訳のわからない旅

増田朋美

訳のわからない旅

その日も暑い日だった。でも、少しづつ日差しは弱くなって来ているし、雨が降って来るたびに、少しずつ秋が近づいて来ることだろう。その日も、杉ちゃんたちは、水穂さんにご飯を食べさせようと、また躍起になっているところであった。

「ほら食べや。食べないと力が出ないよ。少しでいいから、食べてくれ。」

と、杉ちゃんは水穂さんに食べさせようとするが、水穂さんは、反対の方を向いてしまう。それの繰り返しだ。なんでこう、毎日毎日、ご飯を食べさせようとするが、失敗してしまうのだろうな、と、杉ちゃんはあーあとため息を付いた。

「水穂さん、本当に食べたくないのか。そのままだと、力なくなって、餓死しちゃうよ。それだけは嫌だろう?だったら食べなきゃいけないんだよ。それは誰でも同じだよ。」

こう一生懸命説得ができるのはもしかしたら杉ちゃんだけなのではないかと思われるほど、最近は水穂さんのことをかまってあげる人も少なくなっているのだった。最近は、利用者たちも、盆休みで家族がいるせいか、あまり来所する人は少なくなっているし、理事長のジョチさんも、政党の打ち合わせとかそういうものが多く入っていて、なかなか製鉄所まで来られないのだ。

「ほら、食べろ。しっかり食べないと、本当にだめな男になってしまうぞ。その、きれいな顔つきだって、残念なものになっちまうよ。そうなりたくないだろうが。それが嫌なら食べるんだ。」

杉ちゃんは、何回も、おさじを水穂さんの方へ持っていったのであるが、いずれも水穂さんには効果なしであった。杉ちゃんが、辛抱強く、そんなことを10回くらい繰り返したのであるが、いずれもだめだった。

十一回目に、おさじを持っていったちょうどその時。

「こんにちは。誰も応答してくださらなかったので、入らせてもらいました。水穂さんはどうしているのか、心配でしたので。」

と、丁寧な言い回しの男性が、そう言いながら入ってきた。

「花村さん!」

杉ちゃんがそういう通り、その人は花村義久さんその人であった。

「ええ、まさしくそうです。誰も、応答がなかったので、入らせてもらいましたけれど、また、水穂さん食事をしないで困っているんですか。」

花村さんは、杉ちゃんの隣に正座した。お琴教室をやっている人だから、長時間星座をしていても平気なのだ。

「ああ、まさしくそういうことだ。何を言っても、何も食べないよ。もうこれじゃあ、料理の作りがいもなくなるよな。全く、困ったやつで、どうしようもない。」

と、杉ちゃんがそう言うと、花村さんは、杉ちゃんの様子を心配そうに見るのであった。

「杉ちゃんもかなり神経が参っているのではありませんか?よくわかりますよ。そのような顔されているから。」

「悪かったな、僕は生まれたときからこの顔だ。」

と、杉ちゃんは自分の顔を指差した。

「いえ、そういうことじゃありません。このままでは、水穂さんだけではなく、杉ちゃんまでだめになってしまいますよ。それはいけないですよね。日本人は、我慢することが美しいと思ってしまうけれど、それが通る時代はとっくに過ぎ去りましたよ。」

花村さんが杉ちゃんにいう。

「じゃあどうするって言うんだよ。病院に入れようにも、どうせ、こんなやつを入れたらうちのメンツに関わるといって入れてくれないだろ。それは、もうちゃんとわかっているから心配しないで。」

「ええ、それはわかっています。ですが、数日間だけでもいいですから、水穂さんの世話を手伝ってもらったほうが、いいと思うんです。それに、水穂さんだって、環境を変えれば、また変わってくるかもしれませんよ。そうしたら、一石二鳥じゃないですか。」

「ていうことは、何を考えているんだ?」

と、杉ちゃんは花村さんに聞いた。

「ええ、転地療養です。それを受け入れてくれる施設があるんだったら、そこへ行きましょう。あの、亀山旅館に、ストレス解消のためのプランがあるそうですね。それを利用すればいいんです。私も、何なら一緒に行きますから。どうせ、お琴教室も暇ですし、杉ちゃんの手伝いをするのもわるくないと思いますしね。」

花村さんがそういうことを言ったため、杉ちゃんはすぐに、

「わかった!接阻峡温泉!」

とでかい声でいった。水穂さんだけが、なんだか嫌そうな顔をしていたが、花村さんはすぐに取り決めてしまった。すぐに亀山旅館に電話をすると、ちょうど空室がありますので承りますと言ってくれた。そして、大井川鉄道井川線で、接阻峡温泉駅まで来てくれたら、迎えに行きますというので、花村さんは、大井川鉄道にも電話して、金谷駅から、接阻峡温泉駅までのきっぷも三枚とってしまった。

「でも、金谷駅までどうやって行く?水穂さんはほとんど動けないし、どうしたらいいもんかなあ。」

杉ちゃんが言うと、

「ええ、岳南タクシーに、定額で駅まで乗せてくれるプランがあります。幸い、介護車両もありますから、それを利用すれば、金谷駅まで乗せていってくれます。金谷駅から、接阻峡温泉駅までは、大井川鉄道の駅員さんが手伝ってくれます。」

と、花村さんはスマートフォンを眺めながら、テキパキと言った。水穂さんが不安そうな顔をしているので、

「大丈夫ですよ。水穂さん。あなたのためですから、悪いことはしません。私達は、しばらく環境を変えてゆっくりしてほしいだけです。それは、了解していただけますね。」

と、にこやかに笑っていった。

「じゃあ、明日の朝八時に岳南タクシーが、富士駅に迎えに来てくれます。それに乗って金谷駅に行きましょう。最近は、何でもインターネットで予約ができてしまいますから、便利な夜の中になったものですね。もう、タクシーを一台予約してしまいました。それに、障害のある人向けのプランもちゃんとあるんですね。運転手さんが、一緒にサービス介助士として、つきっきりでいてくれるようになっています。」

「はああ、なるほど。」

と、杉ちゃんは言った。

「サービス介助士とは何かな?聞いたことのない職業だな。」

「ええ、重い障害のある人が旅行などに行く場合、乗り物に乗り降りする介助をしたり、食事の介助をしたり、入浴などを解除する人のことですよ。最近になって新しくできた資格で、まだ成りては少ないようですが、障害者の人と一緒に旅行のはじめから終わりまで付きそう権限も認められています。岳南タクシーには、そのサービス介助士の資格を持っている運転手を、多く雇っているようですよ。」

花村さんは、にこやかに笑って、そう説明した。

「あいにく、岳南タクシーでは、サービス介助士の指名をすることはできませんが、でも、サービス介助士を依頼して、派遣することはできます。もし、水穂さんのことが心配なら、接岨峡温泉駅までついていってもらって、サービス介助士も一緒に旅館に泊まるということもできます。」

「はあ、そうなのね。そこまでしなくてもいいと思うけど。まあとりあえず、弁蔵さんたちのいる亀山旅館まで、そのなんとかっていうやつに手伝ってもらおうぜ。」

と、杉ちゃんがそう言うと花村さんは、はいわかりましたよ、と言って、スマートフォンを操作して、タクシーの予約をしたのであった。水穂さんはまだ、不安そうな顔をしたままだったが、花村さんは構わずに予約を進めてしまった。

その頃、岳南タクシー富士営業所では。

「えーと、また、旅行手伝いの依頼が来たぞ。今回は若い男性だ。そういうことからも若いヤツが適していると思われる。皆川君、しっかり行ってやってくれ。」

と、社長に言われて、皆川美希は、ちょっと嫌そうな顔をした。数日前、くさいにおいのするお年寄りの介助をして、嫌な目にあったばかりなのだ。一応、介護というか、福祉的な仕事は、需要が有るからということで、サービス介助士の資格をとって、ここで働き始めたばかりなのだ。

「前の人みたいに、言葉もはっきりしないとか、用便も不始末であるとか、そういう人じゃないそうだよ。それだけでもありがたいと思わなきゃ。そのくらいのことを覚悟しなくちゃ、サービス介助士はやっていけないぞ。」

と、社長はそういうことを言う。確かにそうなのである。ターゲットはお年寄りであることが多いし、認知症などがある人であれば、途中で用便を漏らしてしまう人も少なくない。何故かそういう人に限って、旅行にでかけたがるというのも、美希は嫌な気がしてしまうのであった。それに付添も老紳士とか、老婦人で有ることが多くて、ターゲットの介抱は、サービス介助士に任せっぱなしという人も結構多いのである。そうなると、美希が想像していた仕事とは全然違うものだ。ツアーコンダクターと違って、ターゲットの介抱を四六時中しなければならないのである。

「他に、できそうな人物がいないんだよ。じゃあ頼むよ。磯野水穂さんという人の介助、しっかりやってくれ。まだ、45歳だそうだから、年寄とは違って、意思の疎通には問題はないだろう。」

確かに他のサービス介助士たちは、他の人の旅行の手伝いの仕事で、誰も適任者がいないのだった。

「わかりました。それでは私が、介助します。」

美希は社長の話にはあとため息を付いた。

「じゃあ、明日の八時、富士駅に迎えに行ってやってくれ。それでは頼むぞ。」

「はい。」

美希は大きなため息を付きたかったが、それを隠して、社長にそれだけ言った。

その次の日の朝八時。美希はストレッチャーを用意して、ハイエースで富士駅に行った。ちょうど彼女が到着すると、杉ちゃんと花村さんが駅の入口で待っていた。

「あの、磯野水穂さんという方はいらっしゃいませんか?」

と美希は急いでそう言うと、

「おう、そこのベンチに座っているよ。」

と、杉ちゃんがでかい声でそういった。美希が、すぐ近くのベンチを見てみると、とてもきれいな男性が、ちょっと肩で息をしながら、ベンチに座っていた。なんだか、げっそりと痩せてやつれていたが、外国の映画俳優みたいにきれいな人だった。美希が思わず彼を眺めていると、

「お前さんが、僕たちの担当のサービス介助士ってやつか?」

と、杉ちゃんに聞かれたのでまたびっくりしてしまう。

「はい、皆川美希と申します。今日は奥大井湖上駅までのご利用でしたね。よろしくお願いいたします。」

とりあえず、そういったが、

「いやあ、接岨峡温泉駅までといったはずなんだがね。」

と、杉ちゃんに言われて、また小さくなってしまった。

「ああ、失礼しました。じゃあ、早速行きましょうか。」

「じゃあ、水穂さんをストレッチャーに乗せてやってください。よろしくおねがいします。」

美希が言うと花村さんがそう答えた。美希は急いで、ベンチに座っている水穂さんに、行きましょうかというと、水穂さんははい、お願いしますとだけ言った。美希は、水穂さんのからだを支えてやって立たせ、用意してきたストレッチャーに彼をねかせてやる。そして、杉ちゃんと花村さんにもハイエースに乗ってもらい、

「では行きますよ。」

と、ハイエースのエンジンを掛け始めた。

「必要があれば、どこかで休憩を取りますから、遠慮なく言ってください。そういう場所を探すのも、私達の仕事なんです。」

美希は、ハイエースを動かしながら、そういった。幸い駅から高速道路はすぐ近くにあったから、直ぐに乗ることができた。

「今日は、奥大井にいかれるんですね。何か観光イベントでもあるんですか?それとも単に、山の景色を眺めたくなって奥大井に?」

と、美希は、観光業者らしくそういうことを言ってみる。

「いえ、そういうことじゃありません。僕たちは、水穂さんの療養のために行くんです。」

杉ちゃんがそう答える。美希は、バックミラーを通して、ストレッチャーで眠る、水穂さんを眺めた。見れば見るほど、きれいな人で、惚れ惚れしてしまうのである。

「療養って、なにか大変なことでも有るんですか?」

と、美希がきくと、

「あんまり口に出して言いたくないですね。」

「それより早く、金谷駅に着きたいよな。」

と、花村さんと杉ちゃんが相次いでいったので、それは聞いては行けないのかなと思った。

「まあ、金谷駅というと、電車マニアですか?もしかしたら、奥大井に行くのは、大井川鉄道に乗るのが目的ですか?あ、もしかして、展望車に乗りたいとかですか?」

「いやあ、電車マニアというわけじゃないんだよ。でも、奥大井に大事なようがあってね。電車に乗りたいとか、展望車に乗るとかそういうことではないんだよな。」

美希の話に杉ちゃんは急いで訂正した。そうなると、観光旅行という感じではないのかなと美希は思った。

「そうなんですか。では、奥大井湖上駅が見たいということですか?最近その用事で私達を呼び出す人も多いので、湖上駅のことなら、ある程度知っていますからね。なんでも仰ってください。」

「まあ、そうなんだけどねえ。湖上駅は、今回はちょっとようはないかな。それよりも、その次の駅の接岨峡温泉駅に行きたいんだ。」

と、杉ちゃんに言われて、美希はそんな田舎町に行って、何が有るんだろうと思った。社長から聞いているのは、ただ接岨峡温泉駅まで乗り物への乗り降りを手伝うこととしか言われなかった。インターネットで予約したので、そのお手伝いの依頼理由などをきくことはできなかったのである。ネット予約は、一応確約することはできるのであるが、それ以上のことはできないのであった。

「そうなんですね。それでは、接阻峡の温泉めぐりですか?確か若返りの湯とかそういうことで、有名な温泉ですね。」

「そうかも知れませんが、温泉というより自然が沢山有るところでのんびりしたいと思ったんですよ。」

花村さんが言ったので、美希はハイとだけ言った。退屈なら、映画をお流ししましょうか?ときくが、杉ちゃんたちはそれはいらないよといった。

それから、高速道路をしばらく運転して、その後一般道を通って金谷駅についた。杉ちゃんたちは、金谷駅では必ず名物と言われる、SL列車に乗ろうとかそういうことは一切言わなかったし、名物のSLモナカも買っていかなかった。そして、すぐやってくる予定の気動車に乗せてくれと言った。美希は、大井川鉄道の駅員さんに言って、三人が、気動車に乗ることを伝えると、駅員さんはわかりましたと言って、杉ちゃんたちを、大井川鉄道のホームまで連れて行ってくれた。駅は、観光客がいっぱいいて、混雑していたが、皆、SLに乗りたがっていて、気動車に乗るのは、人が少なすぎるほど少なかった。美希は駅員さんにも手伝ってもらいながら、三人を、気動車の中に入れる。気動車に乗っているのは、数人しかいなかった。美希は水穂さんを電車の端にある障害者スペースに誘導した。何かあったら、言ってくださいねと言ったのだが、水穂さんが少し疲れた顔をしているのが気になった。

がったん!と音がして気動車が動き出した。気動車と言っても各駅停車なので、スピードは極めて遅く、人の少ない駅に数分止まってはまた走る。ちなみにSLは特急と言うことになっているので、いくつか駅を飛ばしていくはずなのだが、この気動車はそうは行かないのであった。まさしく、亀足と呼ぶのにふさわしい気動車。なんでこんな不便な乗り物に乗って行くのか、美希はよく理解できなかった。

「まもなく、千頭駅に到着いたします。南アルプスあぷとラインをご利用のお客様はお乗り換えください。」

と車内アナウンスが流れて、気動車は千頭駅のホームに停まった。美希はまた千頭駅の駅員さんに手伝ってもらって、水穂さんを千頭駅におろし、南アルプスあぷとラインと呼ばれている、井川線のホームへ移動させていく。駅は、観光客のための、博物館なども有るので、よっていきましょうかと美希は言ったが、いや、直ぐに接岨峡温泉駅へ行ってくれよと杉ちゃんはいうので、仕方なく井川線のホームへ杉ちゃんたちを移動させた。面倒な作業だったが、これも仕事のうちだと思って、移動を続けるのであった。

そうこうしているうちに、井川線のトロッコ列車がやってきたので、美希はまた駅員さんに手伝ってもらいながら、水穂さんたちを電車の中に乗せていく。全員が乗り込んで数分後。井川線は重たそうに腰を上げて、動き始めた。これもまた、快速列車などが有るわけではないから、非常にのろいスピードであったが、それでも動いている。美希は、井川線の周りの風景など、説明しようと思ったが、杉ちゃんに水穂さんを寝かしてやってくれと言われて、それはできなかった。なんか自分はただ、この人達の、電車の乗り降りと、車で金谷駅に移動するということしかやってないということに気づいた。一体、何をやっているんだろう。何もしていないような気がするんだけど。

井川線の車窓はどこへ行っても森ばかりだし、秘境駅と呼ばれる小さな駅ばかりで、特に名物が有るわけでもなかった。ところどころ電車が軋む音が気持ち悪いくらいだ。名物と言われる奥大井湖上駅も、杉ちゃんたちはなれてしまっているみたいで何も言わなかった。あの水穂さんと呼ばれている美しい男性は、電車の振動が心地よいのか、眠ってばかりいるし、美希は、仕事と言っても退屈な時間を過ごした。

「まもなく接阻峡温泉、接岨峡温泉駅に到着いたします。お降りのお客様はお支度をお願いします。」

と、車内アナウンスが流れたため、美希ははっとする。電車は、接岨峡温泉駅のホームで止まった。そこは無人駅なので、美希が水穂さんをおろしてやらなければならなかった。幸いお客さんは誰もいなかったので、発車時刻が遅れたことを、責める人もいなかった。駅のホームで、運転手にきっぷを渡し、入口へ行くと、弁蔵さんが待っていた。

「やあ、ゴセイが出ますね。ご無沙汰しております。」

という弁蔵さんに、杉ちゃんたちは、やっと笑顔になって、駅の様子など話している。そして、

「こいつがな、駅まで連れてきてくれたんだ。何も余分なこと言わないで親切にしてくれたよ。良かったよ、おしゃんべくりな介助士だったら、もう何を言われるかわからないもん。」

杉ちゃんがそういうことをいうと、弁蔵さんも、それは確かに重要ですねとにこやかに笑ってそう言っている。花村さんが、今日の介助のお礼を払った。美希の両手にそれが乗せられた。美希は訳のわからない旅だったけれど、私の役目は終わったのかと思った。

杉ちゃんたちは、弁蔵さんと一緒に水穂さんを歩かせて亀山旅館の車に乗せた。とりあえず、自分のやることはできてよかったのかと美希は思った。






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訳のわからない旅 増田朋美 @masubuchi4996

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