第3話 雪
おうちにいても、どこに逃げても、けっきょくひとり。
彼女と出会えた年でさえも。
幼稚園児として最後の、なずなの冬休みは終わった。
休み明け、久々の幼稚園。
あたたかい園の麦茶に、プレゼントを返してもらったかのように喜ぶ子ども達。
家のやかんで飲む麦茶と、ここで飲む麦茶はなぜこうも違うのだろう。
なずながそうぼんやり考えていると、となりに座っていたまりな先生と目が合った。
ぽわっと、すぐさま灯されるほほえみ。
“あぁ、あなたがいるからか。”
先生はなずなの固いくせっ毛で少し遊ぶと、彼女の頭を優しくなでた。
いつものように。でもそれははるかにずっと、久しぶりのような気もして。
“そうだった。今日はエイサがいないんだ。
さびしいけれど、すごくさびしくはない。
先生が一緒だから。”
ただどうしてか、休み時間のあいだも、今日はなずなから離れない先生。
“おかしい。
でもいい。一緒にいてくれるなら。
お昼休みも、二人だけでのお弁当。
“ぶきみ。なんなの先生。
手作りのおかずもちょっとくれちゃうし、「もっとちょうだい」って言ってみれば、いたずらに「だめです!」って。
いいの。おかしいけど先生だもの。ママと何かたくらんでたって、先生。 だから、
わかってない子のフリ、してあげる。”
「“だめです”って、こどもみたい。どうして先生になっちゃったの」
「えっ…」
“だめ。ちがう。おんなじ年がよかったの。
いや。ほんとにいや。”
「…カリフラワーでしょ。ほしがる子なんてこの世に私くらいしかいない。むしろかんしゃ……だと思う」
“やっぱだめ。
私は先生みたいにはなれない。
あなたみたいにかわいい子には。”
「ざんねんだったわね。先生もカリフラワーが大好きなの。この世に“ふたり”よ」
先生の優しい声、優しい両手に、くやしいほどに包まれる。
また。そして、これからも。
あこがれて、こがれてやまない全て。
ふたりだけが生きる音を子守唄に、つよがりは一時休息。
束の間の確かな夢にて、少女はまどろむことを許された。
次の日、先生はもう皆のものになっていた。
けれどもう、なずなはさびしくなかった。
今はエイサが側にいてくれるから。
「えぇいっ! はねさせないわよ、ぜったいに! 」
エイサは、なずなの“ジャジャうまがんこヘア(エイサ命名)”にけわしく目をよせて、でも楽しそうにあんでいた。
「ふっふ~ん♪ んふふふっふ~ん♪ 」
彼女のハミングはそんな“がんこあたまさん”、なずなの心をも、無意識にはずませていく。
ふと、自分のおでこに何かが乗ったのを感じたなずな。
気になり指をのばせば、迎えてくれるなめらかほっぺ。しゅっとしてるのにモチッとした果実蒸しパン。
愛を持って軽くつねれば、持ち主は大笑い。ごう快に、きれいにそろった小粒っ
けどこれも、まりな先生の笑い方に似ているようで、違うもの。
“先生も昔はこんな風に笑ってたの?
どうしてエイサみたいに笑ってくれないの?”
先生はなってくれないもの。
自分にだけ心を開き、自分にだけ大声で笑ってくれるエイサの存在。
彼女だけがなずなにとって、何よりも支えである“おもり”であり、生きる偶像。
“エイサ。完ぺきなエイサ。
私にはあなたしかいない。
お願い。私から離れないで。
心も体も、同じくらい。
もっとってくらい、私だけでいて。”
知らず知らず泣き出したなずなを、そっと抱きしめてあげるエイサ。
口に流れこんだ塩水をなめて、彼女はやっと自分が泣いてることに気づく。
エイサの白くか細いのに、不思議なくらい力強い両腕。
その肌はより深いところまで、熱く、柔く、少女に体温を与えてくれる。
さするてのひらが、くすぐったさとの狭間で、ゆるりしゅるりと背中を這ってきて、たまらず漏れてしまう吐息。
布なんてないように、指の感触ひとつひとつ、わずかな掠りさえ、伝導し溶け合っていく。
やがて呼吸まで重なれば、いっそうと熱を帯び、未熟にも、赤を知ってく青いちごの実。
「…先生になんか、ならないでよ」
「……そっちこそ。
あたしを置いていかないでね 」
なずなは心から感謝した。エイサとのつながりに、愛に。
キズひとつない鎖。誰にもこわせないカタチ。
私だけの、だいすきな
ふたりが再会して3日後、なずな達の住む地域では、めずらしいことが起きた。
雪が積もったのだ。
いつもより早く起き、車にお湯をかけるなずなのお母さん。パート出勤前のだるそうな姿に、窓からのぞくなずなも憂うつ。
あの人とは別のことで。楽しみかもしれないけど、憂うつなこと。
“散歩、行きたくないな……。”
そう。こんな日にかぎって、今日は散歩の日。クラスの皆で、近くの公園を散歩する日だった。
「ふたり組を作って並んでちょうだい」
朝の会が終わって早々、まりな先生はなずなら園児にキョウ言を吐いた。
なずなとエイサはすぐお互いを確認し、真っ先に手をつなぐ。
5分ほど時間が流れ、ばらばらしていた他の子達も、ようやくペアが決まったようだった。
「よし! いざゆきぐにへ出発だ!! 」
名前も知らない男子が声高々に宣言し、他の男子数人もバタバタ準備をしはじめる。
とっととこの集まりから離れたくて、なずなも黒ジャンパーをはおろうとしたその時。
「待って!まだよ! 」
まりな先生の声が彼らの動きをとめた。
「まだ決まってないわ」
なぜ? 先生を見上げたその時、なずなはあることに気づく。
クラスの子供達の視線が、なずなとエイサに集中していた。
どの視線も、それはそれはひややかで。
“なんでそんな目をむけるの。”
目には目を。
「えっと…、なずなと……エイサを入れてくれるお友だちはいるかな?」
「ぜったいむり」
腕を組んでいる、明らかにそめてもらったであろう派手髪の女の子が即答した。
「“せいりてき”にむり。こういう子」
「ええと…」
困っている新米先生のズボンを、ひとりの年長園児がひっぱる。
なずなだ。
彼女はみるからに怒っていた。
「先生、ふたりぐみっていってましたよね?
」
それを聞いたクラスの子らが、くすくすと笑いだす。
「笑うな!!」
「ほら!こんなおかしい子、うちらじゃ相手にできないもん」
偉そうな派手髪はおおげさにみがまえ、「きゃ~」と震えるそぶりをみせた。
クラスメイト達もまたゲラゲラクスクスと笑いだす。
続いて派手髪とペアの小太り女子も口を開く。
「“スケッチブックじゃないから、私も相手にしたくない”ってさ」
ドッと大きくなる笑い声。
「…いれてあげない?」
以前なずなにあいさつを試みた女の子は、ペアの子に小声で尋ねてみるも、相手は首をブンブンふって全力拒否。
「…ごめん」
目を少しきょろきょろさせてから、結局女の子はうつむいてしまう。
まりな先生はなずなとエイサの前にしゃがみこむと、星をおさえつけた夜空の瞳で、ふたりに言い聞かせるように説いた。
「“ふたり”はね、もうすぐ小学一年生よ。
これからもっとたくさんの人と出会うの。
なずなにはエイサ以外の子にも声をかけてほしいな」
「必要ないよ。みんな私達をいじめる。最低。行こうエイサ」
なずながエイサを引っ張る形で部屋を飛び出し、クラス中が静まりかえる。
「こっわ」
派手髪女子のトゲある一言だけが、白息交じる室内で、小さく反響した。
色のない絵本部屋の奥で、エイサとなずなは身を寄せあう。
角でうずくまっていたなずなを、エイサが抱きよせ、自分の肩によりかからせた。
「おおきなくりの木の下で~♪ あなたとわたし~仲良く遊びましょう。大きなくりの木の下で~♪」
エイサのひかえめながら美しい歌声。まりな先生のようであり、なずなの母のようでもある歌い方。
「なずなとあたし~仲良く遊びましょ~!」
エイサのきらきらした笑顔と声が、ふたりきりのせまい世界を、徐々に色付け広げていく。
「絵本! 一緒に読もっ! 」
「…うん」
隙ができたなずなに、彼女がまた命をふきこんだ。
「おなかすいたからお菓子がでてくるのがいい!」
「賛成。他のも決めてくれていい。トイレ行ってくるから。はじめずに待っててよ」
「はっ! 了解です!! 」
エイサの刑事のものまねにしぶしぶ付き合ってあげたあと、なずなはいったん部屋を出た。
「!?」
ドアを閉めた途端、とどろく心音。
目の前にはまりな先生が立っていた。元凶のくせに、とても心配そうな顔をして。
先生には怒りたいことがたくさんある。でも今は泣きすぎて、怒りなんて通りこしてる。
「……なに」
目をこすり、何事もなかったかのように、精いっぱい装うなずな。
“仲良く遊びましょ~♪”
エイサの歌声が脳裏によぎる。
「…手、つないでいい?」
先生の小指をつまみ、しぶしぶ外についていってあげると、すでにクラスメイト達は雪や氷で好き勝手遊んでいた。
“うるさ……”
「あのね、これ」
まりな先生は紙袋にしまっていたなずなの黒ジャンパーと、自分と同じ緑色の手袋をなずなに手渡す。
「先生とおそろいになっちゃうけど、こっちも、もらってくれる?」
横目のまま、なずなはごくわずかにうなずいた。
ほてるのは外が寒すぎるせい。
「……よ、よしっ! さぁ、みんな!
散歩に行くよ!」
まりな先生のたどたどしいかけ声により、30分おくれの散歩が、ようやくはじまった。
「――って、いったよね……」
お菓子に囲まれた途中の部屋。
エイサは白黒ドーナツだけを、はんぶんこにちぎって残した。
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