第9話 小鞠の実験

【見たわよ、小鞠。あんた昨夜、変なことしてたでしょ?】

 授業中にカバンのほうから話しかけてきたのはキューちゃんだ。

 そうか、もう二十四時間経ったのか。

 私はキューちゃんをスクールバッグから取り外し、机の上に置く。

 今は数学の授業だから、私みたいな後ろの席まで先生は来ない。

 黒板の前しか移動しないタイプのおじいちゃん先生だから。


「変なことなんてしてないけど」

 私は小声でそう答えた。

【してたわよ。タオルや枕たちが騒いでたんだから。小鞠がとうとうおかしくなった、って】

「へえ。物たち同士って会話できるんだ」

【そんなこと前から知ってたでしょ? 私は普段は人間には聞こえない声で話していて意思疎通ができてるって、ああもうそうじゃなくて!】

 キューちゃんは【はあ】と人間みたいなため息をつき、それから続ける。

【しらばっくれないで! 昨日、おかしなことしていたのは明らかなのよ! 何をしていたのか話してみなさい!】

「別にキューちゃんに話す義務はないよね」

【あるわよ! 小鞠はコソコソする時は、ロクなことをしていないでしょ! この能力が備わった時だってそうだったじゃないの。そのせいで――】

 キューちゃんは突然、黙りこんで【この話はやめたほうがいいわね……】とまたため息。

「ロクなことじゃないよ。実験。自分の髪の毛とか、汗とかに名前をつけてみてたの」

【はあ? 自分の体と喋りたいの?】

「私じゃないよ。自分の体と喋れれば、他の人の体の一部、たとえば髪の毛とかと話せるかなーって思って」

【何度も言うけど、小鞠の能力はあくまで物に名前をつければ会話ができる、っていうことよ。人の体とか生き物には名前をつけても話せないの】

「うん。そうみたいだね。髪の毛も汗も切った爪もまったく無反応だったし」

【そこまでしてなんで……。ああ、昨日のヘアピン事件のことを解決するためだったのね】

「そう。ヘアピンについた血と会話ができれば、話が早いかなーって」

【例の倉田君とやら、昨日の朝に廊下ですれ違ったわね】

「えっ、そうだっけ」

【気づいてなかったのね。まあ、向こうも気づいてなかったみたいだけど、『クラタ』って呼ばれていたから、彼よね】

「うん。なんか言ってた?」

【特に。でもね、あの倉田君という子は、絶対に裏があるわ!】

 裏ねえ。

 確かに今朝、倉田君に怪我をさせられたらしき女子の話も聞いたし……。

 ヘアピンの血はあの女子のものなのかな。

 だとしたら、めちゃくちゃ暴力的な男子じゃん。

【――というわけでね、小鞠みたいなタイプは、ああいう男子と仲良くなったほうがいいわ! あ、男子としてじゃなくて人間としてよ】

「え、は? なに? 何の話?」

 考え事をしていてキューちゃんの話の前半部分を聞いていなかった。

 しかし、キューちゃんは黙ったまま。

 どうやら五分が経ったようで、辺りはしんと静まり返る。


 先生が黒板にチョークで数式を書いている音だけが響く。

 私の頭には疑問だけが残った。

 なんで私が、暴力的な人と仲良くなったほうがいいの?

 もしかして私、物たちから暴力的な人間だと思われてる?

 類友なんだから仲良くしろ、って。

 そうだとしたらショック。

 精一杯、物は大事にしているつもりなんだけどなあ。


 今朝の出来事があってから、てっきりお昼休みに明智君が新聞部の招集をかけるかと思いきや、それはなかった。

 それどころか休み時間もお昼休みも教室から一人でそそくさと出ていくだけ。

 とうとう放課後になってしまった。

 今日は九重先生の顔も、朝のホームルームと帰りのホームルームでしか見られなかったから私のテンションは低い。

 そんな状態で憂鬱な気分で教室から出ようとすると。

「新聞部は部室に集まってくれ」

 明智君はそう言うと、足早に教室を出て行った。

 ああ、やっぱり倉田君を呼び出して問い詰める、という作戦をするんだ。

 あんな体格が良くて暴力的っぽい男子に敵うはずがないよ。

 気分も体も重いままで、社会科資料室あらため部室へ行く。


「見てくれ!」

 明智君は部室に入ると、私と雲母さんに何かを見せてくる。

 それは折り畳み傘だった。

「ただの折り畳み傘だよね」

 私の言葉に「違うんだな~」と明智君は言うと、折り畳み傘を剣のようにすっと構える。

 こういう姿は絵になるようなあと思っていたその瞬間。

 ひゅっと風を切る音がした。

 すると、何かが伸びていった。

 すぐ横を見ると、傘の中央の棒の部分があった。

 その部分が部室の壁からドアの部分までみょーんと伸びている。

「なつかしい」

 雲母さんがどこかうれしそうに言う。

「え、これ、なに?」

 私が首を傾げていると、明智君が傘の柄の部分にあるスイッチを押す。

 すると傘は元の状態に戻った。

「これは、半年ほど前に科学部の部員に改造してもらったんだ」

「へえ。なんか武器みたいだね」

「そう。まさしくこれは武器。これなら、犯人と距離があっても大丈夫だ」

「これで攻撃するの?」

「まさか! コロンダ刑事は普段、銃を持っていない。それは彼のポリシーだからだ」

「え、じゃあその傘は武器じゃなくて」

「これで敵が驚いた隙に逃げる!」

 そう言った明智君は良い笑顔を見せた。

 何だか余計に不安になった。


 そうは言っても、放課後に倉田君を呼び出してそのままにするわけにはいかない。

 字は私の字だから(普段よりも雰囲気は変えたけれど)、あれが偽だと知ったら、ターゲットになるのは私かもしれない。

 今朝の女子の二の舞はごめんだ。

 でも、あんなラブレターは無視して、中庭にいないでほしい。

 色々な感情が複雑に絡まり、私はまるで処刑場に行く囚人のような気分で中庭へ。

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