外伝 ノックスの絆③
ノックスでの日々はあっという間に過ぎて言った。
結局手がかりは見つからず、ローレンスも、借りだしたはずの古文書も、行方は杳として知れなかった。東方騎士団も非協力的だった。レトラの集落に出かけていたことを知るや、どうせレトラの人々が何かしたのだろう、と短絡的な結論を下し、それきりだ。わざわざ宮廷騎士団の騎士が学者一人を探しにやって来たことを、中央の奴らは暇でいいな、などと陰口を叩くものもいるくらいだ。
ローレンスが裏では王の任務を受ける立場だったことど公表できるわけもない。これ以上、いたずらに時間を延ばしても望みは薄い。
後ろ髪をひかれる思いだったが、諦めてリーデンハイゼルへ戻るしかなかった。生きているにせよ死んでいるにせよ、今後ローレンスの行方を知ることの出来る可能性はほとんど無いだろう、と思いながら。
大聖堂の鐘が街中に鳴り響いている。
色とりどりのバザーが並ぶ大通り、行き交う人々。旅支度を整え、町を後にしようとしていた時、アルウィンは再び、路地の入り口で揉め事になっているレトラ族と町の住人を見かけた。優雅なドレスをまとった貴婦人と、両手いっぱいに何か木ぎれのようなものを抱えた痩せた男が一人。貴婦人は、男を怒鳴りつけている。アルウィンが馬を止めたのに気づいて、ウィラーフは何か言いたそうな顔をする。
「また、――」
「今度は大丈夫。見ててくれ」
ウィラーフをその場に残し、アルウィンは馬に乗ったまま路地に入っていく。
「失礼します、奥様」
レトラを怒鳴りつけていた貴婦人が振り返る。
「少し道をお尋ねしたいのですが、このあたりにハウマンさんのお宅は――」
言いながら、アルウィンは既に二人の間に割り込み、そっとレトラ族の男に目配せする。意味が分かったのか、男は慌てて馬の影から路地の奥へ走りだす。
「あ、逃げた! ちょっと…」
貴婦人に咎められる前に、アルウィンは馬を巡らせる。
「――ん、道を間違えていたかな? 失礼、もう一本先の道でした」
大通りに戻り、何食わぬ顔でウィラーフの後ろにつける。
「これでどう?」
「……良いんじゃないですか。最初にとった方法よりは」
いたずらっぽく笑うアルウィンに、溜息をつく。「懲りない人ですね。あなたも」
「立場で行動を決めるなんて、つまらないだけだよ。」
言いながら、町の出口に向かって馬を進める少年の後ろ姿を、ウィラーフは不思議な思いをもって眺めていた。
どうしてこの少年を、かつて「軟弱だ」などとと思ってしまえたのだろう。確かに剣の腕は良くはなかった。腕っ節だけからいえば、武器を持つことすら恐れる、かよわい少年に見えた。だが… 実際は違っていた。
多分、彼は誰よりも強い。
意志だけではない。そうする理由があればためらいなく命を賭け、誰とでも、たとえ相手がアストゥールの王であっても戦うことを迷わない。今はまだ、若さゆえに正面きってまっすぐに挑むしか知らなくても、戦い方を覚えれば――。
再び一緒にノックスを訪れる日が来ることも、ローレンスの行方と、彼が受け取った古文書の中身を知る日が来ることも、彼らは、まだ知らない。
それはまだ、何年も先の未来のことだ。
報告を受けたシドレクは、ひとつ溜息をついて腕を組んだ。
「…ローレンスの行方はつかめなかった、か。残念な結果だ」
「はい…」
リーデンハイゼルに戻ってその日のうちに報告に訪れた。ウィラーフも一緒だ。
「借り出す予定だった古文書というのは、結局何だったんです?」
シドレクは、ちょっと間を置いて曖昧に答える。
「王国の建国詩に関わる内容、多分…な。中庭にある石碑、あれの建国詩の姉妹版のようなものだと推測されていたが、現物が失われたのではな」
ここのところ、シドレク王はなぜか、五百年前の歴史に妙にこだわっていた。それが「第二の王家」とも呼ばれてきたクローナの、何百年かに及ぶ歴史と関りがあることは薄々勘づいていた。
何故、今さら…とは言えなかった。
自分もずっと無関心だったことだ。クローナが”銀の王家”を名乗ってきた歴史と由来。良い思い出は何もない。それがあるために窮屈で不自由な思いをさせられたことだけが、記憶に染み付いている。いっそ、何の根拠もない話であってくれたほうが楽だとさえ思っていた。
だが…シドレクの反応を見る限り、そうではないのだろう。
「ところで、お前たち」
「はい?」
王は、目の前に並んでいる二人を見比べた。
「いや、まぁ、何でもない。…今日はもう下がっていい。旅の疲れを癒してこい」
アルウィンは軽く頭を下げ、書斎を出て行く。ウィラーフも後に続いた。前にここを去っていった時とは違い、別々ではなく一緒に。
入れ替わりに入ってきたのは、ギノヴェーアだった。すれ違った二人のほうを満足そうに見やる。
「ようやく、わだかまりが溶けたようですわね。」
「ま、少しはな」
シドレクは、にやりと笑ったが、その笑みはすぐに影を潜める。
「…それにしても、気になるな。レトラの古文書の存在が公になったとたん、それごと”リゼル”が姿を消すとは。何者かの意思を感じるな」
「東方騎士団でしょうか。情報が漏れていると…」
「もし、そうだとすれば、アルウィンの素性もばれているだろうな」
このところの王の密かな動きを知っているなら、クローナで起きた戦争を結びつけて考えないはずはない。”白銀戦争”の終結後、戦死した領主の一人息子が人質としてリーデンハイゼルに送られたことは周知の情報として知れ渡っている。その後、人質が密かにサウディードに送られたことも。
その情報と、一年ほど前から王宮に仕えている、何処の家の出身とも言われないのに最初から王国議会の議長づきという高い地位にある少年の存在を知っていれば、正体に思い当たるのには、さほどの想像力は必要としない。
「あいつにも護衛がついていたほうがいい。もしもの時のために」
「そのためにウィラーフを、ですか?」
「適役だろう?」
シドレクは、椅子に身体をもたせかけながら肩をすくめた。
「ま、きちんと説明するよりも、ごく自然につるんでくれたほうが有り難い。ウィラーフは生真面目すぎるからな。知らんほうが上手くいく」
「そうだと良いのですが…。」
だが、そのシドレクも、自身の身に迫る危機にはまだ気づいていなかった。
近衛騎士の相次ぐ引退と栄転、密かに進められていた王国議会の議員の入れ替え。城内に少しずつ増えてゆく、旧エスタード勢力の息のかかった者たちの配備。
伏線は、既に張られつつあった。北からやってきたアスタラの民は、既に密かに東方騎士団と接触した後だ。
近衛騎士による王の暗殺未遂、という前代未聞の事件が起きるのは、それから二年が経った後。
そうしてこの物語は、始まった。
ハザル人から王国議会への書簡が送られ、シドレクが、お気に入りの三人だけを連れてひそかに城を出た、その時から。
それは、「黄金の大地」と呼ばれる国に起きた、歴史の大きな分岐点となった。
――ノックスの絆/了
黄金の大地 獅子堂まあと @mnnfr
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