蛇神礼賛
昔々、地上には大きく分けて空を飛ぶ鳥と四本足で地を駆ける獣、そして二本足の人間がおりました。
彼らの上に、竜族が君臨していました。鳥類のたくましい翼と、獣のような爪と牙。そして人間のような器用な前脚という三種族の美点を兼ね備えた彼らは、この世を支配する存在でした。
一方、地上の三種族の中で最弱の存在は人間でした。彼らは毛が無い故暑さ寒さに弱く、爪や牙も備わっておらず敵に襲われても抗う術を持たないため、野垂れ死んだり他の種族に食べられたりしてどんどん数を減らしていました。
「このままでは人間たちは滅びてしまうぞ」
竜たちは悩みました。
「鳥も獣も、人間もまたこの世に必要だからこそ造られた存在なのだ。人間が滅ぶ事はこの世を支える柱の一つが消えるのと同じ」
「しかし、どうすれば彼らの運命を変えられるだろう」
「人間たちに我らの力を少し分けてやるのは如何でしょう」
提案したのは竜族の末端に属する蛇族――他の竜と違い、翼はあるものの生まれながらに両手足が欠けた種族でした。
「む? それはどういう事か。申してみよ」
「鳥や獣と比べて人間は身体能力に劣ります。ですからそれを補うための知恵を、彼らに与えるのです。 ……我ら竜族がこの世の支配者たるは『永遠の命の樹』と『知恵の樹』両方の在処を知っていればこそ。これら二本の樹の内、知恵の樹だけは人間に与えていいかと」
「なるほど……お前にしては良い考えだ。ならば早速、知恵の樹の果実を一個、人間に与えて効果のほどを試してみるが良い。 ただし、永遠の命の方は与えては駄目だ。あれをも口にすれば人間が力を得過ぎる。また、知恵の実をやるのはいいが、知恵の樹の在処は決して話してはならぬぞ」
「承知いたしました」
蛇は周りの竜たちに向かって深々と頭を下げながら、心の中では「今に見ていろ竜どもめ。今に私はお前たちに頭を下げさせる立場になってやるぞ」と呟いたのでした。
蛇は二本の翼で空を飛んで、人間たちの集落に向かいました。 辺りを見回すと、やせ細った人間の少女が木の上でどんぐりをむしっているのが見えました。 少女はどんぐりを手の平いっぱいにかき集め終えた後、木を降りるために手で幹を掴もうとして全て零してしまいました。
「やれやれ、見てられんわい」蛇は頭を振ると、少女のいる木の上へパタパタ飛んで行きました。
「こんにちは」蛇が少女に声を掛けると、蛇の大きな黄色い目と鋭い牙を見た少女は驚いてぎゃあっと叫びました。
「これ、叫ぶな。お前を喰いに来たのではない。今日はお前に贈り物を届けに来たのだ」
蛇はそう言うと、予め飲み込んでおいた知恵の実を吐き出し、少女に見せました。少女はその赤く大きな実をくんくんと嗅いでから、嬉しそうに受け取り、がつがつと頬張りました。
「旨いか? それは知恵の実さ。これを喰ったならお前も、どうすれば沢山の木の実を家に持って帰れるか分かるようになる」
蛇は少女にそう言い置いて、その場を飛び去りました。 隠れて樹上を観察していますと、知恵の実を食べ終えた少女は再びどんぐりを探し始めます。……今度は採取したどんぐりを口の中に放り込んでいます。 口の中が一杯になりこれ以上は入らなくなると、少女は木から降りました。
蛇はその様子を見て満足気に頷き、竜の国へと戻りました。
「知恵の実を人間に与えたのか?」
竜たちの長に問われ、蛇は意気揚々と答えました。
「はい。幼い少女に知恵の実を試しに与えてみた所、すぐに進歩が見られました」
少女が木の実を持って木を降りることができるようになった事を話すと、竜の長はほっとした様子になりました。
「それは重畳。良くやってくれた……引き続き人間の面倒をよく見るように。まずは知恵の実をもっと多くの人間たちに渡してやりなさい」
「了解いたしました。……今後人間の事は一切合切、我ら蛇族に一任下され」
「うむ、頼んだぞ」
それから蛇は言いつけ通り、一族総出で人間たちに知恵の実を届けました。それを口にした人間たちは次々と目が開いたようになって、知恵を付け、彼らの間に「言葉」や「火」が広まりました。
言葉によって、人間たちは食べ物や外敵の場所をすぐに知ることができるようになりました。火は闇に潜む危険から人間を遠ざけ、また彼らの冷え切った心身を温めました。知恵の実を食べた人間たちは、以前よりもずっと安全で豊かな暮らしができるようになった事を大層喜びました。
「この『知恵の実』は竜からの贈り物である」蛇は人間たちに言いました。
「これから狩りや果物の収穫に出向いた時は、得た食物の一部を竜の方々に捧げてお礼をなさい」
人間たちは蛇の言いつけに従い、特上の獲物や果物、ときには自分の子供をも火にくべて竜族に捧げるようになりました。捧げものを焼く炎を風雨から守るために「社」が、竜を讃えるために「歌」が人間たちによって新たに発明されました。
「皆さま、地上をご覧ください」
蛇に促され、雲間から地上を見下ろした竜たちは口々に感嘆の声を上げました。地上のあちこちから竜を讃える歌が聞こえてきます。おいしい匂いのする煙がもくもくと漂ってきます。それらは全て、人間が竜に捧げた焼肉や香草の煙なのでした。
じゅるり。竜たちの口から涎が流れてポタリポタリ、地上に落ちます。天上界に居並ぶ何百何千もの竜が一斉にそうしたものですから、地上はあっという間に大雨大洪水になりました。
人間たちはぶくぶく溺れながら「この世の終わりじゃあ!」「折角捧げものをしたのに何という仕打ちをなさるのですか竜神様!」と哀れな泣き声を上げました。半数の人間は溺死し、残る半数の人間は「おのれ竜神許すまじ」と凄まじい恨みを抱きました。
一方の天上界で、蛇は竜たちが人間に大いに興味を惹かれたのを見て取るとこう申しました。
「皆さま、このように人間たちは竜族に感謝の念を抱いています。……一度地上に行ってみませんか? きっと歓迎される事でしょう」
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます