晴れた日のまやかし

増田朋美

晴れた日のまやかし

その日は、よく晴れていた。いわゆる真夏らしく、朝から暑くて、暑いというより熱いといったほうがいいのかもしれない。そんな中でも杉ちゃんたち一般市民はのんびりと暮らしているのであるが、その日は、長い夏休みの中の、登校日であった。効率の学校では、みんな歩いて通わなければならないので、よく保護者から、こんな暑い日になんで歩いて通わせなければならないのだと、クレームが付くことも多い。でも、私立の小学校であれば、スクールバスというのがあって、それに乗って通学する生徒も多くいる。ときに、公立学校の保護者から、私立学校生は、エアコンの効いたスクールバスに乗れて羨ましいと、クレームを付られることもないわけではないのだが。

その日の夕方のことであった。なぜか、来客の少ない時刻に、製鉄所に客がやってきた。やってきたのは、ジャックさんと武史くんだ。

「一体どうしたんですか。何かあったんでしょうか?」

と、ジョチさんはジャックさんを椅子に座らせて、お茶を出しながら言った。

「また武史くんが学校から呼び出されましたか?」

「いやあ、そういうことではないんですが、武史の同級生が、スクールバスの中でなくなったそうで、武史はその生徒さんと仲の良い友だちだったらしく、一日中ふさぎ込んでいましたので。」

はあなるほど。それで武史くんは、ショパンの別れの曲を弾いてくれと、水穂さんに頼んだのかとジョチさんはわかった。

「なくなったということは、なにか交通事故とかそういうことでしょうか?」

「いえ、違いますね。なんでも、スクールバスを降りるときに、返事をしなかったそうなので、それで乗っていたと気が付かなかったというのが学校側の言い分だそうですが、しかしどうも、僕自身もこれでは納得いきません。武史もそうだと思います。」

と、ジャックさんが言った。ジョチさんは事件の概要をもう少し詳しく話してもらえないか、というと、ジャックさんは、こう話し始めた。

「ええ、実は今日、学校で夏休み中の登校日でしたので、スクールバスに乗って武史も学校に行きました。それで、授業が終わって、帰りのバスに乗ろうとしたら、その生徒、佐野恭平くんというそうですが、その子がバスの中で倒れていたそうです。それで、急いで病院に連れて行ったそうですが、彼はその時には、もうだめだったみたいで。今日の気温は、何でも、36度もあったそうじゃないですか。それなのに、バスの中に閉じ込められるようでは、本当に彼がかわいそうだと武史は言うものですから。」

「そうですか。つまり、スクールバスの中に、佐野恭平君という生徒さんは、放置されていたわけですね。」

「ええ、武史の話によれば、佐野くんは、バスの中で眠ってしまっていて、運転手だった先生が呼んでも気が付かなかったそうなんです。ちょうど生徒がおりるときに、一人の生徒さんが、転んでしまって、怪我をしてしまったそうで。それを静止するのに精一杯で、佐野くんのことは忘れてしまったというのが学校側の言い分でした。」

「いやあ、普通でしたら、ありえない事件ですよね。よほど学校がずさんだったとしか言いようがありません。そんな事件は、果たして学校にあるでしょうか?そんなことないと思いますよ。なんだか、そういう事件があるんだったら、教育機関として情けないと思わないんでしょうかね。」

ジョチさんはジャックさんの話に呆れた顔をしていった。

「とりあえず、武史くんのような感性のいい子供さんの場合、自分のせいで佐野恭平君が死に至ったと考えてしまうこともないとはいえないので、そこを励まして挙げなければだめだと思います。そして、もしジャックさんがよろしければの話ですが、学校を変わったほうがいいのではないでしょうか?武史くんがキチンと教育を受けられるようにするためですよ。」

「そうですね。ですが、武史は、その同級生の佐野恭平くんのことをどうしても忘れられないらしく、自分だけ別のところへ行くのは嫌だと言っています。」

ジャックさんは、申し訳無さそうに言った。

「僕も、この辺の感覚はわからないんですよ。日本人はどうも、自分だけ逃げていくのはだめだという精神を持っているようですね。それはときに、悪影響を及ぼすと思うんですが、武史もそういうところを受け継いてしまったのかな。」

「そうですか、それはもっと高く評価すべきではないかと思います。そういう感性の良いところは、武史くんは大変素晴らしい心の持ち主ということになる。もちろん、今の日本の教育は、そういうところを潰そうとしていますけどね。そうなると、ジャックさんも大変ですね。平凡に学校に通っていたいだけなのに、こんな事件が起きてしまうんですから。」

「はい。やれやれです。」

ジャックさんはため息を付いた。

「それでも、生きていかなきゃならないんですよね。日本での生活は、思っていたのとは違ってしまったけれど。」

「ええ、違って当たり前ですよ。だからこそ人生は面白いんだという人間もいます。それは、昔の人だったら当たり前で通せたかもしれないけど、今の時代はそうじゃありません。だから、困っているからと言って何も恐れる必要なんてないんですよ。それよりも、今を楽しむというのが、一番なんじゃないかなあ。」

ジョチさんは、ジャックさんを励ますように言った。

その間にも、水穂さんが演奏している別れの曲はずっと流れ続けていた。武史くんは、頑張って受け入れようとしているのだろう。それを、別れの曲がひと域かっているに違いない。

「でも、必要になったら、学校を変わってもいいと思いますからね。武史くんの成長の妨げになるようなことは、本来教育施設ではあってはならないことでもありますから。」

「はい、わかりました。ありがとうございます。今日は相談に乗って頂いてありがとうございました。」

ジャックさんはジョチさんに向かって頭を下げた。

「いいえ、良いアドバイスはできないかもしれないですけど、またいつでも来てください。」

ジャックさんは、ジョチさんにそう言われて、また嬉しそうに頭を下げるのであった。背の高いイギリス人が、日本人であるジョチさんに頭を下げるとは、異様な風景かもしれなかった。

それから、数日がたって。

またジャックさんが製鉄所に武史くんを連れてやってきた。一体どうしたのかと思ったら、

「今日はですね、ちょっと大変な事になってしまいました。なんでも武史がしばらく学校へ来ないでくれと言われてしまいました。」

と、ジャックさんは小さくなって、ジョチさんに言っている。

「はあ、武史くん、また爆弾発言をしたんですか?」

と、ジョチさんがきくと、

「ええ。なんでも、担任教師の先生に向かって、あの、佐野恭平くんの事件のことを言ったそうなんです。佐野くんが、スクールバスの中に置き去りにされたのは、普通じゃなくてわざとだと。それは、先生が佐野くんを厄介払いしたかったからだと発言して、担任の先生を困らせたそうで。これ以上問題発言をしてしまうと、もう学校にはいさせられないと言われてしまいました。」

と、ジャックさんは答える。なんとも学校と言うのは、生徒のことよりも自分たちのメンツのほうが大事なんだなとジョチさんはおもってしまったのだが、それは言わないで置いた。

「もうこれから、武史が学校に通うにはどうしたらいいのか、僕はわかりません。どうしたら、学校に通うことができるようになりますかね。」

「そうですね、、、。」

とりあえずジョチさんは、ジャックさんの相談をきくことに徹したのだが、同じ様に杉ちゃんと水穂さんは、武史くんの話をきくことを、やっていた。

「でも、それってある意味では、仕方ない事かもしれませんよ。そういうことは、誰に対してもありますからね。」

「水穂さん、それを言っちゃいかん。だって、その少年、つまりその佐野恭平という生徒は、もう帰ってこないんだからな。それはあってはならないことだしさ。警察だって、今頃、一生懸命やってるんじゃないの?」

と、杉ちゃんと水穂さんは、武史くんの話にそういうことを言った。

「どうかな、警察なんてさ、学校と同じなんじゃないの?学校の先生だって、誰かが取材に来ようとしても、全部断っているもの。子どもたちが心配だからって。僕たちは、開かれた学校と言うんだったら、誰が入ってもいいと思ったのにさ。」

「武史くん、すごいことを言いますね。確かに、大人がしていることは、子供さんには通じませんからね。」

と、水穂さんがそう言うと、

「ほんとだよ。誰が入ってきてもいいようにしようねって、学校の先生はいっているんだけどね、でも、佐野恭平くんのような生徒が入って来ると、今年は嫌な生徒が入ってきたなんて、平気で言うんだよ。」

と、武史くんは言った。

「はあ。その佐野君という生徒は、どんな問題があったんだろうかな。それを話してくれたら、また変わるんじゃないかと思うんだけどな。」

と、杉ちゃんがきくと、

「うん、僕みたいになんとか障害というものがあったんだって。嫌だねえ。そういう生徒を積極的に受け入れようと言っておきながら、そうやって、先生たちは、嫌味を言って、挙句の果てに、バスに閉じ込めたりするんだから。」

と、武史くんは言った。

「そうなんだね。そういうことは、まあ、人間で有る以上、仕方ないことだよ。逆にそういうことをしないやつのほうが、勘定するのは簡単なんじゃないの。マザーテレサとか、ヘレン・ケラーとか、中村久子とか、そういうやつだよ。」

杉ちゃんが、武史くんにそういうことを言った。

「まあねえ、みんな確かに苦労人ですよね。学校の先生なんて、苦労人でもなんでもないのに、自分のことを先生先生って言われてしまうと、自分が偉いような気持ちになって、そういう変な発言を平気でしてしまうんでしょうね。まあ、学校の先生の言うことなんて、大したことじゃありません。それは、僕も知っています。」

「そうそう、水穂さん、いいこと言う。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「まあいずれにしてもさあ。どうせしばらく学校へ来るなと言われてしまったんなら、この時を利用して、大好きな絵を習わせてもらうとか、そういうふうに有効活用するといいよ。家に閉じこもったまま、何もしないのが一番悪いからなあ。なんなら、僕が小濱くんに連絡してもいいよ。この際だから、絵を習ってさ、古賀春江に負けないくらい、きれいな絵を描けるようになったら?」

杉ちゃんが、そう言うと、武史くんは小さくなってしまった。

「君のことを、否定しているわけではないですよ。ただ、杉ちゃんは、提案しているだけです。」

水穂さんは、武史くんの頭をなでてあげた。

「水穂さん寝なくて大丈夫?」

と、杉ちゃんが言うと、水穂さんは、はいといった。それでもちょっと疲れてしまったような顔をしていたので、早く寝ようと杉ちゃんは言って、水穂さんを布団に寝かせてあげた。

「まあ、武史くん、今年の夏休みはちょっと長いなと思ってくれればいいんですよ。僕たちは、いつでもこっちに来てくれていいですから。」

水穂さんは、杉ちゃんに布団をかけてもらいながら、そういうことを言うのだった。水穂さんは本当に優しいなと杉ちゃんは大きなため息を付いた。

「本当にすみません。武史を長々見てくださって。」

と、ジャックさんが四畳半にやってきた。

「いえ大丈夫です。体調も今日は悪くないし。」

と、水穂さんが言うと、

「そうかも知れないですけど、水穂さんに迷惑かけられたら、こちらとしても申し訳ありません。いくら感謝しても、これだけは、感謝しきれないです。」

と、ジャックさんは言った。

「そうですが、これからどうするんですか。武史くん、夏休みが終わっても、学校に行けない状態が続いてしまうということになりますよね。保護者がいない家に、一人にさせて置くのも、かわいそうというか、そういう心配だってないわけではないです。」

水穂さんがそう言うと、ジャックさんは、そうですね、といった。

「そういうことなら、製鉄所で預かりましょうか?」

ジョチさんがそう言うと、

「でもなあ、水穂さんの体調の面もあるし、毎日ここに来られては、困るんだがなあ。」

と、杉ちゃんは答えた。

「そういうことなら、僕はまっさきに学校を変わったほうがいいと言ったんですけどね。」

と、ジョチさんが言うと、

「それもまた、日本の制度をよく知らないという、ジャックさんには酷な話だな。せっかく今の学校にいさせてもらってるのに、また追い出されるということになるんだからな。」

と、杉ちゃんが言った。

「まあそれは仕方ありません。そういう犠牲を払ってでも、良質な教育を受ける権利というのは有るはずですから、ちゃんと、教育を受けることができる、学校に行くべきだと思います。」

ジョチさんは、ちょっとため息を付いた。

「まあ、とりあえずですね。僕たちは、武史くんをなんとかしなければなりませんね。ジャックさんだって、いつも一緒にいられるわけではないでしょう。今の時代、子供を一人で家に置いておくことは、虐待と間違われる可能性だってありますよ。一体どうしたらいいものでしょうかね。学童保育とか、それ以外にこういう子供を預かってくれるところがあるかどうか。」

「そうだねえ。じゃあ、僕のうちに来てもらうか?」

不意に杉ちゃんが突拍子もないことを言った。

「杉ちゃんの家に?」

と、水穂さんが言うと、

「おう。家で和裁の勉強でもしてみるか。和裁なら、杉ちゃん得意だよ。それならどう?」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「でも、子供が和裁を習うなんて、ちょっと。針や釘を出したままだと危ないし。」

と、ジャックさんがいうが、

「まあ、そうなんだけどさあ。それは、しょうがないじゃないか。僕の家で和裁をやってれば時間なんてすぐに過ぎちまうよ。和裁は、それくらい集中力がいるものだから。それを習ってみるのも悪くないと思うよ。どう?」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうですね。じゃあ、杉ちゃんの言うとおりにしてみましょう。しばらく杉ちゃんの家で預かってもらってください。杉ちゃん、武史くんのこと、お願いしますね。」

と、ジョチさんが、リーダーらしく、しっかりと言った。それは、もう決めることはできないから、そうすることで決定した。

「じゃあ、明日から僕の家に来てくれや。和裁の基礎縫いからはじめて、いずれは長着一枚、仕立てられるようになろうね。」

と、杉ちゃんは、にこやかに笑った。

その翌日から、杉ちゃんの家に武史くんがやってきた。杉ちゃんは、布を用意して、和裁の基礎縫いを教えた。和裁というと、ぐし縫いという洋裁と違った縫い方をするものである。それを、武史くんはすぐに覚えてしまった。ぐし縫いをすぐに覚えてしまった武史くんは、すぐに巾着袋を縫えるようになった。この覚えの速さには、杉ちゃんのほうが、驚いてしまった位だ。

「すごい上手だねえ。お前さんは覚えがいいから、周りのやつのことまで感じちゃうんだろうな。」

と、杉ちゃんは、一生懸命縫っている武史くんにいう。

「杉ちゃん、もしよければ、これで、巾着袋のもっと大きなサイズができるようになれないかな?」

と武史くんは言った。

「もっと大きなサイズって?」

と、杉ちゃんがきくと、

「うん、おじさんにプレゼントするんだ。楽譜入れとして使ってもらうようにね。」

と、武史くんが言った。

「はあなるほど。おじさんとは水穂さんのことだな。そんなに水穂さんのことが好きなんだね。」

「うん、おじさんは何でも話聞いてくれるから。僕、悲しいんだ。優しい人って、何で、直ぐにいなくなっちゃうのかなあ。佐野恭平くんのお母さんだって、すごく優しかったんだ。」

武史くんは、そんな話を始めた。

「佐野恭平くんのお母さん?どんな人物だったんだよ?」

と、杉ちゃんがきくと、武史くんは杉ちゃんだったら話せるという顔をして、

「うん。とってもきれいな人だったよ。佐野くんもイケメンだったけど、お母さんはすごくきれいだった。佐野くんは学校の生徒として、行けなかったかもしれないけどさ。お母さんは、そういうことをわかっているようなところがあってね。僕たちの話も聞いてくれたし、よく佐野くんの家に遊びに行ったけれど、お茶を出してくれたり、ケーキ出したりしてくれた。」

「そうだったんだ。その、佐野恭平くんのお母さんって何か、仕事してた?」

と、杉ちゃんがそうきくと、

「ええとねえ、お母さんは働いていたのかな。そういうところは全くわからないな。お父さんが、会社か何かやっているということで、お母さんはずっと家にいたのかな。」

と、武史くんはそういうことを言うのであった。

「そういうことか。それで、周りの生徒さんたちはどんな感じだった?いや、授業参観とかあったよな?それで、親御さんたちや、生徒さんたちは、どんなふうに、彼の方を見ていただろうか?」

杉ちゃんがちょっと聞いてみると、

「そうだねえ。授業参観のときは、なんか、佐野くんのお母さんは、みんなから嫌われている様に見えた。なんか、色々言われてたけどさ。あの人は、働かないでいいわねとか。」

と、武史くんは答えた。

「それで、佐野恭平くんは、いつまでもはなたれ小僧さまだったのか?」

「うん、そうだった。僕たちは、佐野くんが先生の言うこと聞かないのを黙ってみているしかなかった。」

「なるほどねえ。」

と、杉ちゃんは、腕組みをした。

「それでは、佐野くんは、学校の中でも嫉妬されやすい立場だったということだな。まあ、バスに閉じ込められたというのは、ちょっとかわいそうだったかもしれないけどさ、でも、それを喜んでいるやつだって、多かれ少なかれいるってことだな。」

「そうなんだ。でも、僕の言うことだから、きっと皆、子供のまやかしだと言って、聞いてくれないよね。聞いてくれるのは、おじさんだけだよ。」

武史くんは、小さな声で杉ちゃんに言うのだった。そういう小さな証言をもっと大切にしてくれればいいと思うけど。杉ちゃん自身も、それを告発することはできないのだった。

その数日後、バスに小学生が閉じ込められたのは、運転手が放置していたためという業務上のミスだったと報道された。そして、それがそれ以上、報道されることはなかった。






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晴れた日のまやかし 増田朋美 @masubuchi4996

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