第2話 品川

 安藤産業の経理担当重役の香川三郎は、社長の安西辰之から公金横領を不問にするかわりに、娘の夏樹との結婚を要求され、やむなく承諾する。


 そのうえ、結婚から5年すぎるまで、夏樹は辰之が所有する財産に対して財産権を持たず、辰之が死亡した場合の寡婦産も要求しないことを付随条件で出され、これも受け入れる。


 そして月日は流れ、結婚後5年になろうとするとき、辰之の末弟、晴継の死体が発見され、晴継の兄で辰之にとって次弟である雅之が疑われる。


 品川は江戸から京へ向かう旅人にとって最初の宿場町だった。

 江戸からタイムスリップして来た西野敦美は、「当時は品川はリゾート地だったんです。家光公の鷹狩のための御殿があったんです。八代将軍吉宗が庶民にも桜を楽しんでもらえるようにと開放したのが御殿山です。秋には海晏寺に見物客が押し寄せ、春には江戸湾で潮干狩りが行われました。旅籠は芝エビをはじめ江戸前の新鮮な海産物を出していました」と教えてくれた。敦美は旅籠の女将をしていたそうだ。

 

「品川」の文字が歴史書において初見されるのは、1184年(元暦元年)の田代文書である。


 室町時代には品川湊を拠点とした豪商・鈴木道胤の存在が知られており、古河公方足利成氏や太田道灌といった関東の実力者からも一目置かれていた。


 江戸時代においては、東海道、江戸口の一番目の宿場町品川宿として栄えた。現在の東海道、国道15号は、当時の東海道から離れた位置にあり、これと国道357号に挟まれた路地が当時の東海道である。


 また、江戸の港町としても栄え、上方へ向かう廻船が品川湊から出航した。また、御菜浦の一つに指定された。


 品川の心象的地理が拡大した要因ともなる、東海道本線品川駅が現在の港区港南に開業したのは、日本初の鉄道が品川-横浜(現在の桜木町駅)間に敷設された、1872年6月12日のことである(新橋-横浜間は10月14日本開業だが、これに先立つ仮開業)。


 なお、1902年に京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)が現在の大森海岸駅まで開業した際は、現在の北品川駅が品川駅を名乗った。これは地理的にみると省線の品川よりも名乗りが正しいが、これよりも省線の品川駅よりに路線を延長して省線品川駅向いに高輪駅を開業させると、品川駅から北品川駅へと名称を改めた。


 さらに1933年に高輪駅を廃して、現在地と同じ省線品川駅に併設される形に改められて以来、京急本線では品川駅の南側は北品川駅という状態が続いている。


 旧東海道付近は、宿場町である品川宿の風情をかすかに残している。大崎駅一帯、品川駅一帯では近年再開発が進み、町の顔が大きく様変わりしている。

 

 料亭で安藤は野木とみ子と向かい合っていた。彼女は警視庁捜査一課の刑事だ。階級は警視。

「安藤晴継も、鈴木と同じく絞殺でした」

 とみ子は警部補の安藤よりレベルが高いのに敬語だ。

「同一犯の仕業でしょうか」

 料亭は天王洲アイルにあった。

 東京都品川区北東部の京浜運河、天王洲運河に面した沿岸に位置する。総面積は約22ヘクタールであり全域が埋立地である。天王洲運河、京浜運河を挟んで、北側は港区港南4丁目、南側は東品川三丁目、西側は東品川一丁目、東側は東品川五丁目の品川埠頭と隣接する。複数のオフィス商業複合ビル、商業店舗、飲食店、アートギャラリー、イベントスペースなどからなる再開発街区である。


 2010年代以降は芸術文化の発信地をコンセプトとして、地域内に音楽・絵画・フォトグラフ、現代建築など芸術に関連したコンテンツを集積している。また、同地域のほぼ全域は東京都港湾局によって、東京の水辺の魅力の向上や観光振興に資するため、運河などの水域利用とその周辺におけるまちづくりが一体となり、地域の賑わいや魅力を創出することを目的として地元が主体となった取組みを推進すべき地区として運河ルネサンス推進区域に指定されている。


 また、水辺景観に優れているため1990年初頭の完成当時より現在まで、テレビドラマや映画、TVコマーシャルの撮影に頻繁に使われるロケーション撮影の名所になっている。

 

 とみ子と別れて、安藤は建築倉庫ミュージアムにやって来た。

 模型を「展示しながら保存する」をコンセプトに、国内唯一の建築模型専門展示・保存施設として2016年6月天王洲アイルにオープンした。


 2018年4月にリニューアルオープンし、かつての常設展のような展示方法ではなく展示室を2つに分け、2〜3か月に一度、展示を入れ替えて行う展示方法に変わった。ロゴデザインは日本デザインセンターの原研哉によるものである。


 2020年12月に新設したミュージアム「WHAT」で、建築倉庫プロジェクトと名を改め引き続き建築に纏わる展覧会を開催している。


 安藤は腕時計を見た。もうじき、19時だ。そろそろ閉館だ。いそいそとミュージアムを出た。

 

 TERRADA ART COMPLEXというアートの複合施設は20時まで開館してるので寄ってみた。

 2016年9月に現在アートの複合施設として天王洲にオープン。倉庫をリノベーションした空間に、6つのギャラリー児玉画廊|天王洲、URANO、山本現代、ユカ・ツルノ・ギャラリー、SCAI PARK、KOSAKU KANECHIKAが入居している。また、大型作品にも対応できるギャラリースペース「TAC GALLERY SPACE」、美術品の物流総合サービスを提供する「TERRADA ART ASSIST株式会社」、アーティストのためのアトリエスペース「TAC ART STUDIO」、美術品の修復保存に関わる技術者を育成する横浜美術大学天王洲サテライトが入居している。

 

 津久見早紀という画家の描いた絵を見て安藤は鳥肌が立った。

 鈴木明慶が首を絞められてる絵だったのだ。首に巻きつけられたロープの質感まで見事に再現されている。

 彼女は一体、どこで鈴木の死体を見たというのだろう?彼女が鈴木を殺したのか?

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東海道五十三次殺人事件 鷹山トシキ @1982

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