これまで描かれてこなかった「どこにでもいる“普通”のゲイカップル」を…

作品名のインパクトに引っ張られますが、いざ読んでみると、見事に現代社会人のラブストーリーであったことに気が付かされます。あらすじとしては、「SNSでバズってしまったことをきっかけに、密着取材を受けることになった主人公ゲイカップル、しかし、実は……」という話です。ストーリーの序盤こそ、問題ありげな登場人物たちの起こす展開にハラハラさせられますが、そこに対して、非常に現実的な落としどころを、彼らそれぞれが選んでいくところこそ、本作の魅力と言えるでしょう。


以下、ガチレビューです。(ネタバレなし)

さて、本作は、作者である浅原ナオト先生が自身のセクシャリティをカミングアウトし執筆されたゲイ主人公の小説の第3作目となります。代表作である「カノホモ」こと『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』とその続編、2作目の『#塚森裕太がログアウトしたら』では、いずれも自身の性とアイデンティティに悩む高校生の話でした。その意味で、社会人ゲイカップルをリアルに描く本作は、それら過去二作品とは違う新たなチャレンジが行われた意欲作です。
これまで描かれることのなかった現代のリアルな社会人ゲイカップルに焦点を当て、「普通のカップルとは何か?」、「どう惹かれ合い、どう離れていくのか?」が巧みなプロットで小説に落とし込まれています。

しかしながら、それら過去2作品で扱われていた重要テーマもしっかりと描いているのが本作『100日後に別れるかもしれないゲイカップル』でしょう。それが〈メディアイメージと現実に生きるマイノリティの関係性〉-〈創作されたイメージへの知覚と、実際に生じるアイデンティティの関係性〉と言えます。

それは代表作「カノホモ」であれば、〈腐女子とゲイ〉に例えられ、2作目の『#塚森裕太が〜』では、〈代表的なSNSと実際の本音〉-〈学校のヒーローとその内心〉に託され、物語が紡がれてきました。また、余談ですが、現代のメディアイメージと実際に生きる私たちとのギャップを埋める視座の深さは、作者Twitterからも垣間見えるでしょう。
そして、本作『100日後に別れるかもしれないゲイカップル』では、主人公の春日佑馬は〈広告デザイン〉の会社に勤務し、もう一人の主人公といえる茅野志穂は〈テレビ業界〉で映像制作を行うディレクターとして、共にドキュメンタリー作品の制作に向き合います。自身のジェンダーに対して強い自意識を持ちながら、メディアイメージの世界で生きる彼らが、人としてどう成長し、決断していくかは本作の見どころです。

さらに、魅力的な登場人物でいえば、祐馬のパートナーである長谷川樹は、特筆すべきでしょう。彼は料理人ですが、物語の後半、「なぜ料理人だったのか?」が語られるにつれて、ジェンダーやセクシャリティとはまた違う新たな自意識が導入され、小説全体が再度見つめ直されるべきものへと変化します。次々に明らかになっていく真実の中で、彼らの選び取っていく非常に現実的な選択は必見です。

さいごに、小説ジャンルには、アンチ・ミステリー(やアンチ・ファンタジー)と呼ばれる従来の推理小説のあり方を否定するような実験的な推理小説がありますが、浅原ナオト先生のゲイ主人公の小説は、言わば、「アンチ・ボーイズラブ作品」です。それでいて、ゲイカルチャーに寄りすぎるわけでもなく、時には強烈な表現もあるのに、どこかとっても優しい雰囲気が小説全体から漂っている、そんな作品です。

「どこにでもいる“普通”のゲイカップル」のリアル、是非お楽しみください。