Bar Vocaloid
藤ノ宮 陸
第1話 メルト
元々、私は男という生き物を信用していなかった。妹はいても兄弟はおらず、高校生になった今では父との会話すらほとんど無い。
そして今日その男嫌いが祟って、付き合って1ヶ月の彼氏と別れた。というよりは振った。話を切り出したのは先ほど、ここからすぐのファミレスでのことだ。私はパフェを、彼はドリンクバーだけを頼んだ。パフェを運んできた店員が奥に戻ったのを確認してから話を始めたのだが、察しのいい彼は私の短い話を聞き終えると、
「僕たち、あんまり相性良くなかったね」
とだけ言った。少しだけ憂いの混じった微笑みを浮かべた後、千円札を机においてその場を立ち去ってしまった。イチゴを口に入れた私を窓際のテーブル席にひとり置いて。
元々私の人付き合いの悪さを心配してくれた友達に紹介されただけの男だったから、悲しみも後悔も無い。だが、私の彼氏という肩書きがあったにも関わらず、話を始める前から内容を察していたらしい事が癪だ。振った私が言っていいことでは無いが。私のことを、千円札を睨みながら一人黙々とパフェを食べる女にしたのも許せない。
友達にはなんて言おうか。別れたことには後悔していないが、私のことを考えて男を紹介してくれた彼女には合わせる顔が無い。彼女とは疎遠になりたくないし、大切な友達にはきちんと謝るべきだ。
どう切り出すか考えながら夕暮れの帰り道を歩いていると、不思議な音がどこからか聞こえてきた。あたりを見回し音の出所を探ってみると、私が歩いている大通りの一つ裏の通りから聞こえてくる。旋律も伴奏も持たない、音の集まりが。
バイオリンのように蠱惑的で、木琴のようにころころとした軽やかな音。それでいてチェロのような重々しさもある。金管楽器にしか出せないようなもの悲しさもはらんでいて、と思ったらシンセサイザーのような近代的な響きも感じられ……。離れたところから聞こえるのに、すっと耳をとおる音。それなのに不思議とうるさいとは思わない。音自体が美しいのもあるが、この音はそれ以上の秘密を持っている、気がする。
思わず身体はその音が聞こえてくる方に向き、気づいた頃には私は人気のない裏通りの中でひときわ異彩を放つ小さな店の前に立っていた。
北欧を思わせるレンガ造りの壁に、ほそいツタが無数に絡まっている。前面のショーウィンドウからは窓と垂直にバーのような小さなカウンターといくつかの座席が奥まで並び、カウンターの反対側にある壁にはぎっしりとCDが並べられた棚が透けて見える。柔らかな照明がついているので開店中ではあるようだが、店の外には看板が見当たらない。しかしそんな異常さを気にも留めず、引き寄せられるように私の手はドアの取っ手をつかんだ。当然のように扉を開いて中に入り、そして扉が閉まったその瞬間――あの不思議な音がやんだ。目覚ましで起こされるような唐突な覚醒感を覚える。驚いて周りを見回すと、カウンターにさっきまでいなかったはずの男性が立っていることに気づいた。
豊かな白髪と口ひげをたくわえ、太めの黒縁の眼鏡をつけている。黒のカマーベストとスラックス、薄桃色のネクタイに身を包み、背の高く細身なその姿はまさにバーのマスターという出で立ちだった。途端に、制服姿の自分が場違いな存在だと言うことに気づく。
「すっ、すみません勝手に入って。失礼しました……」
謝るだけ謝りそそくさと出ようとすると、マスター(?)が私を呼び止めた。
「いいえ、私が貴女を呼んだのですよ。場違いだなんて思わないでください」
意味が分からない。とりあえず扉から手を離して彼の方に向き直る。話だけは聞こうと思った。椅子をすすめられ、言われるがままに座る。この時点で、私がこの人を怪しがっていないことに気づいた。もしかしたら、信頼までしているかもしれない。
「ここの近くで、不思議としか形容できない音を聞いたでしょう。あれは、貴女を呼ぶために私が流していたものです。」
とりあえず、頷く。
「この店は、店自身を必要とされているお客様の元へ現れます。疲れている人には、癒やすためのモノを。幸せな人には、それを忘れないようにできるためのモノを。世の中にある、誰かに必要とされているいろいろなモノを集めてまわり、その土地に適切な形でお渡しする為の場所です。ここでは、そのモノは音楽の形をとっているようです。」
納得した。荒唐無稽、としか言い様がない与太話だが、私はそれに心の底から納得してしまった。
「説明が終わったところでご挨拶を。いらっしゃいませ、お嬢様。貴女は、何を必要としていますか?」
マスターはまずオレンジジュースをグラスに注ぎ、私に差し出した。
「未成年のお嬢様にお酒は提供できませんので」
お嬢様なんて呼ばれたのは初めてですこしくすぐったかった。その恥ずかしさを隠すようにグラスを口につける。甘酸っぱさがくせになるおいしいジュースだった。
私はすべて話した。男を信用できないこと、付き合っていた彼を振ったこと、そして紹介をしてくれた友人になんて謝ればいいか困っていることを。マスターは私の拙い話をカウンターの内側で最後まで聞き続けてくれた。
「まず、一つ言っておかねばならないことがあります。」
マスターは前置きをした。
「私はお嬢様の悩みを解決する権利を持っておりません」
ずっこけそうになった、という感想を持ったのは初めてだった。てっきり彼が私の悩みを聞き、素晴らしい回答をくれるものだと思い込んでいた。
「じゃあ、ここは何のための場所なんですか?」
必死に言葉を選んで当てを外された事を伝えると、彼は私の考えをすべて見通しているかのように微笑んだ。
「大抵の悩みは、当事者達によって解決されるべきモノです。貴女の場合、男性不信は貴女と世の中の男性で。恋愛のお悩みは貴女と彼で。ご友人のことは、貴女自身で。当然、重すぎる悩みは他人に助力を願ってもよいものですが、それらは案外少ないものです。基本的には、貴女の心の中で決着をつけねばなりません。そこに私が立ち入る権利はありません。すべては、貴女の心のあり方次第です」
「じゃあ……」
同じ質問を重ねようとした私の唇に、マスターは人差し指を添えて遮った。
「それに、世の中には解決しなくていい問題もあります」
「……?」
口を塞がれたまま首をかしげる。失礼しました、とマスターは指を離した。
「そしてここは、お酒と音楽で心の整理をお助けする場所です。失礼、貴女の場合はジュースと音楽でしたね」
「ジュースと、音楽……?」
「私、最近この国で流行っているボーカロイドというモノに惹かれまして」
予想外の単語がでてきて思わず目を見開いた。ボーカロイド、名前は知っている。小学生の頃、千本桜という曲が流行っていたのを思い出した。あの頃は、その曲を機械が歌っているとは知らなかったと。
「この国に来て驚きました。音声合成というモノは知っていましたが、まさかそれが歌い出すようになったとは。技術の進化とは素晴らしいものです。最初はシンプルな形態をとっていたものが形を変え、人の心を動かすモノとなる。種にせよ技術にせよ、進化というものは何度見ても実に素晴らしい」
マスターは情熱的に語るタイプの人らしい。話は続く。
「十八世紀に生まれた音声合成は二百年の時を経て歌を紡ぐようになりました。最初は母音を流すだけだったものが、子音の発音が可能になり、言語として成立し、コンピュータで合成されるようになり、技術の集積により歌姫となる。素晴らしい進化です。そして、それは今ここで私がお嬢様に差し上げるだけのクオリティを持っている。素晴らしいことです」
彼はカウンターを出て棚まで歩き、一つのCDを引き出した。
「今の貴女に必要なのはこれでしょう」
透明なケースに入った真っ白なCDだった。
「おっと失礼、お嬢様にはこちらの形の方が適していますよね」
マスターがぱちんと指を鳴らすと、いつのまにかCDは小型の音楽プレーヤーとそれにつながったイヤフォンになっていた。それを受け取って起動する。小さい画面に浮かんだ曲名はたった一つ。『メルト』という名前。
「メルト。2007年にニコニコ動画に投稿された、ボーカロイドを使用した曲です。歌い手は初音ミク、作詞作曲はryoと名乗る方です。この曲に影響された流行を呼称するメルトショックという言葉もあり、初期のボーカロイド界に革命を起こした曲と言ってもいいかもしれません」
ここで聞けということだろうか。イヤフォンを耳にはめようとすると、そっと両手で押し止められた。
「ぜひ、落ち着いた環境でゆっくりとご鑑賞ください。例えばお家や、行きつけのカフェなどはどうでしょう。これを聞いたとき、貴女の心が整理されるかは……貴女次第です」
だんだん、私以外のすべてが薄くなっていった。慌ててカウンターに置いたオレンジジュースを見やる。
「あの、お代を!それと、このプレーヤーもどう返せば……」
背景と共にゆっくりと薄れていく彼は言った。
「お飲み物のお代は結構です。そのモノの返却もご心配なく。いずれ私たちの手に戻るので」
それだけ言い、周りが完全に真っ白になった次の瞬間、私は店に入る前と同じ場所に立っていた。目の前にあるのは潰れて無人になったコンビニの跡。足下には私の通学バッグ。温かみのあるレンガやカウンターは見る影もなく、もちろん私をおびき寄せた音も聞こえない。不思議なのは、長く話した割には、日の早く落ちる秋だというのに太陽の位置が高い気がする。
「夢……?」
白昼夢、というやつだろうか。振った事が考えているよりも重く私の心にのしかかってこんな幻覚を見たのだとしたら、かなり危ない精神状態なのかもしれない。背筋に寒気が走る。その時、私は右手を強く握りしめていることに気がついた。目の前で開くと、マスターのネクタイの色と同じ、薄桃色の音楽プレーヤーとイヤフォン。
夢じゃ、なかった。
時間は早かったが、他に何もする気が起きなかったのですぐに家に帰った。課題をこなし、夕食をとり、風呂にはいる。いつもより長めに湯船につかり、長い髪をよく乾かす。二階にある自分の部屋に上がり、机の上にあるプレーヤーを見やった。
「そろそろ、聞くか」
ベッドに座り、インナーイヤー型のイヤフォンを耳にはめる。メルトと書かれた文字に触れ、その曲を再生した。シンセサイザーの奏でる前奏と、コーラスが流れる。
“朝 目が覚めて 真っ先に思い浮かぶ 君のこと”
画面には、曲に合わせて歌詞が次々と現れる。すぐに分かる。これは間違いなくラブソングだ。
“思い切って 前髪を切った 「どうしたの」って 聞かれたくて”
女の子の目線で歌われる、聞くだけでとろけてしまいそうになるほど純粋な恋心を描く歌だった。
“メルト 溶けてしまいそう 好きだなんて 絶対に言えない”
間奏で、鼻歌のような初音ミクのコーラスが流れていた。
“「しょうがないから入ってやる」なんて となりにいる君が笑う”
君って、誰だろう。
“恋に落ちる 音がした”
わたしは、その音を聴いたことが無い。
聞き終わると、握りしめていたプレーヤーはいつの間にか消え、何かのサイトのリンク、そしてメモが記されていた薄桃色の紙になっていた。
『当店では曲のサービスは一回限り。次回からは正式な手順を踏んでお聞きください。
P.S.貴女と私達が出会った記念に、イヤフォンは差し上げます。』
そういえば、イヤフォンは耳にはまったまま消えていなかった。
結局、マスターが教えてくれたこの曲ですべての問題が解決するなんて事は無かった。急に男が好きになれるようになったわけではないし、元彼とはもう会っていない。数日経った今でも、彼を紹介してくれたあの子には謝るどころか別れたことすら伝えられてない。
でも、あの曲には興味を持った。あの時に飲んだオレンジジュースのように、爽やかに甘く、すこし酸っぱい感情をふくんだメルト。この曲は慣れないカップル生活に疲れた私の心をほぐし、冷静さを取り戻すだけの余裕を与え、私は一つずつ問題を解決するという発想を得た。おちついて、問題を分割して、一つずつ解決していくだけでいい。
まずは、友達に謝る。彼とも、もう少しだけ話をして、きっちり別れたという形をとって感情に整理をつける。話した後私がどういう気持ちになるかはわからないけど、それをきっかけに、少しは男の事を信用したって……。
『世の中には解決しなくていい問題もあります』
マスターの言葉を思い出した。その瞬間、頭の中で何かがぱちんとはじける感覚がした。あの子とのわだかまりをなくすこと。彼と折り合いをつける。みんなと同じように男を好きになる。全部が別の問題に見えて、実は一つの方法でなんとかなるかもしれない。そして、それは世間で言う円満な解決というかたちにはならないのかもしれない。それでもいいのだろうか。すべては、私の心のあり方次第。
スキップをしたくなる気分だった。まずはあの子のところに行こう。
「別に、好きになるのが女の子でも、いいか」
Bar Vocaloid 藤ノ宮 陸 @Goe_mon
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