第5話 謎の「m」
私はトイレの個室で先ほどのメダルとにらめっこをしていた。
メダルには、中央にどーんと『m』というイニシャルの飾りがある。
むしろ、それ以外にはほとんど特徴はない。
「うーん、じゃあ、君は、エムちゃん」
反応なし。
「M男」
反応なし。
「M子」
反応なし。
ストレート過ぎるかな。
「じゃあ、マコちゃん」
反応なし。
それからありとあらゆるMに関する名前や、ま行の名前をつけてみたけれどダメだった。
こんなに名前を気に入ってもらえないのは初めてだ。
なんだろう、一体、何が気に入らないんだ。
本来であれば、ここまで名前が決まらないと、私があきらめてしまうのだけど。
今回は九重先生からの奢りのジュースがかかっているんだ。
絶対にあきらめるわけにはいかない。
私はふう、とため息をついて、他にこのメダルに特徴がないか色々な角度で見てみる。
何もない。
やっぱり特徴はこのmのアルファベットだけ……。
「あれ、これって」
私はそこでようやく気づいた。
mの尻尾のところが矢印のような形をしている。
「これ、もしかしてmじゃないのかも」
そう思って急いでスマホで調べてみる。
どうやらこれは、mではなく、さそり座のマークだったらしい。
なるほど。
そりゃあmじゃあ反応しないわけだ。
私はあらためてメダルに話しかける。
「あなたの名前は、サソリちゃん」
反応なし。
「ストレートすぎたかな」
そう思った次の瞬間。
【あらあ。すてきな名前ですこと】
メダルから女性の声が聞こえてきた。
やった! 成功したっ!
アルファベットのmじゃないって、気づけて良かった。
【あなた、私の声が聞こえるの?】
「うん。聞こえるよ」
【へええええ。そんな人間がいるのねえ】
関心したように言うサソリちゃんに、私は早速本題に入る。
「サソリちゃん、あなたの持ち主は誰ですか?」
【私の持ち主、ものすごく美人よ】
「いや、そういう抽象的なことじゃなくてですね……」
【肩に星の形の小さなほくろがあるわね】
「そういう確認しにくい特徴ではなく、名前とか知りません?」
【ああ、そういうことね!】
サソリちゃんは【それなら早く言ってよー。水くさいじゃないの。あ、これサソリ座ギャグね】と一人で笑っている。
優雅なマダムの声なのに、親父ギャグとは……。
これだから物と話すのは面白いんだよね。
【名前は、
「えっ、きららちあき? それがフルネームですか?」
【そうよ。千晶は、私のことをとても気に入ってくれていたから、鍵につけてくれていたのよ】
サソリちゃんの口ぶりだと、きららのほうが苗字なのか。
そういえば、同じクラスにそんな苗字の人がいたような。
【私、金具が取れて落ちたのよ】
「そうだったんですね」
【ただ、私の金具が自然と緩んでしまったのではないのよ】
「えっ?」
【誰かが緩めて、わざと床に置かれた、そんな感じだったわね】
「その誰かって、持ち主のきららさん?」
【違うわ。男の子だったわね】
「えっ? 男の子?」
【そう、ちょっと待って、顔を思い出すわ】
サソリちゃんは黙りこんで、それからこう言った。
【瞳がきれいな子だったわね】
「いや、だから、そうじゃなくて、名前とかできれば教えてほしいんですけど」
【名前? えーっと、なんだったかしら】
サソリちゃんは考え込んでいる。
【えーっと、ここまで出かかっているんだけどね】
見えねえよ。
声しか聞こえないんだから。
サソリちゃんが必死で思い出そうとしてくれていると、始業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
チャイムが鳴り終わった途端に、サソリちゃんが口を開く。
【あっ。思い出したわ! 確か、ぶ】
そこでサソリちゃんは喋らなくなった。
五分が経過したのだ。
なんてタイミングが悪い。
「ぶ、のところしか聞けなかった」
でも、持ち主の名前はわかった。
きららちあきさん。
うちのクラスの女子にいたはずだから、すぐに見つかりそう。
先生からのジュースと二人きりのトークタイムゲット!
「いやったぁ!」
私はハイテンションでトイレの個室から飛び出した。
肝心のきららさんは同じクラスの女子だった。
彼女は目立たない――というよりも、存在感がない。
いや、悪口ではなくて。
なんというか、そこにいるのに認識しにくいというか。
とても不思議な子だった。
派手っぽい女子とか、逆に美人過ぎて周囲に取り巻きができている子じゃなくて一安心。
昼休みになった直後、私はきららさんが教室から出たところで声をかける。
「あの、きららさん」
きららさんはこちらを振り返る。
長い前髪で表情は見えず、見えるのは眼鏡の奥の瞳だけ。
「なに」
短くそう発した彼女に、私はポケットに入れておいたサソリちゃんを取り出す。
「落ちてたよ、これ」
「えっ」
驚いたような声できららさんがこちらを見る。
眼鏡の向こうの見開かれた目が、とてもきれいだった。
サソリちゃんをポケットにしまったきららさんは、こう言う。
「ありがとう」
それからニヤリと笑った。
きららさんは、そのまま教室を出て行った。
まあ、なんにせよこれでミッションコンプリート!
今から職員室に行って先生に報告だー!
私は急いで教室を飛び出し、廊下を歩き始めると……。
「奈前さん。ちょっといいかな」
そう言って目の前に現れたのは明智君だった。
「私、今急いでるんだけど」
明智君に早口で告げると、私は彼の横を通り過ぎて階段へ急ぐ。
「九重先生なら今は取り込み中だよ」
その言葉に私は足を止め、振り返る。
「えっ」
「三年生の国語の小テストの採点中だったよ」
「なんでそんなこと」
「僕も用事があったからね。でも、今はやめておいた」
何となく明智君の言葉が信用できず、結局、職員室まで行ってみた。
確かに九重先生は、小テストの採点をしているようで、熱心に机に向かっている。
「わかっただろう?」
いつの間にか後ろに立っていた明智君に少しビビりながら、聞き返す。
「何の用なの?」
「単刀直入に言おう」
明智君はふっと大人っぽく笑うと、こう続ける。
「君がほしいんだよ」
「……は?」
「僕の部活には、君が必要だ」
明智君はそう言うと、目を細めて笑った。
人のペースを崩す天才かよ。
だけど負けじと私も自分の意見を主張する。
「私、新聞部に入るつもりどころか、部活に入るつもりはないんだけど」
「そうか。それは残念」
そう言うと、明智君はあっさりと身をひるがえす。
彼は廊下を歩きながらこう言った。
「新聞部が正式な部になれば、顧問は九重先生が引き受けてくれるという話なのになあ」
その言葉に、私の耳がぴくりと動く。
なんだって?
顧問が、九重先生?
「あー、残念残念」と言いながら明智君は階段を登ろうとする。
私はその後を追いかけ、迷わずこう言う。
「私、新聞部に入部します!」
明智君は足を止め、それからこちらを振り返る。
「ああ。それじゃあ君のサイン、書いてくれる?」
そう言うと明智君は、ポケットから紙切れを取り出す。
入部届けだった。
完全に見透かされていたらしい。
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