第7話 血のついたヘアピンの謎
帰ります、と言うタイミングを失ってしまった。
明智君と雲母さん(さっき漢字を教えてもらった)は、ヘアピンについて議論を交わしている。
話しているのはほぼ九割が明智君だけれども。
明智君はこちらを見ていないし、私の存在も忘れていそうな勢いだ。
このままそっと抜け出せば、帰れそうな気はする。
そう思って、椅子から立ち上がろうとした瞬間。
「奈前さん、君はどう思う?」
「えっ?」
「このヘアピン事件について、だよ」
「事件とは限らないんじゃ……」
「でも、血のついたヘアピンがゴミ箱の前に落ちていた、これは事件の匂いがするだろう?」
明智君は勢いよく言うと、「思うだろう?」と雲母さんに聞く。
彼女は「さあ」と首を傾げる。
「そうだよ、明智君が事件にしたいだけでしょ」
私がそう言うと、雲母さんも無言で頷く。
「いーや! 事件だ。そもそも僕は事件については鼻が利くんだ」
「現役中学生なのに?」
「僕はそんじゃそこらの中学二年ではない!」
明智君は腕組みをしてからこう続ける。
「明智啓二だ」
「は?」
「部長のフルネーム」
雲母さんがポツリと呟く。
「もしや啓二と刑事をかけてる?」
「ご名答!」
明智君はビシッと私を指さすと、満足そうに笑う。
「明智小五郎は江戸川乱歩の小説に出てくる探偵だ。そして僕は、海外ドラマの『コロンダ刑事』に憧れている」
「ああ、昔のドラマか」
私も再放送で観たことはある。
コロンダ刑事がすてきなおじ様だったので、年上好きの私のハートを鷲掴みにしたドラマだ。
「明智とコロンダ、どちらの名前も持つ僕は事件を解決するべく生まれてきたと言っても過言ではない」
「どっちもフィクションだけどね」
私の言葉に、明智君は「それもそうだ」と頷いた。
「でも、このヘアピンはフィクションではない。今まさにこの学校で事件が起こっているのだよ!」
「どうせまた勘違い」
雲母さんがそう言ってため息をつく。
いつもこんな調子なんだろうな。
明智君のこの事件モードだとウザいから、さっさと解決したほうが良さそうだ。
そのほうが早く帰れるし。
「ちょっとそのヘアピン、見せて」
私はそう言うと、ヘアピンを借りて手のひらに乗せる。
花の飾りはビーズでできていて、キラキラと光っていた。
私は明智君と雲母さんが議論を再開させたことを確認すると、口を開く。
「はなちゃん」
反応なし。
「フラワー」
反応なし。
「はなこ」
反応なし。
「ぴんこ」
反応なし。
うーん、後なにがいいかな。
私が顔を上げると、明智君の声が聞こえてくる。
「捨てたのは女とは限らないな。男の可能性もある」
なるほど。
男、かあ。
私は小声でヘアピンにこう言う。
「はな太郎」
【俺は、俺はあああああああああああああ】
男の子の大絶叫が聞こえてきた。
驚いて危うく椅子から転びそうになる。
【俺は、そんなふうに名前をつけてもらえる資格はないんだああああああああああああ】
「え、なんで?」
【俺は失敗作だ! 生まれてくるべきじゃなかったんだ!!】
「何かあったの?」
【俺は……もうダメだああああああああああ】
そう言うと、はな太郎は【うっ、うっ、うっ】と泣きだした。
うーん、ぶっちゃけ面倒くさい。
どうしたもんかなあ。
これじゃあ持ち主のことが聞けないよ。
【俺は、
「えっ? 太? それ持ち主の名前?」
そう言った声が妙に大きくなってしまう。
ハッと口に手を当てた時には、明智君も雲母さんもこちらを見ていた。
「あ、いや、ごめんなさい。独り言だから気にしないで」
「いま、太と聞こえたが」
明智君の言葉に、雲母さんが「あっ」と何かを思い出したように言う。
「これ拾った時、近くにいた」
【俺はあああああ、太が大好きだったあああああああ】
「えっ、誰が?」
「あれは一年二組の
【こんな失敗作でも、生み出してくれただけで感謝だーーーーーーーー】
うるせえ。
「じゃあ、その人が持ち主だよ」
私の言葉に、二人がまたこちらを見る。
「あ、いや、だって雲母さんが目撃したんだし」
そう付け加えると、私はヘアピンを長机の上に置く。
【でも俺は役に立ちたかったんだああああ】という調子で、はな太郎は会話にならない。
「さ、倉田太君のところへ行こう」
私の言葉に、明智君が続く。
「よし、倉田のところへ踏み込むぞ!」
「乱暴禁止」
雲母さんの言葉に、明智君はさわやかに笑って答える。
「こちらを攻撃してくるようであれば、僕が君たちを守る」
「何か用?」
一年二組にはまだチラホラと生徒が残っており、倉田太君いますかー、と明智君が言ったら……。
「俺だけど」と一人の男子が目の前に現れた。
その男子を見て、私も明智君も雲母さんも黙りこんだ。
私たちは今、三人とも同じことを思っている。
デカい。
倉田君はとにかくデカかった。
身長は百八十を軽々と越えていそうだし、横にもデカい。
しかも太っているというよりは骨太で筋肉質な体型。
ラグビー選手みたいだ。
おまけに彫りの深い顔立ちで、全身小麦色の肌だから余計にスポーツ選手っぽく見える。
「あ、いや、その」
明智君はそう言うと、こちらをちらりと見て続ける。
「こちらの奈前さんが話があるそうだよ」
「うそでしょ?!」
私は驚いて明智君を見る。
明智君は明後日の方向に視線を向けていた。
納得がいかない私は明智君に抗議をする。
「さっき言ったよね? 僕が君たちを命がけで守るって!」
「命がけで、とは言ってない」
「でも、僕に任しておけって言った!」
「そんなことも言ってない」
「踏み込むぞとか言ってた!」
「みんなで、が抜けていたな」
「うっわもう最低」
私がそう言って明智君を睨みつけると。
「特に用がないなら俺は帰るっすよ」
歩き出そうとする倉田君の前に、勢いよく誰かが立ちはだかる。
雲母さんだった。
彼女は倉田君を見上げて一言。
「誰か殺した?」
なんというドストレート。
倉田君はもちろん、私も明智君も口をぽかんと開けた。
「何の話っすか?」
倉田君の言葉に、なぜか雲母さんはうんうんと頷く。
そして彼女は満足そうに「わかった」と言い、制服から何かを取り出す。
小さなメモ帳に何かを書いている。
マイペースだなあ。
そもそも、このヘアピンに血がついていたとしても、殺人だの物騒なことが関わっているとは限らないのに。
私はそう思って、しかたなくヘアピンを取り出す。
そして、それを倉田君に差し出す。
「これ、落としたでしょ」
すると、倉田君の顔色が変わった。
いきなりおどおどしたような表情になり、私に聞いてくる。
「え、これ、その、どこで、どこに落ちてたんっすか?」
しかも完全に動揺していた。
「渡ろう廊下の手前にある自動販売機のゴミ箱の前」
それまで黙っていた明智君が答えると、倉田君は「マジか」と呟く。
「とにかく落ちていたから、返すよ」
私がそう言ってヘアピンを差し出すと。
倉田君はこう言う。
「俺のじゃないっす」
「え、でも」
「ヘアピンなんかつけませんから」
それだけ言うと倉田君は逃げるようにその場から走り去った。
ものすごいスピードで。
明智君はニヤリと笑って言う。
「やはりこれは事件だ」
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