私を見てもグラトーネは微動だにしないで立っていた。そうだろう、私が猛スピードで周囲を走り回っているのだから動けないはずだ。

 そしてそれが私の狙いでもあった。猛スピードで走り続ける私に合わせ、グラウンドの砂と土がどんどん舞い上がっていく。


「うぉぉぉぉっ!」

「な……!?」


 そして更にスピードを上げた時だ。砂埃が一気に高く舞い上がる。それはもはや、砂の竜巻とも言えるものだった。

 グラトーネは目を細めた。竜巻の中にいる状況だから、目に砂が否が応でも入ってくるのだ。


「これは、砂の竜巻!? くそっ、砂で視界が……!」


 そしてグラトーネが一瞬、目をぎゅっと閉じた時だ。その隙きを突いて私は竜巻の中から飛び出す。

 

「そこっ!!」

「ぐ――」


 狙うのはグラトーネの握られた手だ。ぐっと拳を突き入れ、爪で指を切り裂く。たまらず手の力を緩めたところで、私は綾部君の手をしっかりと握った。


「綾部君、掴まって!」

「え、あ――」


 私に声をかけられた綾部君が手を握り返す。それを確認した私はグラトーネの手を足場に、上空へと高くジャンプした。

 空中にいる間に綾部君の身体を抱きかかえる。そしてそこから、ヒーローらしくグラウンドに着地してみせた。

 着地の瞬間に綾部君が咳き込む。どうやら命に別条はないらしい。


「怪我はない!?」

「あ、ああ。あの――」


 私がグラウンドに綾部君の身体を下ろして声をかけると、頷きながら彼は何かを言いたげな表情をした。

 言いたいことは、きっと色々あるだろう。何故名前を知っているのかとか、何故こんなところにいるのかとか。

 だが、それに答えている暇はないし、答えるつもりも私にはないのだ。グラトーネが竜巻の収まったグラウンドで、目をこすりながら私を睨む。


「くそっ、せっかくの人質が……!」

「悪食な上に悪辣とは救いようがない! ここで完膚なきまでに叩きのめしてやる!」


 立ち上がってグラトーネに指を突きつけ、私は叫んだ。クラスメイトに手を出したのだ。当然放置するつもりはない。

 私はちらりと綾部君に視線を投げる。ちょうど彼も私を見上げていたようで、視線が合った。小さくうなずいて声をかける。


「ここにいて」


 そう告げると、私は再び地面を蹴った。この位置からツツジサイクロンを使うのでは威力が出ない。そして綾部君の返答も聞いていない。

 私は距離を詰めながら、グラトーネに向けて両手を突き出した。


「喰らいなさいグラトーネ、必殺、ツツジサイクロン!!」


 必殺の技名を叫ぶと、私の両手から桃色の花弁を散らしながら竜巻が巻き起こった。その竜巻がグラトーネを飲み込み、その身体を粉々に打ち砕いていく。


「ぐ、ぐぉぉぉぉ!! ちくしょぉぉぉぉ!!」


 断末魔の悲鳴を上げながらグラトーネがこの世から消え去っていく。後には、ツツジサイクロンの余波を受けてちぎれ飛んだ、グラトーネの体毛だけがグラウンドに残されていた。

 それを足で踏み散らすと、砂のようにさらさらと崩れて消えていく。これで怪人撃破は完了だ。


「ふぅ……これでよし」

「あ、あのっ!」


 と、私の後方から声がかかる。見れば、綾部君が私の直ぐ側に立っていた。

 彼は頬どころか顔を真赤にしながら、私に向かって頭を下げている。当然といえば当然だ、有名なヒーローが目の前にいて、自分を助けてくれたのだから。


「ストレルカ……助けてくれて、ありがとう。まさか、最強のヒーローが、うちの学校の生徒だったなんて」

「あ……あー」


 その言葉に、私は言葉を濁すので精一杯だった。流石に個人名まで思い至ることはないだろうが、これだけのスピードでやってこれるあたり、既に学校の中にいた学内の関係者だ、と考えるのが自然だ。

 そしてストレルカは若い人だ、と誰もが知っている。となれば学校の生徒だ、と考えるのも当然だろう。

 間違っていない。そしてそこは否定のしようもない。私は小さく頭を振りながら答えた。


「そうだね、そこは隠しようがないことだし……でも、くれぐれも、そのことは秘密にして。私を狙って、別の怪人が学校に襲いに来るかもしれないから……」

「あ、ああ、そうだよな」


 綾部君の口元にそっと指を当てて言うと、彼も納得したようにうなずいた。

 今回グラトーネが学校にやってきたのと同じように、他の怪人がこの学校に押し寄せてこないとも限らない。何しろ、人質なら山のようにいる環境だ。私のせいで学校の生徒や先生を危険に晒すわけにはいかない。

 そろそろ頃合いだろう。私は綾部君をそのままに歩き出す。と、私の背中に綾部君が、何かを言おうと声をかけてきた。


「あの、ストレルカ」

「あっと、ごめん。私はそろそろ行かなくちゃ。別の怪人が学校にやって来る前に立ち去らないと!」


 が、それに答えてあげるほど私は優しくない。そのまま軽快な足取りでグラウンドを後にする。


「それじゃ、気をつけてね!」

「あ、ああ! ストレルカも気をつけて!」


 軽く手を振りながら言えば、綾部君も私に声をかけつつ手を振った。

 この後彼は、野球部の面々からストレルカに助けられて言葉を交わしたことを羨ましがられるのだろうし、家に帰ったら家族に自慢もするんだろう。

 それは別に構わない。ヒーローとはそういうものだ。

 だけど。


「バレてない、よね、きっと」


 私が、先程言葉を交わした園芸部の茅沼玲美で、クラスメイトだということが。バレていないことを祈るしか無い。

 無いのだけれど。


「綾部君……か。今度は、もうちょっと話、出来るといいな」


 次は、クラスメイトとしてもう少し、交流を出来たらいいな、なんてことを思いながら。

 私は首のチョーカーからメダルを外し、元の人間の姿へと戻るのだった。

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